私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

大企業で働くことに翻弄されて消耗し、うつ病で2回の休職と復職を経験したketoraaaです。私がうつ病の治療で出会って感動した、肩の力が抜け、足りているものに満足し、小さなことを楽しむ、しなやかで強い心を持った自分に近づくための小さな工夫をご紹介します!【毎週末更新】

抗うつ薬断薬1ヶ月半。聴覚過敏の症状が出てきました。

こんにちは!

ketoraaaです。

 

順調にいったかに見えた抗うつ薬の断薬。

 

関連記事:抗うつ薬の断薬ができた紙一枚分の工夫 - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

今週に入り、新たな症状が出てきました。

 

聴覚過敏です。

 

出勤しても、人の話し声や電話の着信音がめちゃめちゃ耳障りで、不快です。

 

普通だったら向こう側で人が話していても、目の前の人との話に集中できますが、同じ程度に聞こえてしまうため聞き分けるのが難しい感じです。

 

これは、中断症状ではない可能性も高いです。

 

自律神経失調症として知られた症状であり、私が5年前、被災地で異変を感じた最初の症状がこの聴覚過敏だったからです。

 

関連記事:ある日突然、電話のベルが耐えられなくなる - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

正直、あの時のことを思い出しました。

 

やばいと思いました。

 

断薬できるくらい回復したのに、自律神経はまだこんなに綱渡りなのか......。

 

率直にいって不安になります。

 

もう勘弁してくれよと思います。

 

果たして、抗うつ薬を中断したことによる一時的な自律神経の乱れなのか、大事なストレスサインなのか。

 

でも、不安になるのは自然なこと。

 

いずれにしろ、必要なのは考えることではなく、小さな行動です。

 

私にできるのは、主治医に電話して相談すること。

 

今日の午前中には、職場にいられるギリギリのレベルでしたので、主治医に電話しました。

 

軽めの精神安定剤を処方するので、できれば今日病院にとのこと。

 

上司に事情を話して、午後は休んで病院に行きました。

 

急ぎの仕事がなかったのがラッキーです。

 

そして、ジアゼパムという薬を処方してもらい、先ほど飲みました。

 

基本的には抗不安薬を頓服的に飲みながら、自律神経の回復を待つことになります。

 

せっかく睡眠薬も抗うつ薬も断薬したのに......。

 

またベンゾジアゼピン系か......。

 

関連記事:【睡眠】睡眠薬を断薬するときに大切にしたこと - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

と思わなくもありませんが、喋れない私の身体が、必死に何かを訴えています。

 

きっとこの経験は、何かの気づきになるでしょう。

 

まだ抗うつ薬の断薬は早かった、ということが、新たに分かるかもしれません。

 

そういった意味では、どのような経験もノビシロにできます

 

あとは、私たちの料理の腕次第。

 

そうして、リアルタイムに起きたことに対処していく。それが現時点で知りうる究極の再発予防です。

 

経過はブログで書いていきます。

 

ま、一進一退ですね!

 

こうして、我々は後ずさりしつつ、未来に入っていくのだ

 

様々な症状と無言で戦う私の身体よ。ほんとうにお疲れさま。

【働き方】新入社員の育成で消耗しない!福沢諭吉に学ぶシンプルコーチング法

こんにちは!
ketoraaaです。

 

新年度にまつわる話が続きます。

 

この4月から職場に新入社員が入ってきたという方も多いのではないでしょうか。

 

新入社員と5歳も離れていれば、大きなジェネレーションギャップを感じることも少なくありません。

 

挨拶ができない、飲み会に来ない、報連相ができない、返事ができない、敬語が使えない新人にイライラ・・・という方もいらっしゃるかもしれません。

 

試しに「コーチング」というワードでAmazonを検索してみてください。

 

一体何冊の書籍が出てきましたか?

