Restart with True Engine

長時間労働で発症したうつ病と3度の休職をきっかけに、全てがハッピーに向かうブログ。今の苦しさもハッピーエンドにつながる。止まらない不安に悩む方の背中をそっと支えられたらうれしいです。コメント&Twitterメッセージ大歓迎!

ブログとぐっちのこと

ブログに遊びにきてくださってありがとうございます(o^^o)

 

うつ病をきっかけに全てがハッピーに向かうブログ

「Restart with True Engine」のぐっちです。

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群馬生まれの沖縄在住。

 

沖縄に移住する前は、

東京都庁で14年間働いてました。

 

いまは、沖縄を盛り上げるぞー

っていう仕事してます。

 

好きなものは、

ヨガ

カフェ

スタジオジブリ

スピリチュアル

旅行

沖縄

読書

外食

動物

 

もともとはアニメーターを目指して

大学で映像の勉強をしていましたが、

挫折して、

東京都庁で14年間

総務をやったり経理をやったり働き、

別の生き方をしてみたいと

2021年沖縄に移住しました。

 

暮らしの中にずっと自分が自分じゃないような

違和感を抱えていたボクが、

うつ病をきっかけにして、

何度も絶望しながらも、

ハッピーエンドに向かって

再スタートをはじめる全てをブログに書いてます(^ ^)

 

 

うつ病の治療は8年を超え、

都庁では、3回休職しました。

 

大切なパートナーとお別れもしました。

 

ライフチャートにするとこういう感じ。

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ものの見事に不安定!!!

 

それでもいまは、

・うつ病を経験したからこそできることがある

・ボクがなりたいのは、

 命を脅かすような生活をしていた前のじぶんじゃない

・肩の力が抜け、足りてるものに満足し、

 小さなことを楽しむ、

 しなやかで強い自分に近づいていきたい

・すべてがハッピーに向かうだけ

と考えています。

 

 

でも、最初からうつ病を

前向きに捉えられたわけではありません。

 

何度も諦めそうになりました。

 

何度も心が折れました。

 

ボクの人生に楽しいことはなく、

「うつ病の再発予防」のためにエネルギーを節約して

消化試合のような人生を過ごさなければならないと考えていました。

 

ボクはもともと、

じぶんが嫌いでした。

 

他人の機嫌と自己嫌悪に苦しむ

 

子どもの頃には、

じぶん自身のことを、

「他人を不愉快にさせる存在」

とすら思ってました。

 

中学校に入学してすぐのことです。

 

教室の後ろで友達と遊んでいると、

「てめえ調子に乗ってんじゃねーよ」と、

学年一のヤンキーに絡まれたことが、

ボクのその後の生き方を決定づけました。

 

いまも鮮明に覚えています。

 

なぜ絡まれたのが訳がわからずに

たどりついた結論は、

「ボクが楽しいと他人は不愉快になる」

でした。

 

いま考えると、

「いやいやそんな」と思いますが、

当時は学校という

閉ざされた世界に適応するために必死でした。

 

しばらく立ち直れませんでした。

 

ボクは楽しさを封印しなければならない。

 

ボクの心は躍らなくなりました。

 

そのあと、

まず第一に他人の目線を意識して過ごすようになりました。

 

「他人を不愉快にさせない振る舞いを

どうやって身に着けるか」

が人生の基準になって、

心を分厚い鎧で隠すようになりました。

 

こういう出来事はその後も続きました。

 

大学卒業した後、

「アニメーターになりたい」という想いだけで

行動に移せなかったボクは、

とりあえず近所の大手電機店チェーンでパートを始めました。

 

入社して1ヶ月もたたない日。

 

ボクが接客した客からクレームの電話がありました。

 

本当に些細なことでしたが、

これほど怒鳴られたことはないというくらい

電話で怒鳴られました。

 

ボクの態度が気に食わないようでした。

 

ここでも、問題は

「ボクの態度」

でした。

 

ショックでかなり落ち込みました。

 

