こんにちは!
ketoraaaです。
以前も書いたように、私の会社では、子供染みた意地の張り合いの板挟みとなることがよくあります。(縦割りなので)
関連記事:その仕事に、残業150時間の意味はあるか - ナチュラルなイキカタ
必要以上に声の大きい社員は沢山いますので、どこに異動しようとも、まずその板挟みから逃れることはできません。
つい最近の出来事です。
私の部署が提出した資料に対して、別の部署から助言だか指示だか指導だかよく分からない横やりが入りました。
私はその仕事の窓口でしたので、対立する両部署の間に入りました。
私は、その資料自体が、そもそも形式的なあまり意味のないものだと思っていましたので、どちらの部署の案でもよく、大事なのはその形式だけの仕事に多くの人が振り回されたり、時間を費やしたりしないことだと思っていました。
メリハリです。
社長は盛んにメリハリメリハリと音頭を取っていますが、社員はまったく踊っていません。
大企業あるあるです。
ですが、横やりを入れてきた部署は引き下がりません。
「こうあるべき」という思いが強く、そうでないものは「全て」許せないのです。
勝手に両者でやり合ってくれればよいのですが、両者は巧妙に直接対決を避け、私に言いたいことを言うだけです。
それが自分の消耗は少ないですからね。
言うだけは誰でもできるので、言うだけなのです。
私は、こういう状況が一番不毛な思いに囚われて消耗してしまいます。
そこで主治医に相談したところ、
「両者の意見が甲乙つけがたく、自分にとって悩む意味のあることだったら自分の成長ために悩んでも良いが、今回のような夕食をカレーライスにするかライスカレーにするか程度のことで、悩む必要はない。好みの問題。カレーライスとライスカレーと言っている人間に、相手の意見をそのまま横流しすればよい。好みの問題に数学的な正解があると勘違いして起こる状況はよくあること。」
と助言されました。
カレーライスとライスカレー。。。
絶妙なたとえですよね。
本当にこの程度の差に正解を出そうと、大企業で大人数があたふた残業してるわけです。
いや、その資料作るのにいくらコストかけてんの・・・(−_−;)
いつも振り回されていると感じていましたが、この自分の価値観を中心にする配分方法は新鮮でした。
「自分の成長にならないと思ったものは、手を抜けばいいのか」と、コロンブスの卵でした。
増川ねてる/藤田茂治さんの著書「WRAPを始める」にも、似たことが書いてありました。
ちなみに、WRAPとは、「元気回復行動プラン」と訳される、「いい感じの自分でいるための自分の取扱説明書」のようなものです。
WRAPの大事なコンセプトに、「自分で責任を持つこと」というものがあります。原語では「personal responsibility」です。
「responsibility」は「責任」と訳されるので、何か肩の荷のように感じますが、元は「response(反応)」と「ability(能力)」ですから、「反応する能力」と言うのが素直な訳です。
能力、つまり、何かの刺激、選択に対してどのような反応をとるのかは、私たちの誰もが持っている固有の力で、私たちは自分にいい感じになるように自由に選択できるのです。
これは大問題だ!自分の成長にもつながる重要な課題だ!と全力で向き合うのも、カレーライスかライスカレーかの好みの問題だ、と距離を置くのも、それを判断するのはわたしだったって、驚きの発見でした。
会社の空気が絶対と、知らず知らずに選択してたし行動してました。
外部からやってくる刺激を選択することはできませんが、どのような反応をするのかは自分で選択できるのです。
つづきます。
最初からお読みいただける場合は、こちら↓