 

そのくらい、人材育成は多くの人が悩み、様々な工夫が試みられてきた分野です。

 

私の身近でも、「なんであいつは○○なんだ!」という話を聞くことがよくあります。

 

「いやいや、期待しないことだよ」とか「傾聴が大切」とか、その類のアドバイスも山のようにあります。

 

新入社員との摩擦が成長の好素材となることもありますが、摩擦に消耗し、大事な成長の素材とそうでないものとが分からなくなるのはもったいないですよね。

 

私の場合、社会人12年目となり、毎年新たに入っている新入社員に対して、毎年同じテンションでぶつかることができなくなったことも、新入社員に対する接し方をかえるきっかけでした。

 

こちらがどれだけ手をかけ時間をかけ燃料を投下しようとも、響かない人にはビスケットのカケラほども響きません。

 

それであれば、大事な人を大事にするための前向きな戦略として、新人に割くエネルギーを抑えて大事な人に注ぐ燃料を確保する必要があります。

 

以前は、新人の力を引き出し、能力を伸ばしたいと思っていましたが、新入社員の成長は新入社員自身の問題であり、新入社員の育成は会社の経営陣の課題であって、実は私の範囲外だったと気付いたことも大きいです。

 

それを「自分自身の大問題」と思わせていたのは、「先輩は後輩を育成すべき」という目に見えない「常識」に過ぎませんでした。

 

そこで、こういう時に右往左往して消耗しないためには、色々な手札・パターンを持っておくことが有効です。

 

ある程度こちらの手札が豊富であれば、一つの手法に執着せずに、相手のタイプに応じて柔軟に別の手札を切り替えることができるので、省エネで済みます。

 

そうして余った燃料を、悩む価値のある悩みに投入して、心理的クオリティを鍛えることができます。大事な人を大事にするために投入して、自分が自然で居られる居場所を作ることができます。

 

関連記事:【人間関係】板挟みで悩む皆さん!悩む価値のある問題にだけ悩みましょう - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫


そこで、参考に私の新入社員への接し方を紹介します。

 

私は、会社で3回新人の教育係(メンター)をする機会がありました。

 

最初は入社2年目、次は一回目の休職直後、3回目は昨年です。

 

そうした経験を通じて身に付けた、私が軸としている人材育成の考え方は次のようなものです。

 

○人は「育つ」のであって「育てる」のではない。
○新入社員といえども、他人は自分のコントロール外のことだから、思い通りにはならないのが自然。

 

これは、教育係をやったり、アルバイト時代に新人を教えたり、家族との関わりの中で、伝える情報が過剰になるほど相手には響かなかったという経験に基づいています。

 

そういった経験、皆さんもありませんか?

 

これは、コーチングのなかでもかなりポピュラーな考え方です。

 

つまり、過剰に干渉すればするほど、人の自ら育つ力は弱まり、成長は鈍っていくのです。

 

考えられば考えるほど良くなることがないように、手をかければかけるほど、人が育つわけではありません。

 

ちなみに日本企業は、「労働力を投入すればするほど、会社は成長する」というこの信念に縛られ続けています。

 

平昌オリンピックでスターとなったカーリング女子日本代表も、考えるカーリングと言っていましたよね。

 

それは、コーチの指示待ちではないということです。

 

なぜなら、実際に試合がはじまれば、試合をするのはコーチではなく自分自身だからです。

 

人生も同じですよね。

 

人生においては、誰かの指示で行動することよりも、自ら考え行動する機会の方が、圧倒的に多いのです。


自ら考え行動して成長する力を高めるには、自分で考える機会を増やす、要するに場数を踏むしかありません。

 

そして、素材で鍛えられていくのです。

 

関連記事:【認知行動療法】あなたの悩みは、成長の余地 - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

過干渉は、そういった成長の貴重な機会をせっせと奪っていくことと同じです。

 

もちろん、その過程では「自分がやったほうが早い」というじれったい思いもするでしょうし、失敗も経験させることになるでしょう。

 

しかし、それこそが好素材なのです。

 

