Restart with True Engine

長時間労働に悩むサラリーマンが、うつ病と3度の休職をきっかけにアップデートしようと試行錯誤するブログです。止まらない不安に悩む方の背中をそっと支えられたらうれしいです。コメント&Twitterメッセージ大歓迎!

想いを刀に

こんにちは!

人生を自然で豊かにするヒントを紹介していくブログ「Restart with True Engine」のぐっちです!

 

「鬼滅の刃」最終巻23巻が発売されました。

 

去年の11月に人から教えてもらって、

最初は、そうでもないかなーと思いながら、読み進めるごとに引き込まれていって、最後は映画でも泣き、最終巻でも泣き。

マンガで泣いたというのは、ちょっとボクの記憶にありません。

宮崎駿さんが16年かけて描いた命をめぐる壮大な叙事詩「風の谷のナウシカ」に通じる、生と死、命の物語だとボクには思えました。

映画を観たときに、これは向き合って何か書きたいという気持ちになりました。

そう、「何かがしたくなる」、心が燃えたんです。

 

産屋敷耀哉の科白にあります。

永遠というのは人の想いだ

人の想いこそが永遠であり

不滅なんだよ

 

そして、マンガ史に残るキャラクターとなった鬼舞辻無惨、煉獄杏寿郎 。

鬼舞辻無惨は、究極の生物を目指して、物質的「命」に執着した存在でした。

無惨に象徴されるように、鬼たちはただ肉体を強化(鬼化)することで、命をつなごうとした。

 

一方で、鬼殺隊の隊員たちは、煉獄杏寿郎を筆頭に、想いをつなぐことに、命のつながりを見出しています。

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強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない

という象徴的な科白を、煉獄杏寿郎は残します。 

それは、物質主義でない「心の豊かさ」という価値観に、ある種の「生きる意味」を見出したと言っても良い。

 

これは、ひたすらに肉体的強さと「怒り」によるブレイクスルーを描いたジャンプ的ヒロイズムの決定的な転換点であり、物質主義時代の終焉のメルクマールであるとボクには思えます。

ジャンプ的ヒロイズムとは、簡単に言うと、キレるたびに強くなるヒーローでした。

悟空しかり、浦飯幽助しかり。

「ドラゴンボール」で超サイヤ人に至るトリガーは、他ならぬ「怒り」

悟空はキレることによって、超人化したのです。

これも、「キレる」という時代の空気と不可分のシンクロでした。

しかし、実際にボクたちが住むこの世界でキレたところで、事態は悪化するだけです。

そういう意味では、これらのヒーローは魅力的でありつつ、破壊衝動も併せ持っていました。

 

「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎は最強ではありません。

いつも仲間たちとともに鬼と対峙し、悩み、試行錯誤しながら、必ず自分を投げ出さない。

煉獄杏寿郎の

心を燃やせ

という言葉とともに。

鬼殺隊は、一人の象徴的ヒーローによって成り立つのではなく、それぞれが得手不得手を持ったチームです。

ゆえに、かなり性格は曲者揃い。

ただ、炭治郎はそれぞれのポジティブな一面を見出すことにとても長けています。

一人の個性でなくそれぞれの個性のつながりが、とんでもないチカラを発揮します。

こうした戦い方は、無限城編で極まります。

ほぼ炭治郎が登場しないことも珍しくありません。

そう、この物語は、敵ともよく話すんです。

鬼たちがいずれも饒舌であることもありますが。

逆に、圧倒的才能と力を持っていたはじまりの呼吸こと継国縁壱は、非常に孤独な存在です。

 

「怒り」について、ボクは作中にこの言葉を見つけたときに確信しました。

上弦の睦・妓夫太郎と堕姫との戦いで、炭治郎は怒りによって一瞬己を超えた力を発揮し、上弦の鬼を追い詰めます。

この戦いでの炭治郎の力は、物語の中でこう説明されています。

目から血を流すほどの強い怒りで苦しみや痛みを忘れ動けたとしても、

次に来るのは「命の限界」

当然ながら、これを超えると人は死ぬ

怒りという感情だけで勝てるのならば、もうこの世に鬼は存在していないだろう 

あくまで、炭治郎やキャラクターたちを人間として描き、人間として命を繋いでいきたいという作者の強い意志を感じます。

人間が、いまこの瞬間の選択を積み重ねる。

人生は

選ぶことの繰り返し

けれども選択肢は無限にあるわけでなく

考える時間も無限にあるわけでない

刹那で選び取ったものが

その人を形作っていく

自分は水柱に相応しくないと悩む冨岡義勇に、炭治郎は問います。

義勇さんは

錆兎から託されたものを

繋いでいかないんですか?

