前回、同僚との「距離」について書きました。
私の場合、環境調整がなされても、それが身体に馴染み、体調が上向いてくるまでにはタイムラグがあります。
環境調整=回復、という単純な図式ではありません。
静かにいまの環境を受け入れ、余計な刺激を減らし、身体が自然に上向いてくるのを待つ。
私にとっては、そういう時間が必要です。
ところが、その過程で上司からは「同僚は今回の件をこう捉えているようだ」といった情報が入ってきました。
すでに距離を取ろうとしている対象の動向が、あらためて耳に入る。
それは私にとって不要な刺激でした。
距離を設計するとは、物理的な距離だけではなく、情報の距離を設計することでもあるのだと気づきました。
そんな中、大きな仕事の引き継ぎがありました。
単純作業が続いていた私にとって、仕事の幅が広がること自体は前向きな変化でした。
ただ、その引き継ぎは、特性の異なる別の障害のある方との、2週間にわたる密なコミュニケーションを伴うものでした。
ここで私が感じたのは、「誰が悪いか」という話ではなく、距離の設計がどうなっているのか、という疑問でした。
障害があるかどうかではなく、特性の組み合わせによっては、密なやり取りが大きな負荷になることがあります。
チームで支え合う設計が合う場合もあれば、一定の距離を保つ設計の方が安定する場合もある。
問題は人ではなく、設計です。
2週間、私はギアを上げ、細心の注意を払いながらコミュニケーションを取りました。
その中で、あるやり取りをきっかけに強い感情を向けられる場面もありました。
出来事そのものよりも、私にとって大きかったのは、距離が一気に縮まったときの身体の反応でした。
食欲が落ちました。
1か月で5キロ体重が減りました。
エネルギーが切れる
→身体がだるくなる
→再燃のサインではないかと不安になる
この図式が動きはじめました。
私の身体は、距離が崩れたときに、まず食欲から反応します。
以前は半夏瀉心湯で整っていた食欲も、今回は戻りませんでした。
六君子湯に変えても変化はなく、空腹で食べるというより、作業として食べている感覚です。
距離が保たれていれば、身体は静かに回復に向かいます。
しかし、距離が揺らぐと、身体はすぐに反応します。
この状況を懸念した支援機関の提案もあり、産業医との面談を行いました。
私が求めたのは、誰かを評価することではなく、産業医学的観点から障害者同士の距離の設計を会社に助言してほしい、ということでした。
これまでの経緯から、上司は「障害者チーム」という枠組みで設計する傾向があることは理解しています。
ですが、障害者雇用をひとまとめのチームとして設計するのではなく、特性ごとに適切な距離を調整する設計が必要なのではないか。
支援機関や産業医が話した内容によると、多くの企業が、上司対障害者という図式は作っても、特性の組み合わせを十分に考慮した設計として、障害者対障害者という設計を組織に組み込んではいないとのことでした。
もちろん、組み合わせによってはお互いが共感・信頼する存在として支えになることも十分あり得ます。
産業医からは、「体調が上向くまで休んだ方がよい」と助言を受けました。
休むかどうかは主治医の意見を待ちたいと思います。
ただ、今回あらためて実感したのは、回復とは気合や努力ではなく、距離の設計に大きく左右されるということです。
人間関係の善悪ではなく、強さや弱さでもなく、相性や構造。
距離をどう設計するか。
それは、私にとって回復の土台そのものなのだと思います。
障害者雇用をどう広げるか、という議論は多いですが、 どう設計するか、という議論はまだ十分ではないように感じます。