その過程を手出しをせずに見ていることこそが、育成だと私は考えています。
 

education という言葉が明治時代に日本語化されたときの、私の好きなエピソードがあります。

 

福沢諭吉は、education の訳は「発育」が適していると主張したそうです。

 

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どうでしょう?実際にeducationの翻訳語となった「教育」の「教え育てる」というニュアンスとは違います。

 

福沢諭吉はこう主張しました。

 

学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。

 

天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するため。

 

本人が育つことの邪魔するな、と言っているのです。

 

実際の翻訳語は「発育」とはならず「教え育てる」教育となり、日本の教育は「教える」、知識の伝達の場に過ぎなくなってしまいました。私は福沢諭吉の考え方に共感します。


そこで、私の場合、新入社員に対しては年度当初に厳選した必要最小限のことだけを伝えて、あとは放任して、リアルタイムで起きたことにだけ対処しています。

 

もちろん成長のスピードは人それぞれであり、短期的には過剰に干渉した方が即戦力(日本企業が大好きなフレーズ)になるにきまっていますが、仕事人生は長いのです。

 

その人の人生は、その会社だけで終わるわけではありません。

 

長い目で見れば、この時期のトライアンドエラーはとても大切な経験です。

 

それを奪うことのほうが、私には抵抗があります。

 

伝えたことが芽吹かないこともありますが、どう消化して行動するかはその人の問題であって、私のコントロール外のことです。

 

また、新入社員の育成は、直接の業務でない限り、経営陣や管理職の直接の課題であり、私たちの関わりは必要最小限で構いません。

 

それを、一般の職員に育成目標を考えさせているとしたら、その会社はやばいですよね。冷静に考えて。

 

つまり、私の会社はやばいのです。

 

よって私が新入社員に伝えるのは、事例を示しつつ、次の3つだけということにしています。

 

理由は、仕事上とても大切なことにも関わらず、個々人に任されており、会社の研修では一切やらないからです。

 

1.仕事を進める時は、時間的な余裕に応じて次の順序で調べる。
 (1)相手の文書・メールをよく読む
 (2)引き継いだ資料、マニュアルを読む
 (3)前例(過去の稟議書・資料、前任者に聞くなど)を調べる
 (4)会社のルールを調べる
 (5)他の部署の類似例などを調べる

 

2.書類の保管は、できるだけ丁寧な方法がよいが、時間的な余裕に応じて、次の順で方法を選択して整理する。
 (1)時系列+項目別
 (2)項目別
 (3)時系列

 

3.データの保管は、ファイル又はフォルダで時系列と項目別・分類が分かるようにする。

 

これだけです。

 

経験を積んだ方に限って、こうした仕事の基礎ノウハウを軽視し、PDCAサイクルなどを好んで教えたがりますが、基礎ノウハウを個々人に任せることで会社は甚大な非効率を生み続けています。

 

それが、業務ごと部署ごと個人ごとのルールのガラパゴス化に繋がり、指示の五月雨化に繋がり、長時間労働に繋がり、本当に燃料が必要な分野に燃料を投入できず、失われた20年の日本企業になります。

 

PDCAのような全体を見渡す視点については、まず業務を一通り経験して、仕事に疑問が沸いたくらいで、伝えていく方が、右も左も分からない状態で聞くよりも効果的でしょう。

 

そもそも、そういったことを疑問に思う人であれば、こちらが教えるまでもなく重要な仕事の考え方には必ず辿り着きます。

 

最低限のノウハウさえ伝えれば、あとは失敗した時に、その人が持っているグッドな素質を歪めることがないように、少しフォローをするだけです。

 

私が人材育成で行うのは、たったこれだけです。

 

昨年度、この方法を実践した新入社員は、本人の資質もあってのびのびと活躍しています。

抗うつ薬の断薬ができた紙一枚分の工夫

こんにちは!
ketoraaaです。

 

以前、抗うつ薬の減薬に挑戦していることを書きました。

 

