こんにちは。ぐっちです。
休職を経て、比較的落ち着いているとされる部署に異動してきました。
表向きは静かで、トラブルも少ない。
一見すると、心をすり減らさずに働けそうな場所です。
けれど実際に日々を過ごしていると、
別の種類の疲労が、じわじわと溜まっていきます。
この部署には、他の場所では扱いづらいとされてきた人たちが集まっています。
声が大きい人。
細部に強くこだわる人。
自分の評価や過去の実績の話を繰り返す人。
共通しているのは、
出来事そのものよりも、
それが「どれだけ大きな問題か」に強く反応するところです。
些細なことが、急に重大案件になります。
誰かのミスが、人格の話にすり替わります。
ある日、係で作成した書類について指摘が入りました。
取引先に渡した書類に、インクの汚れが付いていた、という内容です。
実際のところは、
日付印を押したときに手に付いたインクが移ったのだと思います。
作り直せば済む話です。
でも、その伝え方が独特でした。
前置きが長く、
誰がいつ作ったのかを確認し、
本人が不在であることをわざわざ確認し、
ようやく本題に入る。
「今後、こういうことがないように気をつけてください」
その一言で終わる話が、
まるで重大な失態のように扱われます。
問題そのものより、
「問題が起きた」という構図を作ることに、
強いエネルギーが使われているように見えます。
こういう場面に出くわすたび、
胸の奥がじわっと重くなります。
怒鳴られるわけでもありません。
露骨に責められるわけでもありません。
けれど、空気が張りつめ、
こちらが悪い側に立たされている感覚だけが残ります。
話を聞いているうちに、
これはインクの汚れの話ではないな、と感じます。
「自分が軽く扱われていないか」
「自分の価値が下がっていないか」
その不安が、別の形で表に出ているだけなのかもしれません。
それでも、対応する側の消耗は確実に積み上がります。
わたしは、
問題を必要以上に大きくしないこと、
起きた事実と感情を切り分けることを大事にしてきました。
でも、そうしようとするほど、
この環境では、浮いていく感覚があります。
「そこまで気にしなくていい」
「作り直せばいい」
そう思う自分の感覚が、
どこか冷たいもののように扱われている気もします。
この距離感は、
誰が悪い、という話ではないのだと思います。
価値観の差。
安心の置きどころの違い。
関心を向ける先の違い。
ただ、
この距離を毎日行き来するのは、
思っている以上にエネルギーを使います。
この場所で消耗している理由は、
相手の言動そのものより、
「その関係性の中に自分を置き続けていること」
なのかもしれません。
それに気づいたとき、
少しだけ、別の生き方を考え始めています。
すべての人と分かり合う必要はない。
すべての違和感を飲み込む必要もない。
どこに身を置くかは、
自分で選んでいい。
そんな考えが、
静かに、でも確実に芽を出し始めています。