ボクはいたって普通に接客したつもりでした。

 

それが、人をここまで不快にさせるなんて……

 

ということは、

「やはりボクは人を不快にさせる存在なんだ」

と、

いままで以上に厚い仮面をかぶって

コミュニケーションをとるようになりました。

 

ボクはまったく普通にしているつもりが、

そのたびに

「不愉快になった他人の爆発的な感情」

を突き付けられました。

 

忘れようとしても忘れられない体験を繰り返して、

知らず知らずのうちに、

「僕という存在が、他人を不愉快にする」

と確信していきました。

 

人間は、体験の臨場感から一番学ぶんですね……

 

その確信は、

いつのまにか

ボクの行動のすべての基準になっていました。

 

ボクは他人の態度に細心の注意を払って生きるようになりました。

 

 

もう一つ

忘れられない記憶があります。

 

目標を立てては挫折していたじぶんへの

自己嫌悪

です。

 

中学・高校で、

壮大な勉強計画を立ててはテレビやゲームに逃避し、

計画倒れに終わって

自己嫌悪にもんもんとすることを繰り返しました。

 

アニメーターになりたいと芸術大学に進学しましたが、

絵を描くことに熱中できず本格的な絵の練習からも逃げ、

マンガやゲームに没頭しました。

 

結局、アニメーターにはなれませんでした。

 

アニメーターを諦めた後の就職活動でも、逃げました。

 

ボクは、

「自分の中身は空っぽなんじゃないか」

と思ってました。

 

それを知られることが何よりも怖くて、

他人に心を開くことができませんでした。

 

ほんとは仲良くなりたいのに……

 

いつも寂しさを抱えていました。

 

孤独でした。

 

自分を変えたいとがむしゃらに働いてうつ病に

 

ボクは、

じぶんを変えたいと強く強く強く思っていました。

 

目標を実現することで

自信が生まれ、

じぶんは変わっていくのではないか?

 

そう思いながらも、

逃げてしまうじぶん。

 

大学を卒業しても道は定まらず、

無職やフリーターの期間を経て、

公務員試験の勉強をして

25歳で東京都庁に就職できました。

 

他人の顔色を何よりも優先させているので、

周りに流されるまま真面目に仕事をしていたら、

いつの間にか超激務な担当になっていました。

 

ボクは何もそういう働き方を望んでいないのに。

 

月の残業時間が

過労死水準をはるかに超える150時間となることもあり、

「遠慮していたらとても終わらない。」

「頭のねじを外そう」と、

自分の限界を追うようになりました。

 

その仕事をなんとか1年やり通しても、

昔からの会社のルールに従うためだけの

仕事の内容に意味が感じられませんでした。

 

「どうせ疲弊するならせめて人の役に立ちたい」と、

東日本大震災からちょうど1年たった4月に

被災地の県庁に派遣希望を出して異動しました。

 

派遣された県庁では、

震災から1年経っても

すべてが場当たり的・非合理的、

仕事のための仕事ばかりで

本質的には何も解決していかないように感じました。

 

そこで、

「これまで何もかも中途半端なボクだったから、

ここで限界に挑戦しよう」

と心に決めました。

 

被災地にいられる期間の1年の間に、

業務改善案や新規提案を次から次に実現しました。

 

異動して半年くらいたった頃から、

なぜか会社のやることが何もかも的外れに感じ

絶えずイライラするようになりました。

 

本を読んでも人と話していても

内容が頭に入ってこなくなりました。

 

何も楽しくなくなってきました。

 

その状態がしばらく続いた11月下旬のある日。

 

出勤すると、

電話の音がボクの神経を突き刺すように刺激して、

次から次に止めどなく不安が押し寄せました。

 

職場にいることができず、

帰宅して心療内科へ行きました。

 

診断名は、

「適応障害」

でした。

 

ここからが、

今に至るまでの精神疾患との長い付き合いの始まりです。

 

次の年の3月までだった被災地での勤務期間が短縮され、

12月に都庁の以前の職場に戻されました。

 