関連記事:抗うつ薬の減薬に挑戦中!! - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

睡眠薬は既に昨年の秋ごろに断薬しています。

 

関連記事:【睡眠】睡眠薬を断薬するときに大切にしたこと - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

記事に書いた通り、私はサインバルタという抗うつ薬の20ミリ1錠を5年くらい飲み続けていました。

 

最初は一般的な処方量である20ミリ2錠でしたが、日中あまりに眠くて生活にならなかったので、1錠に減らしてから1錠にしてました。

 

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一般的な減薬は、まず量を減らします。今飲んでいる量よりも少ないタイプがあればそれに変えますし、なくても、薬には真ん中に線が入っており、半分に割れるようにできています。

 

ですが、サインバルタはカプセルタイプなので半分に折れず、20ミリ以下も存在しないので、段々飲む間隔を空けていくという減薬になります。

 

まず2月中旬から、一日一錠を二日に一錠に減らしました。


そして、めまい、下痢、浅い眠り、不快な夢、吐き気、不安、神経過敏(音)といった様々な離脱症状(退薬症状、抗うつ薬中断症候群)が出てきました。

 

幸いなことに、浅い眠り、不快な夢、吐き気、不安、神経過敏(音)は3日くらいでおさまりましたが、めまいと下痢は強く出ました。

 

2日に一回ですから、飲んだ翌日は大丈夫なのですが、飲まなかった翌日は時間と共にクラクラとしてきて、集中力も落ちました。

 

他に強く出てきたのが、あの有名なシャンビリ感です。

 

シャンはシャンシャンという耳鳴りのこと、ビリはビリビリと脳に感じる刺激のことです。

 

耳鳴りは一切なかったのですが、ビリビリはけっこう出ました。

 

このビリビリは「脳への衝撃」「脳ショック」「脳の震え」などとも言われます。私には脳に電流が走る感じに思えました。


仕事をしながらだとしんどいものがあったので、上司に減薬で離脱症状が出ている状況を伝えておきました。

 

こうした状態ですから、減薬中の週間目標は、唯一「7日間2日に一錠を試す」だけです。

 

関連記事:【問題解決法】目標を立てて挫折してる皆さん!目標設定の3つのコツがあるんです - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

これさえできていれば目標達成ですから、他のことは最小限の労力で過ごしました。

 

新年度だから何かしようとか、飲み会に出よう、天気が良いので遠出しよう、といたものは、全て先送りです。

 

この方法は、以前問題解決法の記事で書きました。

 

関連記事:【問題解決法】行動には「失敗」はない - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫


下痢は次第にひどくなりました。減薬から1週間くらいたったときがピークで、1日に7回くらいトイレにいきました。

 

私はもともと体質的に乗り物酔いが激しく、ストレスが胃に出るタイプだったので、減薬も、めまいや下痢にでてきたのかもしれません。

 

身体が反応しているという手応えがありました。

 

逆に言うと、これだけ抗うつ薬が神経に作用していたということですから、いい意味で薬おそるべしです。

 

主治医にも状況を伝えたところ、

○まったく退薬症状が出ない人がほとんどだが、体質的に出る人はいる。
○体質的に出る人はどのタイミングであっても出る。
○長くても2~3週間でおさまる。
○何か月も続くようなら、別の原因が考えられるので対処する。

とのことでした。

 

減薬開始から2週間。薄皮を剥ぐようにめまい・ビリビリはおさまってきましたが、このペースだとかなり時間がかかりそうです。

 

とても2~3週間でおさまりそうにありませんので、主治医に相談しました。

 

◯2日に一回が波を作っている可能性はある。

◯全体的には止める方向なので、一回完全にやめてみて、その様子で次を考えてもいいかも。

◯個人差なので試してみないとわからない。まず試す。

 

とのことでしたので、減薬開始から2週間後、おもいきって断薬してみました。

 

「まず試す」

 

行動して、起きたことに対処していく。

 

とても大事な生き方の技法です。

 

