こんにちは。ぐっちです。
年始の朝日新聞の思想家・内田樹さんへのインタビューが示唆にとんでいたため、シェアします。
有料記事ですから、要点だけを整理します。
詳細は朝日新聞上でご確認ください。
内田樹さんは、「新潮45」という雑誌の休刊騒動の背景に、現代の「共感の暴走」があると言います。
他人の幸福を喜んだり、不幸に同情する共感は、人間の美徳だと考えられていますが、なぜその共感が問題になるのでしょうか?
- 読者が求めている定型を、書き手も定型的に出しているという同語反復の循環の閉じられたサイクルが「新潮45」掲載の記事にはあった。
- 仲間内でぐるぐる回っているうちに、やばいことがわからなくなって節度を超える。
- ある種の人種集団や政治イデオロギー、文化や価値観が均質的であればあるほど共感は高まっていく。
- 共感の高まりを求めていくと、最終的には非常に排他的な同質性の高い集団が出現する。
- 全共闘運動でも、最終的には純化が進んで殺し合いになった。
- 共感自体は、肉体的に弱者の人類が生き延びる本能的な情動だが、共感過剰になると多様性が失われ、集団が非常に弱くなる。
- 東京五輪や大阪万博を見ても、盛り上がっているふりをすることだけが空転している。
- ボランティアを11万人集めるというのも、はじめに無償の労働者の人数を決めて、それを計画に入れて金が儲かるようにしているという「共感ビジネス」でしかない。
- 大事なのは子供の頃から色んな経験を積んで、経験を感情の襞(ひだ)に入れて、自分の感情を深く豊かなものしていくこと。
- 深く豊かな感情は、軽々に共感できなくなる。
- 共感が過剰になっているということは、一人一人の感情がシンプルでみんな同じものをもっていることが前提になっている。
- 本当の共感を呼ぶものは、一人一人が作り上げた感情の、さらに底の深いところにある。薄っぺらなもので動くはずはない。
- 理解も共感もできない他者とも、敬意という適切な距離感があれば、共生すること、一緒に価値あるものを作り出すことができる。
本当に内田樹さんは、もやもやとしたものを的確にすくい上げて言葉で輪郭を与える達人だと思います。
共感の暴走現象としては、「炎上」に代表される不謹慎狩りもそうだし、「トランプ大統領誕生」もそうだと思います。
これらに特徴的なのは、「排他的」なこと。
つまり、同調しない者に対して攻撃的。
感情的な対立。
これは、わたしが「本心からくる行動」をはじめるときによぎったことでもありました。
これ、他人に攻撃的にならないか?って。
ガマンや忍耐を止めて、まず自分の気持ちを優先すると、それまでのガマンや忍耐によって作られていたバランスが崩れます。
その現象は、一見すると独りよがりな自己満足で、他人に対して攻撃的になったと勘違いされやすいです。
そうなる恐怖が、「自分を幸せにすること」への最大の心理的ブロックになっています。
しかし、武田双雲さんのセミナーで気付けたように、両者は全く違います。
「本心からくる行動」によって起きたバランスの崩壊は好転反応だということでした。
薄っぺらい共感は、「不安」「恐怖」「怒り」をベースにしています。
だから、他者に対して攻撃的です。
強迫的に同調を求めます。
「不安」「恐怖」「怒り」を煽るのは、ナチスドイツを筆頭に歴史上何度も繰り返されてきた安易な大衆扇動策です。
一方で、「本心からくる行動」は、「楽しさ」「心地よさ」「よろこび」をベースにしています。
関心の対象が全く違います。
だから、他者に対しては必要以上に干渉しないで、「信じて見守る」
自分自身も、戦うを止めてゆるくなる。
「過保護」と「愛情」の違いで武田双雲さんが説明されたことです。
「本心からくる行動」と「共感の暴走」は、表面的にはとても似ていても、底では全く違う。
自分への肯定からはじまるか、他者への否定からはじまるか。
一見すると「本心からくる行動」をとっていそうなのに、何かしっくりこないものへのわたしの抱いていた違和感が、言葉という輪郭を持ちました。
その考えがすっきりした、いいインタビューでした。
このインタビューは、「新潮45」という雑誌の休刊について書かれた内田樹さんのブログがもとになっています。
より深く知りたい方は内田樹さんのブログもぜひご覧ください。