東京に帰ると、 

気まずい雰囲気でした。

 

派遣先の病院から紹介された新宿の精神科へ

通院をはじめました。

 

「限界に挑戦する」という想いは果たされ、

確かに限界は見えました。

 

でも、

ボクの中での「中途半端なボクを変えるプロジェクト」は、

まさかの幕切れとなったのです。

 

繰り返すうつ再発

 

東京に戻って出社を続けていましたが、

SNSに振りまわれて体調が悪化し、

仕事を休職することになりました。

 

ボクの症状の特徴は、

・電子音や集団の話し声など騒がしい音が耐えられない

・食欲がまったくない

・頭が暑くて寝付けない

でした。

 

この3つは、寂しさとともにその後もボクの大事なストレスサインです。

 

食べたいという気持ちがなくなって、

体重も50キロを切りました(身長172センチ)。

 

布団で横になっていることしかできず、

無表情でスマホで「笑ってはいけない」シリーズを

観ていたことを覚えています。

 

この時から抗うつ薬の治療が始まり、

1ヶ月半休んで復職しました。

 

「あぁ、なんだ、治るじゃん」

「もう大丈夫だ」

と安心しました。

 

しかし、、、

その後も再発を繰り返すことになりました。

 

体調が回復するたびに、

自分の許容量を超える下降気流に押し戻されました。

 

2度目の休職が最も長く、

「うつ状態」

と診断され、半年間仕事を休みました。

 

この時は、

ある日起きるとまったく体がいうことを聞かなくなっていました。

 

布団から起き上がれない期間は長く、

テレビも一切見ることができない、

文章もまったく頭に入ってきません。

 

メールを1行書くのに、

1時間かかったことを覚えてます。

 

このまま働けなかったら、

収入がなくなって生きていけない……

 

新婚だったボクは、

絶望しました。

 

結局、

現時点で3回仕事を休職しています。

 

細かい落ち込みを入れると数え切れません。

 

繰り返しているうちに、

ボクが押されて不時着(うつ症状の再燃)するのは、

だいたい次のような時ということが分かってきました。

 

・体調が回復してきたと会社に思われると、

 やってもやっても仕事が終わらない状況に置かれて、

 残業が増えてリカバリできなくなって

 仕事が頭から離れなくなる

・相性の合わない上司や同僚に振り回されて、

 頭から離れなくなる

・意味を感じない仕事なのに量だけは多く、

 余裕をなくすような状況を理不尽に感じている

・引越しや異動などの環境の変化がある

・抗うつ薬の減薬・断薬に挑戦する

 

再発を繰り返すうちに、

もうボクに残された道はないと思うようになりました。

 

「八方塞がり」

「袋小路」

というやつです。

 

この会社に残ることも地獄だし、

この体調でできることも少ないし

雇ってくれるところもないだろうし、

仮に転職できたとしてもそこで再発したら無職になってしまう……

 

もうボクは、

人を使い捨てるこの会社で、

相性の悪い上司や同僚に耐えながら、

再発をしないように

ひたすらエネルギーを節約して生きるしかない。

 

そう思っていました。

 

ボクの体調は、

妻にも長い我慢を強いることになり、

ボクの心無い言葉で離婚もしました。

 

うつ病の治療

 

ところが、

そのボクを変えていったのもまた、

うつ病だったのです。

 

うつ病は、

絶望の悪魔か、

幸運の女神なのか。

 

きっかけがうつ病だとすると、

ガソリンとなったのは、

あれほど否定し続けたボクの性格でした。

 

2度目の休職の際に、

リワークプログラム

(医療機関などで行われる復職プログラム)

に参加しました。

 

そこではじめて、

・認知行動療法

・マインドフルネス

・コーピング

・アサーション

・アンガーマネージメント

・自律神経訓練法

などの、

じぶんを良いものとも悪いものとも決めつけないで、

じぶんを観察して、

じぶんに合った取り扱いを身に着けていく方法

を知りました。

 

これほどたくさん

じぶんをうまく扱うテクニックがあることに驚きましたし、

その時ですでに3年近く治療を続けていたにも関わらず、

そうしたものと一度も出会わなかったことにも

衝撃を受けました。

 

それどころか、

30年以上生きてきて、

一度もなんの接点もなかったとは。

 

なんでこの国では、

こうしたじぶんを大切にする大事な技法を学ぶ機会がないのだろう??