その結果、4日目に強烈なめまいとビリビリを感じ、とても仕事になりません。歩くのもやっとです。

 

断薬は、4日目で断念しました。

 

でもそれでもよいのです。断念したことは失敗ではありません。

 

いまの状態では断薬は早かった、ということが分かっただけです。

 

行動には失敗はありません。

 

主治医に相談し、めまい・ビリビリを感じる間隔は緩やかに広がってきているので、今後は頓服的に飲み、身体の慣れを待つことにしました。

 

私は、日中問題なく活動できるかどうか、を飲む際の指標にしました。

 

しんどさはありましたが、先の見えないうつ病真っ只中に比べれば、見通しが立つ状態はとても気持ちが楽でした。

 

その後、3週間は三日に一錠が続きました。

 

そして、4日に一錠を2週間ほどやったたところで、3日目と4日目の状態にあまり差がないことに気付き、そのまま未知の5日目に突入してみました。

 

5日目はしんどさはありましたが、なんとか耐えられるレベルです。

 

自分を観察する、すべての技法の土台の実践です。

 

関連記事:【認知療法】自分を観察して、新しい自分の一面に気付く(セルフモニタリング) - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

これには、サインバルタの半減期が関係していると考えられます。

 

半減期とは、薬の成分の体内での濃さが半分になるまでにかかる時間のことです。

 

逆に言えば、体内に浸透するスピードとも言えますので、半減期が短いほど効き目が早いことになります。

 

サインバルタは、データ上48時間で体内の薬の成分がゼロになります。抗うつ薬の中では早い方です。

 

半減期が短いほど、身体から急に抜けていくため、身体の驚きは大きく、離脱症状も起きやすいと言われているそうです。

 

ですので、体内の成分がゼロになった直後(個人差もあるので3~5日目あたり)が離脱症状のピークになっていたと考えられます。

 

そう考えた私は、そのあたりでも、日中大きな支障なく活動できる程度に症状が収まれば、そのあとさらに症状が強くなることはないのではないかと予想しました。

 

そして、そのまま未知の6日目に突入してみました。

 

小さな行動です。

 

6日目。症状は悪化しませんでした。

 

7日目。症状は悪化しませんでした。

 

8日目。症状は悪化しませんでした。

 

9、10、11日目と過ぎても、症状は悪化しませんでした。

 

私の予想はうまくはまったようです。

 

ところが、悪化もしなければおさまりもしません。

 

ずーっとビリビリです。

 

ちょっとした変化にビリ、驚くとビリ、立ち上がるとビリ。。。

 

日中の活動に大きな支障はない状態ではありますが、いつまでも続くのはしんどいものがあります。

 

集中力が落ちるので、車の運転も控えました。

 

薬の影響がなくなって、神経が過活動状態にあるようです。

 

主治医も、「サインバルタは腰痛にも処方されれるため、神経への作用が強いのかもしれない。頭のビリビリも、脳にそういった神経はないので、頭がい骨と皮膚の間に走っている神経が薬の作用が薄まり過活動している可能性が高い」と言っていました。

 

特に、低気圧の日はビリビリが強いように感じました。

 

2週間たっても、3週間たっても変化を感じません。

 

主治医は、とりあえずできる対処として、神経を安定させると言われるメコバラミンというビタミンB12の錠剤を処方してくれました。

 

「それでも変化がなければ、心理的な要因からくる神経作用は精神科だが、身体的な要因からくる神経作用は神経内科になるので、神経内科で調べてみよう」とのことでした。

 

その後も、日々断薬による体内の変化と戦う自分を労い(要するに、無理な予定は入れず、のんびりと過ごすことを最優先にしました)過ごしました。

 

そして断薬から1か月経ったある日。

 

「あれ、ビリビリしてない」と気付きました。

 

減薬開始から約3か月。

 

ついに5年飲んできた抗うつ薬を断薬することができたのです。

 

ただ、私の人生にとって主要な問題は、断薬ではありません。

 

