こんにちは、ぐっちです。
引越しとマンション売却。
3年半前のうつ病からの復職以来、
最大級のライフイベントが、ひとまず終わりました。
「引越しうつ」という言葉があるくらいですから、
ある程度の反動は想定していました。
ただ、
それがこういう形で来るとは思っていませんでした。
7月6日、決済完了の夜あたりからです。
緊張が一気に解けたのか、
どっとストレスサインが表に出てきました。
この時間差攻撃。
ストレスサインならではです。
ちなみに、
円形脱毛症も、
ストレスそのものから2〜3週間後に出ることが多いそうです。
この「時間差」が、
自分の回復力(レジリエンス)を超えてしまう原因になります。
気づいたときには、
もう自分の力だけでは戻れない。
だから、
常にちょっと足らないくらいにしておく。
それが大事だと、分かってはいます。
ただ、
ライフイベントの最中は、
その「ちょっと足らないブレーキ」を
使えないことがほとんどです。
締め切りがあり、
条件があり、
お金がかかり、
意見が噴出し、
自分のコントロール外のことだらけだからです。
そして、ついに、
7月6日(金)の夜あたりから、
はっきりした変化が出ました。
食欲が落ちました。
掃除も、
献立を考えるのも、
買い物も、
料理も、
すべて面倒です。
(我が家では、料理はわたしの分担です。)
仕事でも、
今月中にやらなければならない業務も、
来週の会議の準備も、
やる気が起きません。
「今日も無理だな」
「今日もやめておこう」
そうやって、
先送りを続けています。
身体を動かすこと自体が、
少し億劫です。
映画にも、
カフェにも、
ランチにも、
散歩にも、
スーパー銭湯にも行く気が起きません。
横になって、
本を読むことならできる。
そんな感じです。
ちょうど、
引越しから3週間くらい。
とりあえず、
日曜日の午後は横になって、
「羊と鋼の森」を読んでいました。
昼寝もしました。
できれば、
このままずっと横になっていたい。
そう思いました。
でも、
夜になっても、
気分はあまり変わりません。
それが、
焦りを生みます。
ソファに接着剤で貼り付けられたみたいな腰を、
なんとか引き剥がして、
夕食の支度をしました。
この状態で夕食を作っていること自体に、
腹が立って仕方ありません。
想定していたより、
反動は大きい。
精神安定剤ジアゼパムを飲んでも、
効果を感じません。
やばい。
ヤバイ。
矢灰です。
こういうときは、
これまで積み重ねてきた工夫があっても、
率直に言って不安です。
先週末の通院での主治医のアドバイスは、
「身体を休めることを最優先に」
というものでした。
一方で、
身体を休めにくい変化は、
まだ続きます。
日曜日から、
ついに犬との同居が始まりました。
日曜日の夜、
妻の実家から、
犬がやってきました。
わたしは、
月曜からなんとか一週間出勤するためのエネルギーで、
もうコップ一杯でした。
感覚的には、
崖っぷちです。
一方で、
犬には犬のリズムがあり、
個性があり、
快適な環境があります。
それは、
必ずしも、
わたしのリズムとは一致しません。
だから、難しい。
摩擦の宝庫です。
犬は、
妥協点を教えてくれません。
だから、
過保護にもなりやすいし、
虐待にもなりやすい。
子育てをしたことはありませんが、
似ているところはある気がします。
いまこのタイミングで、
これ以上の変化と摩擦は、
正直、かなりしんどい。
挑戦するタイミングではない、
そんな気もします。
でも、
世の中は、
わたし一人のリズムに合わせて
動いているわけではありません。
そして、
7月9日(月)を迎えました。
朝5時ごろ、
新聞配達の音に犬が警戒し、
吠えて起こされました。
慣れない環境で、
犬の警戒心も強まっています。
そのまま散歩に行きたいと起こされ、
妻が散歩に行きました。
下痢だったそうです。
準備のバタバタで、
落ち着いて眠れません。
何度も時計を見ます。
帰宅後、
犬が暑そうだという理由で
エアコンの温度がかなり下げられており、
寒い。
睡眠は、
わたしの健康の「核」です。
月曜日の朝からこれには、
心底まいりました。
疲れを残したまま、
週の始まりを迎えます。
自動思考が、
次々と湧いてきます。
私の体調で犬との同居は無理だろう
なぜ自分の体調を犠牲にして犬と同居しなければならないのか
その場のノリで犬を飼った当事者が、なぜ飼わないのか
家を出て行って一人で暮らすか、群馬の実家に戻るか
体調が悪化したらどうしよう
うつ病が再発したらどうしよう
これからも毎日続くのか
家事と犬の世話で、休む時間がなくなっていく
犬の顔を見るとムカムカする
疲れているので、
ネガティブな考えはいくらでも浮かびます。
