続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

書類を作っているうちに41歳になっていた

ここのところ、
SNSへの投稿が多くて、ブログの更新が止まりがちでした。

 

気づいたら、
41歳になっていました。

 

役場との委託契約の完了処理で、怒涛のように書類を作り、
理事会や経営会議、職員全体会議でも、また書類を作り、
来年度の準備でも、ひたすら書類を作っていました。

 

書類ばかり作っていたら、
41歳になっていました。

 

ときどき、ふと思います。

 

沖縄に、書類を作りに来たのでしょうか。
価値観の違いを強く感じる相手に、説明を繰り返すために来たのでしょうか。
成熟しきれていない振る舞いに、気を遣い続けるために来たのでしょうか。
言葉だけが先行する議論に、付き合うために来たのでしょうか。

 

そんな問いが、頭をよぎります。

 

それでも、
金銭的には苦しくても、
都庁にいた頃よりは、裁量が大きい分、まだましだと思っています。

 

人生は、突然変わるものではなく、
選択の積み重ねの先に、
気づいたら違う場所に立っているものなのだと思います。

 

そういうことに気づかされるものと、
人は折に触れて出会うようにできているのかもしれません。

 

この本も、そうでした。

 

ドイツ在住20年以上の日本人の著者が、
なぜドイツ人の幸福感が高く、
なぜ日本人は低いのかを、
統計や生活実感から分析した一冊です。

 

当時のわたしには、
とてもシンプルな話に感じられました。

 

ドイツでは、
人生を満喫することが先にあり、
仕事はそのあとに調整されます。

 

休暇を先に決めて、
それから仕事のスケジュールを考える。
その順番の違いです。

 

一方で日本では、
仕事に空きがあれば休みます。
けれど空きが生まれること自体が、なかなかありません。

 

仕事の飲み会もほとんどなく、
家族や恋人との時間が優先されるという話も、
印象に残りました。

 

教育の話も興味深かったです。

 

幼稚園を年齢で厳密に区切らず、
義務教育でも、早すぎると判断されれば、
入学準備学校に進みます。

 

それは「遅れ」ではなく、
その子のペースに寄り添うという考え方です。

 

全員が同じ年の4月から、
同じ速度で進むことを前提にした日本との違いは、
当時のわたしには、とても大きく感じられました。

 

なぜ日本は、
平均的にこなせる人材を大量に生み出す仕組みに、
これほど固執するのか。

 

沖縄に来て、
多くの人が現状に不満を抱えながらも、
それを大きく変えられないまま受け入れている光景を見て、
その理由が少しわかった気がしました。

 

そこには、
現状を維持することで成り立つ構造があり、
それが静かに、しかし強く働いているように感じられました。

 

ただ、人生においては、
Aが正解で、Bが不正解というような、
単純な話ではありません。

 

何を優先するかは、
その人の価値観によって違います。

 

それは、
学校教育で教えられてきた「正解」とは、
まったく別の基準なのだと思います。

 

目の前に選択肢が現れたとき、
「人生を満喫すること」という基準で選び続けた先に、
どんな世界があるのか。

 

それを、
少し見てみたいと思いました。

 

価値観の違いを強く感じる相手と、
無理に分かり合おうとしているわけではありません。
未熟さに振り回されたいわけでもありません。
言葉だけの関係を築きたいわけでもありません。

 

それでも、
人事異動がないというのは、
正直なところ、とても楽です。

 

そんなことを考えながら、
怒涛の3月が終わりました。