いまのところは心理的な変化は感じていませんが、生き生きと自然に活動することが私の大事な問題ですので、長い目で見て断薬したことによる影響がどのようなものか、引き続きマインドフルネスに自分を観察していき、小さな工夫を続けていきます。

 

自然な生き方に向けて、一歩ずつ一歩ずつ。

 

〈追記〉

ビリビリの症状がなくなったので、メコバラミンを飲むのをやめてみたところ、1週間ほどでビリビリが再登場しました。

末梢神経の修復作用を持つというビタミンB12。直接自律神経に効くわけではないと言われていましたが、あなどれません。

再度メコバラミンを飲みながら様子を見ます。

ベニガシラさんの死神が限界を迎えた社会人を救うマンガに共感

こんにちは!

ketoraaaです。

 

9万リツイートされているというベニガシラさんのマンガが話題になっているそうです。

 

死神「命を粗末にしてはいけません!!」 心の限界を迎えた社会人を救う死神の漫画に「心に刺さる」「涙が止まらない」 - ねとらぼ

 

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限界を迎えた社会人2年目の女性のもとに、突然死神が現れます。

 

死神は、女性の命を奪うのではなく、女性が輝くためにとても大切なことを伝えにきたのでした・・・。

 

死神のセリフが刺さりますねぇ。

 

あなたは頑張り屋です。

でも、その頑張りを耐えることに使ってはいけない。

あなたの魂が輝ける場所を探すこと。

そのために頑張りなさい。

 

死神に言われると説得力があります。

 

関連記事:【人間関係】板挟みで悩む皆さん!悩む価値のある問題にだけ悩みましょう - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

色々なところで、自然な生き方の狼煙が上がって、多くの共感を集めていて、うれしいかぎりです!

身近な人がうつ病になったとき、私ができること

こんにちは!
ketoraaaです。

 

5月になりました。


嵐の4月をサバイバルした方、お疲れさまでした。
身体に異変を感じた方、職場の相談室にいくなり、病院にいくなり、一刻も早く無理のない範囲でできそうな対応をとってください。

 

さて、私は2度うつ病で休職し、2度復帰しています。


いまは業務の割当を軽いものになっていることもあり、日常の生活には大きな支障はなく、旅行に行くこともできます。

 

そういった経緯もあって、「身近な人がうつ病になったが、何かしてあげられることはないか」「ちょっと体調が悪いようだ。どうしたらよいか」という相談を受けることが、度々あります。

 

5月になりましたので、4月の環境変化をきっかけに体調を崩した周囲から、そういった相談を受けている方もいらっしゃるかもしれません。

 

私は、相談を受けるたびに言葉に迷います。

 

というのも、うつ病の症状は千差万別で、一つとして同じものはないからです。

 

もちろん、平均はあります。ですが、平均は全てではありません。

 

平均ですから、そこから外れる現象が多いこともイメージがつくと思います。

 

相談者が、

 

○うつ病には何かしてあげるとよいことがある。
○うつ病とうつ病でない間には、明確な差がある。


という前提にある場合、この点を伝えることはとても難しいことです。

 

少なくとも私の経験や、同じくうつ病で悩む方の経験を聞く限り、何をやったらよくなるとか、何をやったら悪くなるとか、何ができたら完治とか、あまりそういうものはないようです。

 

あるのは、紙一枚分の差に過ぎません。うつ病とは、紙一枚分の差が、数十年と積み重なったことで、身体のバランスを崩して、冬眠状態になることに近いと思います。

 

そして、その一枚は、その人によって合うもの合わないものがあります。それも個性です。

 

つまり、あるのはその人その人の自然な道です。

 

医師は平均に基づく治療を行い、それが自分に合うか合わないかを判断するのは、自分に関する決定権をもっている私自身です。

 

私自身、5年間の治療で主治医から無理をしないようにブレーキを掛けられたことはあっても、何々をやりなさいと指示をされたことはありません。

 

復職訓練で会った方も、似た症状はあってもみな違いました。

 