 

その疑問が、このブログへとつながっています。

 

当時お世話になっていた精神科医の話だと、

あらゆるテクニックがあっても、

苦しみの大きさに比べて、

テクニックの地味さがあるため、

コツコツと取り組む人はボクを入れて2人しか知らない、

と言ってました。 

 

ここで、

ボクの生真面目な性格がいかんなく発揮され、

いまも続いている新しい習慣がたくさんあります。

 

これも、たくさんの人に知ってもらいたいと思った

きっかけです。

 

うつ病のその先のゴール

 

さらに、うつ病をきっかけに

たくさんのすばらしい人や言葉との出会いに恵まれました。

 

うつ病以前のボクだったら、

スルーしてたと思います。

 

・素直さとマインドフルネスを優しさで身近に学ばせてくれたパートナー

・うつ病はエネルギーが大きいから起きると視点を変えてくれた山口ユースケさん

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・ポジティブは性格ではなく技術であると教えてくれた武田双雲さん

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・本当の自分に気づかせてくれたシータヒーリングのTさん

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・心を鍛えるのは努力ではないく良質なリラックスと教えてくれたアート・オブ・リビング

 

薬物療法や認知行動療法でうつ症状がおさまっても、

「うつ症状が抑えられただけ」

で、行き詰まりを感じていたボクに、

これらすべての経験がつながって教えてくれたのは、

ボクは、

ボクの心が何も無理することなく

幸せだって思う生活がしたい

ということでした。

 

うつ病を「治して」

生存を脅かすようなうつ病前の生活に戻りたいと思っている?

 

違います。

 

それは会社で活躍する他人との比較で、

勝手にボクが劣等感を抱いていただけで、

ボクの心から望むボクの幸せではないです。

 

ボクの幸せは、

周囲から「こんなことできてすごいね」って言われるけど

毎日終電で帰って

私生活はちっともないような生活にはありません。

 

やっとボクは、

治療のその先にある、

ボクの人生のゴールを見ること

に気づけたのです。

 

それは、まぎれもないボクのオリジナルでした。

 

もともと持っていた自己肯定感の低さ、

うつ病

再発

治療

出会い

そのどれか一つでも欠けても、

この気づきはなかったでと思います。

 

一人ひとりのオリジナルな幸せの形。

 

それはある意味、

「ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)」

です。

 

ここに気付くまでにボクがとっていた方法は、

あくまで「うつ病を治す」ことをゴールにしていました。

 

もちろん「うつ症状をおさえる」ことは

すごく大事です。

 

でも、それは「全て」ではないんです。

 

「うつ病を治すこと」をゴールにすると、

選択はすべてうつ病基準の消去法で、

人生が消化試合感を持ってしまいました。

 

この時一緒にいてくれた妻には、

とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

うつ病を治すためだけに

存在している人生はないです。

 

「うつ病がなおったー」とともに死んでも、

きっとあれがしたかった、

ここに行きたかったという想いが残ります。

 

「うつ病かうつ病じゃないか」

に関係なくボクがやりたいことってなに?

会いたい人は誰?

食べいたいものは?

 

「再発するかもしれないからやらない」

というブロックを外して、

「うつ症状もボクの一部」と動き始めたら、

うつ病の時は、

永遠に無理だと思っていたことができました。

沖縄一人旅

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長年の夢だったインドへのヨガ旅行

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屋久島縄文杉トレッキング

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生まれて初めて、

ボクの命が燃えている気がしました(T_T)

 

まさか、こういう瞬間がボクに訪れるとは……

 

体が鉛のように重く

布団の中でただひたすら孤独と向き合っていた時には

考えもしなかったことです。 

 

もうボクには雀の涙のガソリンしか残されていないのだから、

どうやって節約するかだけを考えていたのに、

ちゃんと心が動く方向にあるけば、

エネルギーが湧き上がってきました。

 

消化試合じゃないじゃん!

