こんにちは!
人生を自然で豊かにするヒントを紹介していくブログ「ナチュラルなイキカタ」のぐっちです!
みなさん元気ですか?
僕はついに平熱を取り戻し、平熱の世界を謳歌しています!
ああ!平熱バンザイ♪( ´θ`)ノ
体調が落ち着いてきて、僕が今いる新型コロナウイルス対策最前線を見渡してみると、“竹やり”で新しい感染症と戦おうとしているように見えます。
もちろんこれは比喩ですが、
患者データの重複管理
事務フローが整理されてないことによる無駄
ICTが活用されてない人海戦術
などをみていると、アメリカに竹やりで立ち向かった時代と発想が変わってないのでは?と思わざるを得ない。
政府も、自治体も、目の前のこととこれをチャンスに存在感を発揮しようとする政治屋に追われて、本質を捉えられてない。
こういうところにも、本質は現れてる。
僕は、明確にコミュニケーションが取れ、柔軟で、リソース配分のバランスを持ち、長期的な視点をもって物事の本質に向かえる司令塔が必要だとおもいます。
これは、東日本大震災時に放射能対策の最前線にいた時も強く強く思いました。
さらに言えば、75年前の戦争でも同じでした。
誰が決めたのかもわからない見えない国家の方向性を、命を持って強制されたんです。
ちなみに、“見えない”というのは思想家の大澤真幸さんが指摘するように、現代を読み解く重要なワードです。
地下鉄サリンしかり、放射能しかり、新型コロナウイルスしかり。
要するに何が言いたいか。
withコロナ
afterコロナ
と言われるようになって少し経ちます。
僕は、預言者ではないので、なにが変化してノーマルになっていくのかはさっぱりわかりません。
ただ一つ確信をもっているのは、歴史的出来事は、
世界を新しくするのではなくて現状を加速させる
のだということ。
ポジティブな面も、ネガティブな面も等しく。
歴史的にもそうでした。
僕の肌感覚的にもそうです。
歴史の分岐点(パラダイムシフト)とは、「あ、今まさに変化している」と感じ取れるものではなくて、「振り返ってみればそうだったね」というものです。
スティーブ・ジョブスがiPhoneを発表したあの日、いまの光景を想像した人がいましたか?
新型コロナウイルスだろうと、他の何かだろうと、
いまここにあるものが大きくなります。
僕は、「復興」という言葉がずっと疑問でした。
3月10日にどうしても、なんとしても、他の全てを犠牲にしても、戻らなければいけないんだろうかって。
でも、それが当時使われていた「復興」でした。
だからこそ僕は今回のコロナウイルスでも思います。
世界の行末にジタバタするのではなく、
地に足をつけて、
いままさに心の動く方向に
まっすぐに進もう
そういうことが、言いたいのです。
ほんのすこしだけ、がんばろうぜ。
楽しみながら。