こんにちは!
ketoraaaです。
前回は、メールやSNSを自分のリズムで見るという話でした。
メディアの発達によって、私たちの日常にはありとあらゆる健康情報が溢れてきっています。
トマトがいいとか、バナナがいいとか、きな粉牛乳がいい、スーパーフードがいいとか、○○体操がいいとか、○○は○○病の兆候だとか、膨大な情報で溢れ、目まぐるしく更新されています。
狩猟を中心に生活をしていた頃の人間が処理していた情報は、せいぜい自分の住む生活圏内の出来事、経験、知恵といったものだったはずです。
情報のスピードも、人の往来のスピードと同じくらいだったでしょう。
また、生きるために必要な能力も、足が速い、高く跳べるといった狩猟に伴う肉体的な能力でした。
それが現代では、毎日毎日繰り返し、悲惨な殺人事件や、衝撃的な映像が伝えられ、等身大の自分を超えた、地球の反対側で起きている出来事、経験、知恵が、瞬間的に伝わり、何が問題でどうしていくべきか、より広く深く考える必要に迫られるようになりました。
同時に、生きるために必要な能力も、情報社会を迎えたことで、いかに有益な情報に素早く辿り着くかというものに変わりました。
0.1秒を争う金融業界が象徴されるように、情報を持っていることがそのまま生存競争の勝利となるからです。
そのような急激な環境の変化に対して、これまでに書いてきたように、人間の身体は突然適応できるようには変化していません。
私たちの身体、なかでも脳が、この数千年で起きたその環境の変化に、すっかり適応しているかというと、そうでもないようなのです。
生理現象としての不安について以前書きました。
関連記事:【認知療法】ネガティブ思考を変えたいと思ってる皆さん!ネガティブ思考は生理現象で、おしっこと同じです - ナチュラルなイキカタ
実はこの不安が、人間が動物的に暮らしていたころの名残りだという説があるのです。
人間が動物的に生きていた時代の話。
肉体的な力では他の動物にかなわない人間にとって、他の動物に襲われずサバイバルするため、命の危険を察知する能力が不可欠でした。
命の危険を察知する能力とは、「これはやばい」と危険を避ける能力、つまり悲観的な未来を予測する能力=「不安」(ネガティビティーバイアス)です。
ストレスを感じると分泌され、うつ病の一因と言われるコルチゾールというホルモンも、危機的状況に心拍数を上げたりして突発的な行動がとれるようにするための機能だと考えられています。
いまはもう他の動物に襲われる心配はないわけですが、未だに私たちの身体にはこの原始的な記憶が強く残り、不安という気分に大きな影響を受けて生活しています。
わたしたちを振り回す不安に、そういう人類史的な意味があったとは・・・。
少しだけ不安のことを見直しました。
このように私たちの身体の変化は、環境の変化のスピードと比べて、もう少しゆっくりとしたもののようです。
そう考えると、環境の激変に伴い、人間の身体(特に脳)の、環境変化に適応するためのストレス、つまり「疲労」が高まり、「過労」状態に陥ってしまうのは、自然なことと言えます。
このスピードのギャップを埋めるため、身体の声を聴きながら、環境の変化にうまく適応する工夫が必要です。
インターネットを無くして伝書鳩に戻すことは困難でしょうが、冬が来ればダウンを着るような工夫をすることはできます。
これまで書いてきた通り、私の身体は、あまりに膨大な情報が飛び交う情報社会とは馴染みにくく、自分の足元を見失い、焦りや不安を生んで自律神経が乱れることが分かりました。
そこで私は、インターネットと距離を置き、よほどの必要がない限りインターネットで調べ物をすることをやめてみたのです。
飲食店の住所や営業時間を調べるくらいは便利なので使いますが、そうでないものを、気づいた時に何から何までインターネットで調べずに、自然と出会わなかった情報はそのままにしておくようにしました。
この方法も、いまのところ生活に大きな不便は感じません。高校生まではインターネットなしで暮らしていたわけですから、当たり前と言えば当たり前です。
不便がないどころか、情報との出会いに、インターネット検索では感じることのなかった新鮮さを感じて、これはこれで生活に彩りを加える面白い方法だと思っています。
インターネットを使わざるを得ない状況もありますが、致しかなたない時以外は致さないようにしています。
インターネットを使わなければならない、というのは一つの考え方で、義務ではありません。
情報という爆風にいつまでも身体を晒し続けることが、自分の身体にとってどうなのかを観察し、適切な距離をつかめるといいと思います。
うつ病に関する情報については、より一層意図的に制限しています。
というのも、これだけ多くの人が長期間悩んでいる病気ですから、「○○すればよい」「○○はよくない」という断片的情報が、玉石混交で山のように飛び交っているからです。
センセーショナルなコピーで煽る類のものも多くあります。
また、うつ病の経験に関わらず、誰もが心と付き合ってきた「経験者」であることから、自分に馴染んだ技法を、唯一絶対の技法として、恋愛相談くらいのノリで勧められることもよくあります。
あまりにインプットが過剰になると、自分に馴染むかどうかをじっくり観察していく前に足元がぐらつき、やはり等身大の自分を見失ってしまいかねません。
ほんの一時期うつ病に関してインターネットを調べた時期もありましたが、むしろ頭が混乱し、不必要な焦りを生んで体調は悪化してしまいました。
ですから、病気の治療に関しては、信頼する主治医や信頼する家族・友人からの情報を大切にして、体の状態や疑問、技法と、一つひとつ、じっくりと向き合うようにしています。
つづきます。
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