続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

3度目の休職。泣いていた心をごまかし続けた。

こんにちは。

ぐっちです。

これまで断片的に書いてきました休職に至る出来事についてです。

 

これまで具体的に書くことは避けていました。

 

ただ、このブログは、わたしの経験をシェアすることで、

一人でもささやかであっても、

息苦しい生き方を強いられている方の心をほぐすきっかけとしていただくことが目標ですから、

すこし整理して勇気を出して書きたいと思います。

 

まず、これまでも度々書いてきた、5年飲んだ抗うつ薬サインバルタを断薬した中断症状中の引っ越しというキラーストレスがありました。

 

振り返ってみると、5月頃に聴覚過敏が出たあたりが、黄色信号でした。

 

大変な作業でしたが、妻の活躍とジアゼパムで乗り切りました。

 

そして、神経が衰弱しきったところで、引越しによる環境の変化、犬との同居がはじまり、落ち着く間なくこれまでの反動が一気に吹き出しました。

 

伸びきったゴムが切れました。

 

身体に反応が出るのは、いつもタイムラグがあります。

 

そしてもうひとつ。

長く地下水のように無意識に流れて続けていたことがあります。

犬のための生活です。

 

だいたい4年前。

妻との結婚を決めた時、なんて優しくて、素直で、明るくて、偏見をもたず、人の痛みの分かる、さっぱりとした美しい人なんだろうと思いました。

 

妻と出会った時は、1度目の休職の時です。

わたしはもう永遠に結婚できないだろうと絶望していました。

 

しかし、妻はうつ病で休職中のわたしに気さくに声をかけてくれました。

 

被災地で死ぬほどがんばったわたしへの、神様からのご褒美だと思いました。

 

この人とだったら、おじいちゃんおばあちゃんになっても、旅行したり、景色をみたり、食事しながら、いろんな体験を共有して過ごしていけるって思いました。

 

いつか子供ができても、そうやってみんなで、一緒に泣いたり笑ったりいろんなことを共有できる家族になると思いました。

 

だから、「あなたとずっと一緒にいることが願いです」とプロポーズしました。

 

2度目の休職中も、妻の人柄にどれだけ救われたか、どれだけ学んだかわかりません。

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長い闘病は、妻にもたくさんのガマンやもどかしい思いをさせたことと思います。

 

それにも関わらず、病気を責めず、明るく、なんとかなると言い続け、元気にそこに居てくれました。

 

困難を乗り越えるものすごい力をもらいました。

 

言葉では言い表せないほど感謝しています。

学びの足りないものは人を責め、学びつつあるものは自分を責め、学んだものは自分も人も誰も責めない。

といった妻が大切にする言葉も好きでした。

 

そして3年前、犬を飼うようになりました。

 

当時わたしは2度目の休職中の最悪期で、外出中にたまたま立ち寄って、

義母がなんとなくこの子に決めたと、いつのまにか飼うことになっていたことをおぼろげに覚えています。

 

ほとんどはじめての犬に戸惑いながらも、別々に住んでいましたし、はじめの頃は、散歩にいったり楽しかったです。

 

妻は仕事で色々ありながら、義母からなぜか妻一人が飼い主としての責任を責められることが多くなり、妻は「文句言われるくらいなら一人でやる」と言うことが多くなりました。日々責められることが妻にとっては何よりのストレスだったと思います。

 

わたしは、犬と過ごす生活をまったく想像していなかったので戸惑いました。

犬を飼いたいと想像したことも、それまで一度もありませんでしたから。

 

でも、犬が嫌いなわけでもないし、たまの休日に合わせれば済む話だと思ってやりすごしました。

 

たまに行く犬との旅行はそれなりに楽しく、休日の犬の散歩もそれなりに楽しんでいました。

 

ほんの少しだけ、前から妻と行きたいねと何度か話していたところに、もうそう簡単に行けないこと、2人で気軽に食事に行ったり映画に行ったり温泉に行ったりできなくなったことに、寂しさを感じていました。

 

でも、妻と犬の嬉しそうな顔をみると、仕方ないか、と心の奥の引き出しにしまいました。

 

その後妻は、愛犬家仲間も増え、より犬と過ごす時間、犬のための行動の割合が大きくなっていきました。

 

決して器用ではない妻が、経営者、理容師、犬の飼い主、妻とたくさんの役割を抱えて、とても余裕がなく追い詰められいるようで、心配でした。

 

妻は講演に呼ばれることも出てきて、引き継いだ店の借金も完済し、店の様々な改革もこなし、経理も引き継ぎ、活動の場をどんどん広げていきました。

 

この頃から妻は、イライラしているように見えました。全身から針が出て触ろうとすれば血が出るヤマアラシのようでした。

 

わたしには、できる範囲のサポートと、見守ることしかできませんでした。

 

わたしが手を出したから解決するという話でもありません。

 