 

落ち込むボクもボク

 

じぶんの本当のゴールがあることに気づいた後も、

気分の落ち込みはあります。

 

落ち込めば、苦しいです。

悲観的な気持ちにもなります。

 

けれど、

その気持ちのままボクを

良い悪いと決めることはやめました。

 

すると、

「再発を繰り返すたびに、治療期間は倍になる」という

うつ病の定説からは完全に外れてました。

 

実は、

うつ病が絶望の悪魔か幸運の女神かを決めるのは、

ボク自身だったのです。

 

それは、うつ病に限らず

全ての物事、

森羅万象に言えることでした。

 

それをブッダは

「色即是空 空即是色」

という言葉で残しています。

 

うつ病を「克服」して、

バリバリ稼いでいる人を見るのがつらいのも、

理由はここにありました。

 

ボクにはうつ的傾向がオリジナルとしてあるので、

それを「克服」する対象とすることに、

ボク自身を否定してしまったんです。

 

もう、世間が受け入れるかどうかは別として、

うつ上等!

それがボクとっては自然体。

 

以前のボクとの違いはたった一つ。

 

とらえ方の前提の違いだけ。

 

ある出来事をその瞬間の気持ちでとらえれば、

とても悲観的なことかもしれません。

 

その最中の苦しみは想像を絶します。

 

それでも、

視点をぐんと宇宙に飛ばしてみれば、

「あれがあったおかげで」と

その出来事が何かにつながることは必ずあります。

 

ボクのうつ病はまさにそうです。

 

言葉にできないほど辛い時期でしたが、

その前の生活を続けていたと思うとゾッとします。

 

ある出来事それ自体が意味を持っているのではなくて、

その出来事からどの意味や学びを引き出すかを決めているのは

ボク自身です。

 

否定的なエッセンスを引き出しているのであれば、

未来は自然とそういうものになっていくでしょう。

 

何しろ、たった一日でも、

何時に起きるか、

起きてからどう動くか、、、

ボクたちは無限の選択をしていますから。

 

「うつ病の再発予防のため」だけに生きていたボクのように

「不安」「後悔」をベースにしたら、

「失敗しにくい」人生にはなるかもしれませんが、

彩りあふれる豊かな人生になることは難しいです。

 

ましてや、「失敗しない」はずでも失敗したら、

もう行き詰まりです。

 

うつ病の再発はそういう感覚に似ています。

 

失敗もOK

うつ病もOK

 

ボクは、そういうじぶんになりたい。

 

試行錯誤の方向が、

「うつ症状が再燃しないこと」

から

「心の動く方向にまっすぐ歩くこと」

に変わりました。

 

そして全てはハッピーに向かう 

 

別れた妻から、

すばらしい言葉をもらいました。

 

「全てはハッピーに向かうだけ」

 

人間は生存競争に勝つために

「不安」や「後悔」に敏感にできています。

 

だから、意識しなければ自然とそちらに流れていきます。

 

それを、「ハッピー」になることを前提に

あらゆる出来事の意味や学びを引き出していったら。

 

引き出すための神経を鍛え続けて言ったら。

 

4度目の落ち込みでは、

それをきっかけに都庁を退職して

沖縄移住を実現しました。

 

お金は使えばなくなりますが、

感謝はしすぎてもなくなることはありません。

 

美しい海を見たり、

心の温かい人と会うと

自然と心が動くように、

ボクたちには計算できない無限の愛が眠っています。

 

その力を引き出せたら。

 

いままでとは違う人生が待っていそうですよね。

 

今までの前提と行動の延長には、

今までと同じストーリーが描かれます。

 

