withコロナって、
ほんとうにコロナ陽性で自宅療養でした。
8月24日から、
鼻のかゆみ、鼻水、咳、熱。
これは副鼻腔炎だろうと思って医者に行き、
薬をもらいましたが、翌日も治らず。
別の病院で抗生物質をもらおうとしたら、
PCR検査を受けてください、と言われました。
そんなはずあるかい、と思いながら、
その日の夜は同僚の誕生日で3人でごはん。
翌日、PCR陽性。
一緒にごはんを食べた人が陽性になり、
さらにその人と会った人も陽性になり、
結果的に職場でクラスターを起こしてしまいました。
ワクチンは3回打っていましたが、
症状は本当に風邪のようなもので、
鼻水と鼻声だけが長く残りました。
それはそうと、
ずっと引きずっていた組織のトップの問題。
かなり大がかりな個別面談まで行われたあと、
実はその前に本人から辞表が出ていたと聞かされました。
あっけなく、退職。
その話を聞いたとき、
「眠れないほど悩んでいたらしい」と言われましたが、
正直、わたしの仕事ではないと思いました。
問題の多くは、
本人の行動や選択に起因していたと、
わたしには見えていたからです。
それを支える役割を、
なぜわたしが一手に引き受ける前提になるのか。
問題提起した当事者であるわたしに、
十分な共有もなく、
状況をよく把握しているとは思えない人たちで
話が進められていくことにも、強い違和感がありました。
その過程で、
「対立している二人の問題」
のように話が矮小化されていったことも、
正直とても不愉快でした。
わたしたちは、
仲良くやるために集まっているわけではありません。
一応、地域の観光をどう立て直すか、
そのために集まっている組織です。
何が正しいか、ではなく、
バランスが偏っている、
という話をしているつもりでした。
支えてほしい、と言われる一方で、
ではわたしを支えるのは誰なのか。
支える、という言葉自体が、
いつのまにか都合よく使われている気もしました。
そして最終的に、
数ヶ月間、わたしが代行を務め、
その間に後任を公募する、という話に。
ここまで立て直しに関わってきて、
その扱いか、と。
評価してほしくてやってきたわけではありません。
自分の居心地をよくするためにやってきました。
それでも、
理解されない孤独な改革だったと感じています。
パワハラだと言われ、
実績を出してから待遇を上げろと言われ、
職員の幸せなんて宗教じみていると言われながら、
一人でやってきた結果が、これか、と。
正直、モチベーションは下がりました。
なぜ、ここまで犠牲になる前提なのか。
なぜ、そこまで期待されていると思われているのか。
都庁時代より年収は下がっています。
それでもやってきました。
それでもなお、
この扱いか、と。
そんな中で、
また現場では別の方向への暴走が起きる。
何度も方向修正をしてきたのに、
勝手に進められる動き。
観光協会は産業政策です。
地域が観光で稼げるようになることが目的です。
補助金は減っていきます。
自分たちで稼げる力がなければ、
持続性はありません。
ところが、その視点はすぐに
「地域貢献」という言葉にすり替わっていく。
ボランティア的な活動。
観光と直接関係のないイベント。
それ自体が悪いわけではありません。
でも、優先順位の話です。
いつの間にか進んでいる。
相談も報告もない。
もう何度目だろう、と思いました。
ただ、ふと立ち止まって考えました。
それは、人として自然な行動でもあるのではないか。
「楽しいことに動く」という。
では、それにブレーキをかけることが、
本当に正しいのか。
答えは、まだ出ていません。
ただ一つ、
「何を選ぶと正解か」ではなく、
「選んだものをどう楽しむか」
なのだと思うようになりました。
一番大事なのは、
わたし自身が楽しいかどうか。
心が躍っているかどうか。
そのために、沖縄に来たはずでした。
組織がどうか、
周りがどうか。
それを優先する生き方に疲れて、
ここに来たはずでした。
まず自分の心が動く。
それを誰かと共有する。
その順番が、
いまのわたしには一番しっくりきます。
コロナもあって、
疲れもたまっていました。
何かが満たされない。
これは、
何かを始めるサインのことが多い。
去年は、ヨガの資格でした。
では、いまは何だろう。
その「何」に気づくためには、
良質な余白が必要です。
誰かに答えを聞くのではなく、
余白の中で、自分に聞く。
それが、わたしが選んだ生き方です。
ずっとやりたいと思って、
後回しにしてきたこと。