4月からの仕事が決まって数日。
突然、
本当に突然なんの前触れもなく、
同居する兄から、
どういうビジョンをもって働くのか尋ねられました。
少しずつ仕事の幅が広げていければと思ってると答えると。
GUCCIには耳の痛い話かもしれないけれど。
と、以下のようなことを言われました。
働くに当たって、
いままでと同じ人間関係での失敗を繰り返さないように、
過去の栄光をひけらかすんじゃなくて、
謙虚にやる必要がある。
少なくとも新しい仕事で過去の仕事の話はしない方が良い。
GUCCIをみてるとそう思う。
兄の職場にも障害者雇用の人がいるようで、
その人を見ていると、
過去の栄光をひけらかして、
能力は伴わないのに
俺が俺がというところにそう思うらしいです。
。。。偏見だよなぁと思いました。
正直イラッとしました。
おれは兄にこれまでの仕事の細かい話はしてこなかったので、
おれを見て、
というのは何を見てそう思ったのか疑問です。
兄はなぜかおれが人間関係で失敗して転職していると思い込んでるらしい。
ここで、
それは誤解
争っても意味がないことは、
過去の経験からわかってます。
自分の知っているものが真理で、
その真理を相手に押し付けてくる。
昔からあることです。
これが子供の頃から本当に苦手でした。
そして、実家には寄り付かなくなり、
群馬から遠く離れた沖縄までいったのです。
今回実家に帰ることになったのも、
本当に気がのりませんでした。
兄だけでなく、
家族全員多かれ少なかれそういう傾向があるんです。
少なくとも、
意気消沈して実家に帰ってきて、
これから障害者雇用で再スタートを切ろうとしてる人間に
まずかける言葉がこれでしょうか。
これ、自分の子供が同じ状況でも
こういう声掛けするかな。
おれはかけません。
他人のことを分かるとは、
エスパーか何かなのかなと思います。
人生は失敗するものだし。
うつ病は病気だし。
生きてるだけで満点だし。
おれの人間関係の作り方が原因でいまの状況にあるとは、
おれは思っていません。
そのおれの価値観からすると、
むしろ、こうした他人軸の生き方が、
おれの病気には深く関わった
と思っています。
でも、「真理」の捉え方は人それぞれなんですよね。
例え家族であっても。
家族だから価値観が共有できるということはありません。
年齢を重ねてくれば尚更です。
家族だから
と何かにとらわれてしまうことのいかに多いことか。
相手の価値観を変えることは、
おれの人生の目的ではないので、
「言葉」にとらわれすぎないことが大事だと思います。
なにより大切なのは、
おれがおれらしく生きられること
です。
人生の目的の設定によりますが、
おれの人生の目的設定は、
謙虚なるものをもって、
誰かの評価にすがって生きることではありません。
そこに他人が土足で踏み込んで、
お前の価値観の優先順位はこうだ、
と言ってくることは多々ありますが、
その操縦桿を他人に渡してはいけません。
そこは自分で握り続ける。
これはどの状況においても、
最も大事なことのように思います。
ましてや、
他人の評価に疲弊してしまっているならより一層。
他人の価値観に口出ししたい人はたくさんいます。
自分を変える必要があるタイミングは、
自分が教えてくれます。
誰かからの価値観の押し売りは、
鳥のフンが当たるのと同じように意味がないことなので、
忘れてしまう。
そう思い出させてくれた出来事でした。