こんにちは!
人生を自然で豊かにするヒントを紹介していくブログ「ナチュラルなイキカタ」のぐっちです!
僕は、どちらかというと“将来を生きる”人でした。
将来のために今努力できることが、最上の価値“善”なんだと思ってました。
もちろんそれに一理あると今でも思います。
一瞬の快楽に溺れて、ギャンブルで破滅することが“善”だとはちっとも思いません。
“将来を生きる”という価値観の背景には、この国の教育をはじめとした色んなものが影響していると思います。
もっともわかりやすい例が、受験。
受験のために、18歳という1年を捧げます。
受験に現れてるように、どうもこの国では、
子供時代を大人への準備期間としてとらえてるようです。
準備期間だから、おしゃれをしてはいけない。
準備期間だから、セックスを知ってはいけない。
準備期間だから、大人のいうことを聞かなければならない。
そもそも、子供時代って準備期間なのかな?
そこには、人生のよろこびはないのかな?
僕はこう思います。
準備期間のトレーニングを、それこそ真面目に素直にやればやるほど、その後も永遠の“準備期間”を生きることになると。
「いつか」はいつまでも「いつか」のままで。
古代中国の思想が老子の言葉で、僕のスマホの待ち受け画面にもなっているのが、
上善如水
上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず、衆人のにくむところおる、ゆえに道にちかし。
(最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆるものに恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみな嫌だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。)
参考記事:老子が書いた「上善は水の若し」の真意 | NHKテキストビュー
ギャンブルのように何かに拘泥するのは、今の流れを感じる生き方とは程遠いのです。
水は、時間をかければ金属に穴をあけることもできます。
ヨガマスターのSlinder先生はこう話してくれました。
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今植えた種が、実をつける。
不安の種を植えれば不安の実がなるし、
楽しさの種を植えれば楽しさの実がなる。
↑種は無限にあるけど、選んでるのも植えてるのも自分。
子供時代に限らず、今をないがしろにするということは、
桃を食べたいのに、
せっせと食虫植物の種を植えるようなものかも。