どうも同じようなことを言ってたりやったりしてても、
ぼくにしっくりくるものとこないものがあります。
不思議ですね。
うまく言語化できなくてモヤモヤしてたんですが、先月のAwakenerのセッションをヒントに、風呂場でこれかも?と思いました。
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やっぱり風呂場だった!!
カラダのリラックスが引き出す心の素。
先日読んだ四隅大輔さんの本には、「満員電車で本当にやりたいことがでてくる」って書いてあって、人によるんだな、と思いました。笑
話がそれましたが、
ぼくがしっくりくるものは、
こういう社会的な課題があったり苦しさがあったりするけど、こうするといい感じにならないかな?
という視座。
ぼくがしっくりこないものは、
もう時代が変わったんだから、これからはこうだよ。
という視座。
違い、わかります?
地続きかどうか。
なんで時代が変わったのかっていう関心に、人間の本質への愛があるような気がするんだと思います。
例えば、争いの歴史への学びがあって国連もEUもできてます。
法律もたくさんの人が生き生きと暮らすための知恵です。
人間は、過ちを犯しながらも、そうやって学びを形にして、人間という生き物への学びを深めて来ました。
時代よってはそぐわなくなってくるものもあるし、逆に今だからこそ輝くものもある。
そういう過去の人たちの積み重ねには、自分は過去も含まれてます。
そこを否定することに違和感があるし、そこもひっくるめて無条件に好きなんです。
極論しすぎかもしれないですが。
それを一言でいうと、
共感
っていうのかも、もしかして。
それと、相手に何か要求があるかどうか。
適応しなければ、行動しなければというプレッシャーといいますか。
僕には、
要求のない共感
は続けられる持続可能な世界な気がする。
でも、別にぼくがしっくりこないものがダメと言いたいわけじゃありません。
ノリの世界ってカッコいいじゃないですか!
その大波にわーっと乗れるエネルギーってすごいですよね!
YouTubeとかInstagramのスーパーインフルエンサーが作り出すムーブメントのパワーは純粋にすごい。
でも、おっきな世界ではこのしっくりくるものもそうでないものも一つ、ということも、ついこの前のAwakenerで知りました。
たしかにそうだよねー
それをみんなOKっていうのがいいですね。
スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ。
岡潔
ぐっち