煉獄親子のように、さまざまなつながりのかたちがありながらも、優しい眼差しで描かれます。

優しさは、命とととにこの物語を貫くテーマです。

まさに物語そのものが、生まれた時から死を運命づけられた生き物すべてへの「全肯定」なのですから。

 

鬼もまた、人として世の不条理に絶望し、人として鬼になることを選択したのであって、生まれながらの鬼ではりません。

フリーザはおそらく生まれながらのフリーザです。

特に猗窩座編で猗窩座の描き方には、主人公を追い詰める敵であるはずの猗窩座に、強く感情を揺さぶられます。

鬼舞辻無惨もまた、フリーザのようにただ強く、ただ世界を滅ぼしたいのではなく、「命の終わりに対する恐れ」に突き動かされているように見えます。

 

それは、「死」の描き方にも表れています。

ジャンプでは珍しく、多くのキャラクターが死んでいくこの作品では、死の描き方によっては「美しい自己犠牲」という安易なヒロイズムとなることもできました。

「死」というものは、一種の物語的ピークになり得るからです。

それをきっかけにして、なにか物語が大きく動くきっかけとすることができる。

しかし、作者は胡蝶しのぶの死のように、血みどろでボロボロになっていく姿を淡々と描いているように思えます。

もちろんみな悲しみますが、あくまで、戦場における数多ある死の一つとして描かれている。

戦争における死を美化すると、それは異常状態への歪んだ欲を生みます。

戦争は人の死を高尚なものに浄化する鍵であるように錯覚してしまう。

戦争における死とは、劇的なものではなく、戦争における日常にすぎない。

戦争における死に違和感を持つことこそ大事なのだ。

こうした視点は、1982年に発表された大友克洋「気分はもう戦争」に描かれていたことでも知られていますが、最終巻では意外な形で大友克洋へのオマージュを見ることもできます。

作者は、

人は死ぬし、それ自体は美しくもなんともない

ただ、死ぬ以前に彼らが燃やした心だけは、他の者たちの強く残る

ということを描いていたのではないでしょうか。

だから、それぞれの「死」というよりも、何か想いのようなものがボクらの心にも刻まれたような気がします。

まさに、「心の中で生き続ける」というやつです。

生き続ける、つながっていくのは、

彼らではなく、その想い。

ヒノカミ神楽もそうしてつむがれた結晶であって、炭治郎はそのつながりに気づくことで、はじめて上弦を圧倒的に凌駕する鬼舞辻無惨と対峙することができます。

なんとシンボリック!

 

例えば、先日のブラタモリで特集していた世界遺産の白川郷では、「結」という村総出の葺替えの儀式が白川郷の美しさを保っているそうです。

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これはつながれた想いと言えないでしょうか。

つながれているからこそ美しいと。

 

鬼舞辻無惨が自らのことを「天災のようなもの」と表現することも実に興味深い。

東日本大震災の「記憶」もまだまだ生々しいように、日本は天災の多い国です。

それを、天災のだからと思考停止するのか?

自分にはどうしようもない(と思われる)現実を目の当たりにしたとき、自分をあきらめるのか。

違います。

圧倒的な存在を前にしても炭治郎たちが必ず考えるのは「自分には何ができるか」

考えろ

焦るな

絶対に思考を放棄するな

炭治郎がブレイクスルーするのは、キレる時ではなく、

いままで気づかなかったつながりに気づいた時なのです。

柱や上弦の鬼たちとの圧倒的な実力差に絶望しながらも、炭治郎が自分にできることをやり続けます。

だからこそ、強く共感する。

 

最終話は、生き続ける想いを強く印象付ける、すばらしいものでした。

 

こうして作者の想いが溢れると、物語は概して説教くさくなりがちです。

テーマを意識しすぎて、こう言わせたい公務員動くべきという発想が先行して、作品が作者の壮大な独り言になるんです。

しかし、「鬼滅の刃」はそうならなかった。

キャラクターがいきいきと言葉を紡ぎ出しています。

ボクには想像することしかできないけれど、まず炭治郎たちの存在があって、炭治郎たちが刹那で選び取っているうちに、作者の想いとつながり、壮大なテーマに包まれていったのではないでしょうか。

それもというのも、一話一話の合間に書かれている「大正コソコソ話」という裏設定を読むと、まだまだ物語を引き延ばせそうな設定がたくさんあります。

おそらく、ここまで細かい裏設定を作っている作者はまれです。

稀血です。

 

にもかかわらず、あまりにも潔く23巻、誰もがもっと読みたいと渇望するなかで、物語を終わらせました。

実際ONE PIECEは、1巻まるまる過去の話のようなこともあり、そこを丁寧に描くことで、100巻を超える大長編となっています。

どちらが優れているという話ではないのでが、「鬼滅の刃」は物語を濃縮させることで、密度や緊張感が高まり、行間の余白が読み手の想像力を刺激しています。

実は、20巻前後で終わるマンガに名作が多いのもこのためではないかとボクは思ってます。

「スラムダンク」

「鋼の錬金術師」

「マスターキートン」

「うしおととら」

「機動警察パトレイバー」

「じゃじゃ馬グルーミンアップ」

「天然コケッコー」

などなど。

 

「しらけ」から空虚な泡がはじけ、「さとり」へ。

この国が、心をないがしろにし続けたことは明白です。

「マジにやるのはダサい」と言われた時代もありました。

でも、ボクらはみんな本当は、夢中になるものを探していた、ワクワクしたかった。

竈門炭治郎も、煉獄杏寿郎も、産屋敷耀哉も、めちゃくちゃマジだった。

だから、「胸を張って生きろ」「心を燃やせ」というこれまでとは真逆の「鬼滅の刃」に、どうしようもなく惹きつけられる。

心を大切にした美しい物語でした。

 

ちなみに、

ねずこ

とは木曽五木の一つで、ヒノキの名前だそうです。

先日の木曽旅行で知りました。

キャラクター造形の巧みさ、設定の緻密さ、大正という独特の時代設定、ギャグセンス、どれも魅力的でしたが、一つ挙げるとしたら、甘露寺、嘴平、我妻、鋼塚、鱗滝、昇り炎天、干天の慈雨、烈日紅鏡、、、作者の際立った言語センスに脱帽です。

 

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