もしじぶんを変えたいなら、

前提を変えて、

行動を変える。

 

もちろん、馴染んだ世界を離れることに、

脳は抵抗します。

 

馴染んだ世界は「安全」だし「失敗しにくい」ですから。

 

でもそれを、「そっちじゃないんじゃない?」と

教えてくれたのがボクにとってのうつ症状でした。

 

だからいまは、

うつ病はアップデートのサイン

と捉え方が変わりました。

 

落ち込みが来ても、

あ、これは何かを変えるサインだな

と以前よりうろたえません。

 

ボクは、意図せずして、

努力や根性とは違う形で

「じぶんを変えたい」という願いを

実現しつつあります。

 

実はインドには、

「体を鍛えるのは努力だが、

心を鍛えるのはリラックス」

という考え方があります。

 

リラックスして笑って過ごしたいという願いは、

何千年も前から人類の願いです。

 

挑戦するにも十分魅力的なテーマです。

 

あなたの努力が足らないのではない

 

ずっとじぶん自身に違和感を持って、

変わりたいと願っていボクが、

本当のゴールに気づいた今、

・子どもの頃に心を殺していたじぶん

・うつ病でボクの人生は消化試合と思っていたじぶん

に、

そこではない世界へ行こうと

寄り添うような優しい気持ちになります。

 

ただ、

できることなら、

うつ病という大病を何度も経験しなくても、

心の声に気づけたら

という悔しい気持ちがあるもの正直なところです。

 

ボクの固定観念はそれほど強く、

何度も何度も宇宙から軌道修正されているのかもしれませんね。

 

当時は、本当に孤独でつらくて、

変われない、

治らない、

未来なはない

と思い込んでいました。

 

でも実はそんなこと全くなく、

ずっと右を向き続けていて、

右を向く首の筋肉が鍛えられて

左を向く首の筋肉が極端に弱っているだけです。

 

左を向く首の筋肉の鍛え方を覚えればいいんです。

 

性格や才能ではなく技術だから、

ミスター中途半端だと思っていたボクが変われました。

 

「そんな簡単なことで変わるはずない」と

頭の片隅でどうも腑に落ちない感じがしませんか?

 

それは、知らず知らずのうちにばかでかく育て上げていた

固定観念や強迫観念の声です。

 

「うまくいかない」「変わらない」を集めすぎて、

「できないじぶん」にリアリティを感じているだけです。

 

未来は決まってないんですから。

 

リアリティを感じていること通りになるか、

誰にも分かりません。

 

ボクはじぶんの身をもって知ることができたので、

同じように先の見えない不安や息苦しさを抱える方に、

一緒に気づいて、

このノウハウをより洗練して、

じぶんを殺す生き方が

「この国には同調圧力っていう文化があったらしいよ」

と言われるくらいの

過去の遺物になってほしいと強く願っています。

 

これはもうライフワークにしてもいいくらい

意味のあることだと思います。

 

ボクはこのブログでノウハウを発信しながら

試行錯誤を続けて、

あの頃のボクと同じように悩んでいる

あなたの力になりたいと思っています。

 

このブログでは、

試行錯誤の全てを解説していきますので、

ぜひ「じぶんの本当のゴールにきづくヒント」を

見つけてもらえたらうれしいです!

 

「ずっと治療が続いて先が見えない……」

「他人に合わせてばかりでつらい……」

「良いことがない……」

「ワクワクすることがない……」

「じぶんが信じられない……」

 

あなたが今もしそう思っているなら、

それはあなたの努力が足らなかったり、

あなたに価値がないからではありません。

 

ぜひあなた自身のゴールに気づいて、

本当の気持ちにに寄り添った

あなたのオリジナルなストーリーを始めましょう。

一緒に変わっていきましょうね!

 

このブログには、

そうしてボクが経験してきたすべてを書いています!

最初から読んでいただくと、

ストーリー仕立てで分かりやすいですが、

かなりの長さになってきましたので、

おすすめ記事一覧からどーぞ!

www.artofnaturalway.com