こんにちは。
この頃、
「ずっと同じ場所で不満を口にしている人」に
出会うことがとても多いと感じていました。
それは、
わたし自身がそういう言葉に、
以前より強く反応していたからかもしれません。
例えば、
何をやっても「結局忙しい」と言い続ける人。
何をやっても「やり方が気に入らない」と言う人。
自分は動かず、評価や注目だけを求めているように見える人。
そういう声は、大きく聞こえます。
そして、なぜか心に引っかかります。
「自分の何がいけないんだろう」
「どう変えたら分かり合えるんだろう」
そんなふうに考えて、
頭の中で何度も反芻していました。
でも正直に言うと、
この頃のわたしには、
そこから何かを学び取る余力はありませんでした。
疲れていたのだと思います。
もし本当に不満があるなら、
離れるという選択もある。
自分で動くという選択もある。
そう思う一方で、
わたし自身もまた、
環境を変えきれない場所に立ち続けていました。
だからこれは、
誰かを裁く話ではなく、
「当事者になり続けることに、疲れていた自分」の話です。
その頃のわたしは、
変化しない人たちを見るたびに、
「このまま同じ場所に留まり続けたら、
自分もこうなってしまうのではないか」
という恐れを、強く感じていました。
だから、
距離を取りたい。
巻き込まれたくない。
そんな思いが、
言葉の強さとして表れていたのだと思います。
分かり合えるかどうかよりも、
まずは自分をすり減らさないこと。
その感覚だけは、
当時のわたしにとって、
切実なものでした。
そう考えていた、
四十一歳の秋の記録です。