同じ人でも、体調の段階によっても違いました。

 

ですから、親切心から他の病気や恋愛相談のように、「何々するとよいよ」「何々はよくないらしいよ」「何々しないとダメだよ」とアドバイスすると、単なる決め付け・押しつけになってしまい、その方の自然な生き方・気づきを妨げてしまう可能性があります。

 

そう伝えても、相談者は魔法のような技法、明確な差があると思っていますから、不満顔です。

 

大事なことなので何度も書いていこうと思います。

 

現在の医学におけるうつ病の対処法は、その人その人の状況・症状・体調の程度によって、その時その時にリアルタイムに起きたことに対処していくことです。

 

関連記事:うつ病の最終的な再発予防は何か - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

主治医にそのようにアドバイスされ、私もそう思います。

 

未来と過去には、うつ病治療の種は、ころがっていません。

 

未来は不安を生み、過去は後悔を生みます。

 

原因探しが問題解決につながるという、現代の基本的で一般的な、多くの人が身に付けている思考の型では、うつ病に対処することは難しいというのが、私の感想です。

 

その思考の型を、内省心理学というのでした。

 

関連記事:自己否定の習慣が変わるきっかけ - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

私は、会社で散々PDCA!PDCA!と言われているので、PDCAサイクル症候群と呼んでもいいのではないかと思います。

 

では、身近な人がうつ病になった時、周囲は何もできることはないのでしょうか。

 

そんなことはありません。

 

紙一枚分は、できることがあります。

 

それは、薄く些細な一枚ですが、人生では大きな一枚なのです。

 

私の経験から3点、ご紹介します。

 

まず、うつ病について知ってください。

 

新聞でも本でも病院のホームページでもいいですから、これをきっかけに、うつ病がどんなものかを調べてみてください。

 

身近な人が発する小さなサイン・SOSには、様々なものがあります。

 

眠れなくなる、出かけなくなる、食べなくなる、口数が少なくなる、笑わなくなる、怒りやすくなる、自虐的になる、起きられなくなる、身だしなみが適当になる、物忘れが多くなる、など様々です。

 

うつ病について調べることで、そのサインがつかまえやすくなり、サインに動じることなく対処することができるようになります。

 

次に、あなたのことを見ているよ、関心あるよ、心配してるよというサインを送りつづけてください。

 

つまり、声掛けです。

 

天気がどうとか、近所のつつじが咲いた、かわいい犬とすれ違ったくらいの話題でかまわないと思います。

 

ニュースの話題などは、色々なものと関連付けられるため、避けた方がよいかと思います。

 

うつ病の最中には、ガチンコで話し合うことは負担でも、話さないと話さないで、「自分なんて誰も関心ない」「自分は終わった人間」「自分がいなくなっても何も影響ない」といった思考に囚われやすい状態になっています。

 

ですから、一日一言でもよいので、声をかけ続けてください。

 

何のリアクションもなくてもかまいません。

 

そのスモールステップは、はじまりです。小さな行動というスタートラインに立てれば、グルグルと同じところを回り続けて消耗するだけの状態からは脱することができます。

 

関連記事:【問題解決法】行動には「失敗」はない - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

「おはよう」に対して「おはよう」と返してきたら、その日はそれで充分。またスモールステップを設定し、サインを送り続けてください。

 

最後に、無理強いすることなく本人が話し始めたら、その話を否定することなくじっくり聞いてあげてください。

 

そして、機を見て医療機関の受診を勧めます。

 

あとは受診するかどうかはこちらのコントロール外のことですから、未成年でない限り本人に任せてよいのではないでしょうか。

 

「いこう」「治りたい」というエネルギーが、しずく一滴でも本人に沸いてこない限り、どのような周囲のアプローチも、否定という炎のガソリンになってしまいます。

 

しずく一滴の意欲に必要なガソリンは、休養です。

 

いつ滴ってくるかは本人次第ですから、じっくり付かず離れず見守る以外にありません。

 