わたしはわたしで、睡眠薬の断薬や、抗うつ薬の断薬、仕事のくだらないことで恫喝されるストレスに、小さな一歩で精一杯だったこともあります。

 

突っ走る妻にとっては、わたしの他人よりも明らかに遅いペース、仕事ですぐストレスを溜め込む性格、先のことの不安にウロウロする様子は、どう見えたでしょうか。

 

妻は、ますます犬中心のライフスタイルに変わっていきました。

 

わたしは、生き物が好きです。

 

犬も好きです。

 

でも、それをはるかに超える妻の犬へのエネルギーは、わたしのはるか先を突っ走っていきました。

 

ここ一年くらいのことです。

妻は遠くに行ってしまい、わたしは一人でした。

 

妻の見ている景色が、わたしには見えません。

 

犬との時間は、多くの慣れない役割に全力の妻の、大事なストレス発散だと見守りました。

 

それは、わたしのコントロール外のことです。

 

それをやめてくれと言うことは、妻の大事なストレス発散を奪うことになります。

 

大切な妻の時間を奪うことは、わたしにはとてもできません。

 

何よりも妻が元気でいることが一番大事なことですから。

 

元気であれば、時間はかかっても色んなことはなんとかなる。

 

わたしの経験則です。

 

ただわたしは、結婚を決めた時の、二人で、家族で共有するというよりも、犬の世話をする妻をサポートする同居人のようになっていっていると感じ始めていました。

 

もちろん引越しでもマンション売却でも、妻はストレスを抱えるわたしに代わって、最大限サポートしてくれました。

 

ありがたかった。

妻がいたからなんとかなった。

 

なのに、ときどき、家にいても孤独でした。

 

妻は、「人間は一人でできるけど、犬は何もできないから犬を最優先にするのは当たり前」「しょうがない」とよく口にするようになりました。

 

わたしには、わたしの体調と犬の生活を比較され、天秤にかけられているように感じ、ものすごく傷つきました。

 

でも、犬と別々に住んでいて物理的な境界があったおかげで、やり過ごせていました。

 

犬を責める話でもないし、妻を責める話でもありません。別に明確な悪者はいません。

浮気でもない、借金でもない、犯罪でもない、暴力でもない。

わたしの心は次第に居場所を失い、ナーバスに、心の中は泣いていました。

 

そこに、引越し、犬との同居の話が突然持ち上がりました。

物事は、やってみないことにはわかりません。

ローンが嫌だったことも確かでした。

犬との同居を初めてすぐに、既にピリピリに過敏にだった神経は、生活に支障をきたすまでになりました。

狭い家なので、わたしの逃げ場もありません。

 

わたしのコンディションは、みるみるずり下がっていきました。

わたしは、妻の優しくて、素直で、明るくて、偏見をもたず、人の痛みの分かる人柄が大好きです。

妻と毎日話ができないと、寂しくて仕方ありません。

心に大きな穴が空いたようです。

ドラマをみて夢中になる妻、ニュースに本気で怒る妻、変な動きをする妻、レジ締めの後に大喜びでアイスを食べる妻、カレーが大好きな妻が大好きです。

 

妻の大事な犬を奪うこともできません。

 

わたしが適応できさえすればと、犬について割り切るための行動もとりましたが、コンディションの低下の方が早く進みました。

 

わたしには、どうしたらよいかわからなくなりました。

 

うつ病と共存すると心に決め、残ったエネルギーの配分の中で、いつか会えるかもしれない自分の子供にとっておきたかったエネルギーを、犬に対して使わなければならないという心の整理を、わたしはどの時点でもしていませんでした。

 

犬を飼うということの温度差が、そこまで大事になるとは考えてもいませんでした。

 

心の迷走状態になりました。

 

何度も何度も何度も、犬がいなかった時の2人の生活、旅行を思い出しました。

 

それが、主治医がナーバスな状態と言ったところです。

 

体調は仕事にも支障をきたすようなり、休職することになりました。

 

わたしが何か物事に対処する体調ではないため、主治医の指示で、家族の力が必要な段階だから、この話については、わたし抜きでお互いの家族間で話し合ってもらうことになりました。

 

それが、昨日までの話です。

 

ここまでの話を聞き、話し合いのために電話する様子を見た同居中の弟は、「兄貴の抱えていた大変さがよくわかった。それは、兄貴のもともとのコンディションではなくても大変だよ。そりゃ、普通に大変な話だよ。あとはオレたちに任せて、兄貴はゆっくり休んでくれ。」と言いました。

 

涙が止まりませんでした。

 

そっか、わたしがうつ病だから、わたしが弱い人間だから、わたしがダメだから、わたしの努力が足りなかったから、わたしが適応できなかったのが悪いからじゃなかったのかな。。。

 

わたしはやれるだけやったのかな。。。

 

家族間の話し合いの調整は弟にお願いしました。