4月に、失恋の記事を書きました。
実は、この話には続きあがあって。
その後も普通に友達付き合いをしていて、
みんなで出かけることもあったんですが、
僕の気持ち的に以前のように接することはできませんでした。
それを、すごく気にした彼女から連絡が来て、
話しました。
「誰かと仲良くしているのが耐えられない!
仕事が忙しいので、いままでのようにはいかないけど、
また、これでのようになれないだろうか」
と言われて、僕は好きなままで振られた側だったので、
受け入れました。
そして、
一度キャンセルした彼女の家での餃子パーティーや
栃木旅行にも参加しました。
その間に、薬の変更でいろいろありましたが。
また彩りのある日々が戻ってきました。
ですが、その時は束の間でした。
6月下旬のみんなとの飲み会あとあたりから、
さっぱり会えなくなりました。
彼女の仕事が忙しくなったこともありますが、
そもそも「会おう」気持ちが感じられなくなりました。
連絡も途切れ気味に。
そして、7月下旬にはまったく連絡がこなくなりました。
何度か僕から当たり障りない話題を連絡しましたが、
そっけない返事が返ってくるだけ。
でも「元気は元気」と言っている。
4月のデジャビューでした。
まったく同じ、気持ちが宙ぶらりんのつらさを味わうことに。
そして、8月中旬のある日、
ある話題から、少しずつ気持ちを聞いていきました。
最初は、「Gucciがどうではなく、自分の気持ちの問題だ」と。
「気持ちの整理をしているのでしばらく放っておいてほしい」と。
あ、と思い
「それは、僕との関係も含めてだよね」と送ると、
「そうです。」と。
やはり、そういうことでした。
「どこから考えたしたのか?」聞くと、
「正直覚えてない」と。
じゃあなんで、なんであれほど悲しい思いをした僕を、
もう一度すくい上げるようなことをしたんだ!
と思いましたが、
それが「人の気持ち」というものです。
人の気持ちは、数学のようにいかない。
彼女が、「犯罪を犯そうと思う」といえば、
それは止めるでしょう。
でも、「家族を大切にすることにした」と言われれば、
それは、そうですか、としか言いようがない。
もともと、そういう関係です。
せめて、そういうことを考えているんだったら、
何も言わず僕との関係を清算する整理をしないで、
話してほしかった。
この1か月あまり、気持ちが定まらないつらさがありました。
彼女には、本当に感謝しています。
沖縄で友人のいなかった僕にとっては、
唯一無二の友人でもあり、
たくさんの場所にでかけて、たのしかった。
奇跡のような一年でした。
こういう時間を、幸せっていうんだなと思った。
だから、僕にはこういう存在があることがとっても大事なこともわかった。
僕の仕事の煮詰まり、彼女の忙しさもあって、
3月頃から会う機会が劇的に減ってみると、
週末の僕は、沖縄に来た当時のように、
孤独でした。
肌に馴染んだあの感じでした。
友達はいますが、彼女のように毎週会っているという友達は、
東京の頃も含めて、とても久しぶりの感覚でした。
まさか、同じ人に2度失恋するとは、
初めての経験です。
人生には、こういうことも起こるんだなと。
「相手の気持ち」というものは、僕のコントロール外のことです。
歴史上の偉人たちも、多くが男女関係でほんろうされている。
いまの仕事でのイベントプロジェクトの煮詰まりも、
ここまでどの方向に舵を切っても傷があるという経験も初めてです。
41歳になっても、世界は新鮮さに溢れている、
とも言える。
落ち込む時は落ち込んで、
1年後にガハハと笑うのだ。
僕は、数え切れないくらい立ち直ってきた。
立ち直るたびに、学びを得て、
僕らしい僕になってきた。
今回の仕事も失恋も、そうなっていくさ。
僕の人生は、エピソードに事欠かないw
ブログネタに困ることがない!
気づいたら、6年続けていますので!
別れは、新しい出会いの始まり。
いまのいろんな感情が半年だかでそぎ落ちていけば、
彼女にもう一度、心からのお礼をいいたい。
間違いとか 後悔とか
何度も繰り返すけど
あとどれくらい
泣いたのなら強くなれる?
風のように ときは行く
なくしながら
つかみながら 走っていく
生きることの美しさと
儚さを知るそのとき
この痛みは
やがて明日の歌となるよ
道の果て、空の向こうへ
見たかった知りたかった
世界がある
迷いながら信じながら
走ってゆく
福山雅治「少年」