こんにちは!
ketoraaaです。
前回は、セクショナリズムモンスター化した社員がいることについてお話ししました。
単民族国家だからなのか、こういった社員に対しても良い意味でのビジネスライクに扱えず、一部のモンスターに翻弄されて組織全体で右往左往します。
数値には現れないので顕在化はしませんが、内部調整に組織の最大のエネルギーを割いてしまっています。
その会社って内部調整するためにあるんでしょうか。
結果、そのしわ寄せは必ず別の誰かに行くのです。
過労死、全人格労働、ブラック企業。日本には、そうした言葉が山ほどあります。
こういう人たちが職場にいると(というかほとんどの職場で必ずいるのですが)、様々な職場の標準仕様が、声だけは大きいモンスターの論理で作られてしまいます。
どんな小さなクレームも宝だという考え方がありますが、そのような全方位経営と価値観の多様化が両立するのでしょうか。
アルバイトに高品質なサービスを求めて過剰にクレームをつける光景もよくみかけますが、それと同じです。
ボストンバッグの色まで指定するような、形式的な決まり、意味のない書類・調査が増え、全人格労働と揶揄されるような異常な働き方を強いるようになります。
また、小さなことでもすぐかみつかれてしまうので、モンスター以外の人たちが、「どうせ反発されるだけだ」と面倒になって意見を何も言わなくなり、会議は特定社員の講演会と化してしまいます。
人間は、回避の困難なストレスの下に置かれると、その状況から「何をしても意味がない」ということを学習し、逃れようとする努力すら行わなくなるそうてわす。
厳密には違うかもしれませんが、この状態を、1960年代にアメリカの心理学者のマーティン・セリグマンさんが提唱した概念で、「学習性無力感」と言うそうです。
いまの企業に蔓延してる息苦しさはこれでは!?
モンスター化した社員が多数を占めてくると、創造的なアイデアを持っていた人が、次第に少数派となり「自分のやり方がおかしいのだろうか」と、自分自身の価値観を疑うようになってしまい、意欲を失っていきます。
こうして、モンスター社員だけ意気軒昂で、無力感の蔓延する活気のない社員が生まれる悪循環に陥っているとわたしはみています。
つづきます。
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