大事なことなので、
改めて書きます。
自動思考は、
「真実」や「客観的事実」とは関係ありません。
単なる生理現象です。
わたしは、
生き物が好きです。
犬に限らず、
人間以外の生き物にも、
生き生きとしてほしいと思っています。
この自動思考に振り回されたら、
これでは嫌いになってしまいそうです。
犬を嫌いになるために犬を飼うのは、
本末転倒です。
自動思考に振り回されないためには、
疲れを癒し、
「疲労という色眼鏡」を外すことが不可欠です。
まず自分自身が健康でなければ、
自分以外のものに心は配れません。
配ろうにも、
配る心がないのです。
心が無限だと思っていると、
こういう発想にはなりません。
心も有限だと知ると、
心の配り方が変わります。
どれだけ強く配るかではなく、
何にどれだけ配るか。
トレードオフになります。
自分の健康を最優先にすると、
局地的には、
周囲との摩擦が起きます。
「わがまま」
「自分勝手」
「思いやりがない」
そう見えるからです。
それでも、
です。
虐待事件など、
他者への一方的な攻撃に共通するのは、
加害者の余裕・余白のなさです。
無職、借金、病気。
そうした環境は、
それを加速させます。
もし、
ここで体調を崩し、
うつ病が再発したら。
ペット以前の問題になります。
「今日は何分布団から起きていられるか」
そこから、
またやり直しです。
まず体調を立て直し、
生活を立て直し、
余裕ができてから、
ペット。
そこに至るまで、
数年から数十年かかることもあります。
それは、
すべてのプレーヤーにとって、
バッドな方向です。
それなら、
一人ひとりにとって
少しずつグッドな方法を探す方が、
よほどいい。
ベストでなくてもいい。
少しずつ、
グッド。
「ほどほど」を振り切ると、
危険です。
パワハラ、
セクハラ、
ストーカー、
虐待、
洗脳、
依存、
過労死。
すべて、
「ほどほど」を超えた末路ではないでしょうか。
パワハラは指導、
セクハラは冗談、
ストーカーは愛情、
虐待はしつけ、
洗脳は師事、
依存は信頼、
過労死は労働。
最初は、
そうだったはずです。
わたしの尊敬する
高畑勲さんも、
その過剰さを強く危惧していました。
「となりの山田くん」で、
特別な能力も、
超人的な努力も、
飛躍も描かなかったのは、
「人間は大したことなくて、
ほどほどでも十分面白い。
そのまま生きていける」
という信念からだそうです。
わたし自身、
以前は、
自分の体調を後回しにして
義理人情を優先していました。
それが、
かっこよくて、
優しさだと思っていました。
でも、
それは、
最も身近な存在である
「わたし」に対して、
優しくない方法でした。
犬にも、
他人にも、
家族にも、
優しさが必要なら、
自分の心と身体にも、
同じように
労りといたわりが必要でした。
そして、
自分自身を労れるのは、
自分以外にいません。
いったい誰が、
自分の心と身体に、
「今日も一日がんばったね。
ありがとう。
お疲れさま。
ゆっくり休んでね」
と声をかけるでしょうか。
自分以外に、
いないはずです。
病気をして、
それに気づきました。
さて、
自動思考を追いかけても、
否定的な感情が増幅するだけです。
原因探しも同じです。
「抗うつ薬中断症状」
「マンション売却」
「引越し」
「犬との同居」
「家事」
「イレギュラーな残業」
影響はしているでしょう。
でも、
それを考え続けることは、
「いまここ」の自分を
助けてはくれません。
まず、
紙一枚分の工夫を使って、
別の見方で整理します。
体調は悪くなったが、
マンション売却と引越しが終わった後で、
まだよかった。
途中だったら、
もっと大変でした。
少しだけ、
ラッキーです。
何もやる気が出ないけれど、
「出勤する」という
最低限のタスクはこなせています。
「全然ダメ」
「何もできない」
という状態ではありません。
さらに、
疲労は、
すべてを否定的に見せる
色眼鏡です。
いまのわたしは、
その眼鏡をかけています。
だから、
いま浮かぶ強い思いに、
大きな意味はありません。
次に、
問題解決法を使います。
問題を縦に並べて、
50点前後の解決策を
一つずつ実行します。
まず、
妻に体調の状態を伝えます。
今日は主治医が休診日なので、
明日、
電話か通院で相談します。
今週は、
プラスアルファは一切やりません。
どうしても必要なことだけ、
やります。
眠いのだから、
今日は夜9時には布団に入ります。
いつもならコラム表を書きますが、
今回はこのブログが
コラム表代わりになりました。
いま、
これ以上、
わたしにできることはありません。
残されたエネルギーを、
その行動一つひとつに
注いでいこうと思います。