こんにちは!
ketoraaaです。
前回は、モンスター社員を放置することで、組織全体が無気力化していくという話でした。
そういう職場も仕事哲学も嫌だったので、「嫌だ!嫌だ」と、散々振り回されました。
「どうしたら分かってもらえるのか」
「他にどんなアプローチがあるのか」
「自分の感覚がおかしいのだろうか」
「こういう人たちでも、長所はあって、そこを見ればストレスは減らせるはずだ。長所を探そう」
「この人たちは、なぜもっと大きな視点で考えられないのか」
と、嫌な人のことで頭がいっぱいになりました。
ですが、自分自身のエネルギー全体の容量が少なくなり、自分のエネルギーの上限を意識するようになってから、「有限なものを配分して使うためには、力を抜くタイミングもある」のだから、「なぜ好きでもない、どうでもいい人のことでエネルギーを使い果たしているのだろう。もっと好きな人、いい気を感じる人のために自分のエネルギーを使いたい」「エネルギーを使うのはこの案件、このタイミングではないかな。共感できる目標のもと、熱意を持った人が集まった時のために、大切だと思うことのためにとっておこう」と考えることができるようになり、頭いっぱいとまではならなくなりました。
嫌な人間関係で頭がいっぱいになっている状態は、全財産が100万円として、その全てを相性の合わない人との飲み会に使っているようなものです。
実際に100万円持っていたとして、自分や好きな人のためには1円も使うことがない、そのような使い方はしないでしょう。
それは、100万円が有限だと分かっているから、使えばなくなると分かっているから、そのパイの中で配分を考えているからです。
私はいままで、頭のエネルギーは無限だと思っていて、感情に流されるまま果てしなく嫌な人のために使っていました。
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仮に有限だとすると、いかに今までの意識の配分が無駄遣いで脳に負担だったでしょうか。
自分、本当にお疲れさまです。
そう考えだしてから、職場で出会変わり者たちに対して、瞬間的にはムッとしますが、あきらめが早くなり、あまり引きずらなくなりました。
組織全体の停滞も、自分自身が何かを変えていくより、自分でできる範囲のことをやったら、後はマネジメント側の課題だと少し割り切れるようになりました。
世の中は、一人ひとりの心がけや行動が、組織や社会を変えていく魅力的な物語にあふれていますが、心の調子が悪い時、エネルギーが有り余っているわけではないという自分を受け入れ、いつまでも理想像にこだわらず、まずストレスに耐え続ける自分を労うことを第一にしてもいいと思うようになりました。
先日書いたY課長に、私も呼びつけられて叱責されたことがあります。
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それで、安全運転を心がけていた感情に波風が立ったとき、主治医は「対極に立てず極地にしか立てない、自分の守備範囲でしか考えられない人はいる。そういう人がすぐに怒るのは感情が先に来ていて、怒れるだけ暇だということ。目の前にやることがある人は、感情で怒っている場合ではない。そういうのは個人の特徴で、特徴は周りがどうこうしようと期待しないほうがよい。ドゥーイットユアセルフで、自分で勝手にやってもらえばよい。精神科医でも変えることは難しい。相手にしないのが一番。ムッとするだけでも脳のブドウ糖を使っているので、ブドウ糖がもったいない。ブドウ糖だって食品からとらないと作られないのだから、コストがかかっている。別のことにブドウ糖を使ったほうがよい。ブドウ糖を節約していこう。自分の明らかなミスで責められたなら一緒に考えていこうとなるが、この件で何も変える必要はないので、これで調子を崩したらもったいないよ」とアドバイスをくれました。このアドバイスやコラム表を書くことで、やりすごすことができたのです。
ゲシュタルトの祈りとして知られる詩にもこうあります。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それはしかたのないこと。
つづきます。
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