こんにちは。ぐっちです。
メンタルヘルスのために一切触れないようにしてきたSNS。
その中に答えがあるかもしれないと言われて戸惑うぐっち。
ユウスケさん:
タブー(禁止にしてること)って、あえて自分がその力を封印しているという設定ですから、うまくいかないときは、自分がタブー視している中に答えがあることが多いんです。
ぼくもありますし。
ぐっち:
え、ユウスケさんでもあるんですか。まったくなさそうですけど。
ユウスケさん:
いや、ぼくにタブーがなかったらやばいですよ。笑
すごい人はみんな紙一重ですからね。
ホリエモンとか、カルロス・ゴーンとか。笑
タブー視しているものは、何も見えていないんです。
全部ダメって自分で設定しますから、最初から何も見ない。
その分、見始めたときの可能性はすごいですよ。
やってみようかと思えば方法はあります。
ここで、前日のシータヒーリングの話をしました。
朝起きると、もう自家発電された愛で満たされて、愛がプラスアルファされていく。
誰もが喜怒哀楽を味わっている調和した自然な世界。
自分を許し、世界が許され、すべてはあるがままで輝く。
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ぐっち:
そういうわけで、なるほどーと思ったんですが、うーん、具体的には何をやるんだろうと。
ユウスケさん:
「具体的に何をやるか」にとらわれているところが、すでに現実を見ていますね。
「抽象的に物事を見たほうが明確になる」という考え方があるんです。
例えば、子供に、「将来何の仕事に付きたいか」と具体的に聞いたとします。
それ実は、明確じゃないんです。具体的に聞いているのに。
まだ世の中に何の仕事があるかかもわからない子供に、何の仕事に付きたいか聞いてもまったく分かりませんよね。
具体的な答えは出てこない。
でも、どんなふうに生きていきたいか聞けば、「南の島に行きたい」「ママと一緒にいたい」「おいしいものを食べたい」とか、色々言うじゃないですか。
それって抽象的で曖昧じゃないですか。
ですが、子供はそっちの方が明確に答えられる。
つまり、「具体的にしすぎると明確じゃなくなる」という逆説的なことが起こるんです。
曖昧な方が的が大きいんです。年収や勤務地とか具体的になればなるほど、的が狭まります。
的が小さくなるほど、的に当たらなくなる。
それが、的はずれな生き方ですよね。
的は大きい方が当たりやすい。
「あれをやらねばならない」と考えるよりも、「こんな風になるにはどうしたらいいでしょう」と自分に聞くことです。
聞いたらあとは、ぼーっとしてればいいんです。
問い詰めればと問い詰めるほど、パニックになりますよね。
大事なのは「やり方」じゃなくて、「あり方」なんです。
「あり方」を維持していると、「やり方」が湧いてきます。
「やり方」を突き詰めようとすると、「あり方」が分からなくなる。
問い詰めずに感じることです。
「あり方」は、思考じゃなくてインスピレーションですから。
思考でやることは左脳的で義務感でやるから、感情が追いついていかなくて、長続きしないですよ。
インスピレーションは左脳と右脳が交信しあって、スパークして出てきます。どっちの良さも活かしている。
インスピレーションでやるものは、うまくいくし、すぐにうまくいかなくても、うまくいくまで苦もなく続けられる。
やり方うんぬんの前に、「どういう感情でいたいか」です。
そういう感情、もうすでに達成したときのような感情で毎日過ごす、という「あり方」。
「今の自分だったら、もう呼んだら人が集まるよね」という感情で過ごす。
ぐっちさんは、もう十分それだけ価値のあることをやってきて学んできているだから、価値はもう持っていますよ。
あとは知られるだけです。
ぐっち:
何かの付加価値がないと、自分には価値がない。自分の価値は二次的なもの。
そういう固定観念が相当強いです。
無条件に価値があるという「あり方」があっても、固定観念がなかなか変わっていかないんです。
理屈は分かったような気がするんですが、腹に落ち切らないといいますか。
どこかで、ユウスケさんのような人は、特殊能力があると思ってます。笑
つづきます。