相性の悪い奴と言うのは
どこにでもいます。
問題は、いるかいないかではなくて、
その相手とはどのぐらい関わるか、です。
特にボクと相性が悪いのは
人によって態度を変える人
陰口を言う人。
今ボクがいる観光協会の理事にも
そういう人がいます。
この村の飲食店で社長をしているM理事です。
会長のお気に入りで
会長が言うには、
ものすごい経営者ということですが、
ものすごい経営者であることを
ボクはまだ感じたことがありません。
先日、うちのスタッフが、
この理事の会社に事業の調整に行きました。
しかし、調整するどころか、
まぁこの人のいつもの話である
観光協会はいらない。
自分の事業のサポートをすればよい
という話を延々とされたようです。
この人のいつものパターンですが、
一応会長・副会長にも報告しました。
ボクとしては、
できれば理事から外れるような流れが作れれば
という意図があったのですが、
会長・副会長からは
そもそもそういう人でものすごい経営者なのだから
スタッフに調整にいかせてはいけない
ある程度の立場のある人間がいたなければいけない。
立場がある人間がいき、
建設的なアイディアを引き出すと言う戦術を取るべきだ。
と言う話をされました。
頭ではわかる一方
ものすごく抵抗感がありました。
それは何故かと考えていたら
相性が悪い相手だからです。
去年この観光協会が経営方針を作成する時も
英語が入っているとおじいちゃんおばあちゃんに理解できないだろう
観光協会はワクチンの接種率を上げる事業を考えるべきだ
といっのピントがずれて反対をしてきました。
もちろん感情を入れずに
こうした相性の悪い相手をうまく転がして使っていくのが、
最も優れた経営者だとは思います。
ただ、問題はボクの気持ちです。
ここで、いままでのボクは、
自分の気持ちに寄り添わなかった。
こうした人の相手をすることは、
ボクのやりたいことではないのです。
ボクは優れた経営者であることよりも
気持ちよく仕事をするということを優先させたいのです。
果たして、
この相性が悪い人でも受け入れるよう努力すべき
という同調圧力は、
日本に何を生み出してきたでしょう。
ボクは、相性の悪い相手でも付き合うということを、
40年間人生の半分を費やして散々やってきました。
結論は、
そうとうしんどいし、
幸せではなかった。
そして別の人生を味わってみたいと沖縄に来たわけです。
何せ相性が悪く共感しあえないのだから
何かを行うところまでたどり着きにくいです。
この1年で、
さまざまな改革によって、
観光協会チームは、
少しずつよい方向に向かい始めてます。
それを邪魔してきたのは、
毎回、こういう共感できない人からの横やりでた。
感覚的には、
これがなければ倍はスピードが速かったと思います。
それをきっかけに新たなアイデアにつながったこともありますが、
同じことをやるのに、
2倍時間をかけるプロセスの
意味をまだ見出せてません。
そしてなによりもボクの心地がよくない。
大事なのは何かをやって
そこからどう良くしてことだと思うのだが、
そもそもそこに至る前にヘロヘロになってしまいます。
たいていの組織は、
陰口を言わず、他人を思いやる人が
ボロボロになっています。
だからボクは、
別な形、
自分の心地よさ感覚を
大事にした人生を味わってみたいと思っています。
それがこの違和感の正体な気がするのです。
もちろん、どちらが正解という話ではありません。
カレーを選ぶか
シチューを選ぶからという話で、
ボクはカレーをずっと食べてきたから、
いよいよシチューを食べるぞ、
と決めているだけです。
シチューの先に何が待ってるかは、
食べてみなければ分かりませんから。
何度も同じこと書くきますが、
大事なことは
相性の悪い相手で
ボクの選択を決めない、歩みを止めない
ということ。
ギフトだー!