うつ病とともに生きるブログ ―続けられるかたちを探して―

東京都庁職員だった2012年にうつ病を発症。再発を繰り返し、2024年に反復性うつ病性障害と診断されて精神障害者となりました。何度も崩れて、そのたびに生き方を作り直してきたからこそ見えてきた道があります。うつ病を打ち負かす敵ではなく、共存する自分の一部として、しなやかにたくましく生きていく道です。このブログは、その過程での気づきを残す、無理をしない自然な生き方のメモ(Art of Naturalway)として、2017年から書き続けています。

2024年の小さな組織の行き先

こんにちは、ぐっちです。

 

沖縄での約3年間にわたる
小さな組織での取り組みは、
一つの区切りを迎えました。

 

最初は、
陰口ばかりが飛び交う組織からのスタートでした。
そこから人事改革に取り組み、
組織内の大きな歪みを
一つひとつ外していきました。

 

ここまでで、
およそ1年半。

 

ようやく、
外に向かってベクトルを出せる
状態になってきたと感じていました。

 

そこで、
事業計画をつくり、
求められている役割に
本気で取り組みました。

 

役場からの委託業務。
自主事業の開発。
DMO的な役割としての調整と合意形成。
地域行事への協力や、
職場体験の受け入れ。

 

現実的に、
組織に
求められているのは、
こうした仕事の積み重ねです。

 

そのうえで、
想定外の大型事業や、
観光計画改定の中心的役割も
重なりました。

 

正直に言えば、
かなりの過密状態でした。

 

当時のスタッフは少数。
年収は300万円前後。
この体制で、
これらすべてを
本気で回そうとしていました。

 

結果として起きたことは、
人的資源の限界を
明確に超えた、という事実です。

 

適応障害での休職。
体調悪化による退職。
そして、
わたし自身のうつ症状の悪化。

 

これは失敗というより、
実験の結果だったのだと思っています。

 

どこまでできて、
どこからが無理なのか。
それが、
はっきりと可視化された。

 

役場とも話し合い、
業務を減らし、
人員を減らし、
観光協会は縮小する方向に
舵を切ることになりました。

 

これは後退ではなく、
現実に合わせた調整です。

 

いくらわたしが
ベクトルを整理しても、
組織の中には
異なる価値観が共存していました。

 

地域協力を最優先に考える人。
利益を重視する人。
残業こそが正義だと考える人。

 

半官半民の組織で、
ゼロから大きな方向性を
そろえるには、
明確な推進力が必要です。

 

首長や会長といった、
強いリーダーシップが
不可欠だったと思います。

 

さらに言えば、
役割を分担できる仲間が
内部に必要でした。

 

それを期待して迎えた人材が、
結果的にその役割を
果たせなかったことも、
現実として受け止めています。

 

地域、役場、この組織。

 

それぞれにキーマンがいなければ、
限られたリソースの中では、
物事は驚くほど進みません。

 

そうしているうちに、
最初は強い意欲を持っていた人材が、
一人、また一人と離れていく。

 

これは、
日本の多くの地域で起きている
「負の新陳代謝」だと、
わたしは考えています。

 

都庁でも、
福島でも、
そして沖縄でも、
同じ構造を見てきました。

 

不思議なものです。

 

この組織が
どうなろうと、
本来であれば、
わたしの人生そのものには
直接の影響はありません。

 

それでも、
無意識のうちに
背負ってしまう。

 

そして、
背負い続けると、
笑顔がなくなっていく。

 

久しぶりに、
あの言葉を思い出しました。

 

もっとも重いうつ状態の中で、
リワークの過程で見つけた言葉です。

 

「肩の力が抜け、
足りているものに満足し、
小さなことを楽しむ、
しなやかで強い心を持った自分」

 

もし、
そういう自分だったら、
いまのわたしに、
こう声をかけると思います。

 

やれるだけのことは、
十分にやりきった。
結果が出きらなかったのは、
努力が足りなかったからではない。
結果は、
努力と比例しない。
運の要素も大きい。

 

だからこそ、
ここで起きたことを
気にしすぎず、
しなやかに、
明るく、
次のステージへ進めばいい。

 

この現生で、
24時間、365日、
一緒にいるのは、
わたしにとって、
わたし自身だけです。

 

だからこそ、
わたしは、
自分にあたたかい言葉を
かけ続けようと思います。