こんにちは。ぐっちです。
時代の風音は、間違いなく急激に変化しています。
わたしたちの生まれた時代(1980年代)に、2019年の風景は、想像もできませんでした。
世界中の人がスマホを使い、新しい仕事が次々に誕生し、GAFAと言われるITの巨人が世界を股にかけて絶大な影響力を持つ世界。
この先10年でも、AI、自動運転、ブロックチェーンなどを軸に、予想もしない世界が現れることだけは確信していても、その姿は誰にも分かりません。
会社というのはその時代が生み出した副産物ですから、時代が変われば、会社にも新陳代謝が起こります。
GE、GM、フォード、クライスラー、東芝、サンヨー、シャープ、日本やアメリカの名だたる製造業は、もはや瀕死状態。
かつては栄光の就職先だった銀行も、時代に乗り遅れまいと必死です。
しかし、会社は前時代の適合者のフィールド。
新時代の価値に適応していくのは、並大抵のことではありません。
そうやってどんな大帝国も大企業も滅んできました。
これは、10年後20年後も今の体制、今の世界が続く確信を持っていた時代、例えば江戸時代とは、まったく違います。
そうであれば、以前と同じノウハウ、同じ生き方は、時代という激流のなかで、その場に留まろうと必死にもがくこととなります。
「同じことをして走り続ける」というのは、そういうことなのかもしれません。
昨年一昨年と大ブームとなった「ライフ・シフト―100年時代の人生戦略」でも、<教育><仕事><引退>という人生の3ステージに留まらない多層的なステージの登場が予言されてました。
こういう背景と自分の実感がシンクロして、強く、変化に惹かれるようになってます。
とは言っても、人間はグラデーション。虹色の生き物です。
野球選手が、はい、明日からユーチューバーね、というわけにはいきません。
変化には、バッファ、余白が絶対に必要です。
実感としては、時代が変わるから自分も変わらなければいけない、というよりも、自分は変化するものだから、その変化を素直に楽しむという感覚です。
そういえば、時代も変化してるよね、くらいなゆるーい感じ。
その方が、焦りも不安もものすごく少なくできます。
だから、10年も走ったら、半年とか1年くらい白紙の時期がある方がいいんです、たぶん。
その方が、グラデーションを描きながら、じっくりと丁寧にゆるむ時間が持てるのは間違いありません。
日本では、履歴書の空白をマイナス評価しますが、あなたの尊敬するナチュラルなイキカタをする人は、履歴書の空白を気にしますか?(と、シータヒーリングのTさんに言われました。)
きっとしませんよね。
ナチュラルなイキカタを望むのであれば、まず、軽くそう動く。
「いま」のナチュラルの地続きに、ナチュラルはある。
「いつか」のナチュラルの先には、いまのガマン、苦しさが続く。
もちろん、いまに自然な心地よさを感じている方が、無理に時代に合わせる必要はありません。
わたしは、このままいくと、湿度問題みたいなことで自分の一生が終わりそうです。
関連記事:お掃除に咆哮するモンスターたち - ナチュラルなイキカタ
えー!めっちゃ嫌だ。笑