できることをあえてあげるとしたら、この三つだと思います。

 

逆に、その先は本人の個人的な問題なので、踏み込むのは危険です。

 

一般的な悩み相談と同じように、あまりがぶり四つで組み合って「真剣」に相手の感情と向き合っていると、こちらの性質・状況・体調によっては、ネガティブスパイラルに吸い込まれていきます。

 

二人してガソリンを注ぎ合って、どんどん悲観的な方向に迷走してしまう可能性があります。

 

ポイントは、「一日2回声掛け」とか「話すのは一日30分まで」とか、物理的な決まりを作って対応することです。

 

そうすると、数字的な上限が来たら終わりなので、仕事や家事があるこちらも、持続可能なサポートが可能になります。

 

30年の蓄積があってうつ病になったのであれば、その堆積物を下ろすのには少なくとも同じ期間が必要です。

 

そのサポートなら、30年可能だという程度の負担にしておいてください。

 

でも、悲観的にならないでほしいのです。

 

私たちの人生の目標は、うつ病を制圧することではないでしょう。

 

生き生きとその人が自然に生きられれば、うつ病と共存してもよいのではないでしょうか。

 

そう考えると、うつ病と向き合っている時間も、人生の1ページと言えなくもありません。

 

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」

 

とチャップリンも言っています。

 

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さて、「ちょっと体調が悪そうだが大丈夫だろうか」と心配な方は、ここまで書いてきたように、明確な差を素人が判定することはできませんから、ネットの情報を基に心配の種を開花させて消耗する前に、一刻も早く専門家の意見を聞いていただければと思います。

 

それが、大事な紙一枚分の行動です。

【働き方】休みたくても休めないみなさん!ドラッカーさんが言ってます。休める力は、21世紀をサバイバルする重要な能力です。

こんにちは!

ketoraaaです。

 

今年の寒暖差は強烈ですね。

詳しくは後ほど書きますが、いま私は抗うつ薬の断薬に挑戦中で、神経の活動が不安定なため、気圧や気温の変化にかなり敏感に反応しているようです。

頭に電流が流れるように、ビリビリきます。

 

関連記事:抗うつ薬の減薬に挑戦中!! - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

神経過敏のおかげでそうした変化を体感しているので、それだけ気候の変化が身体に負荷を与えてるということが分かります。

 

その辺を差し引いて、普段の生活のボリュームを考えたいですね。

 

さて、ゴールデンウィークです。

これから9連休、という方も少なくないと思います。

 

みなさん、休む練習してますか?

 

休む練習?と不思議に思われたでしょうか。

 

休みは何もしないから休みなんであって、練習なんて必要ないと。

 

このブログでも、休むこと、睡眠の大切さを書いてきました。

 

関連記事:【働き方】「余裕ができたら休もう」では休めません - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

関連記事:【自律神経】最近寝つきが悪い、身体がだるい皆さん!変化の季節には意識して手抜きを - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

また、マネジメントとはとても言えない視野の狭い子供染みた自称大人たちが会社の管理職に居座り、若手を腐らせていく様子。また、そういった価値観の支配を強化する旧時代の残留毒素である教育について書いてきました。

 

関連記事:【認知療法】学校が息苦しい皆さん!大丈夫!正しいか正しくないかという旧時代の二元論からの脱却して、自然にいきましょう - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

関連記事:【人間関係】すぐ怒り大声で叱責する課長の登場 - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

まだまだ、労働は忍耐である、労働は犠牲である、私たちは苦手を克服するために、悪癖を直すために、克己し努力し続けなければならない、休むことは周りに迷惑をかける悪である、という考え方が支配的です。

 

2度のうつ病による休職と復職をへて、私は確信しています。それらは、私たちを縛り苦しめる固い縄の一つです。

 

ただ、希望が持てるのは、失われた20年と言われる経済的な空白期間のおかげで、「それは私たちの生き方の全てではないのではないか」という声が上がり、実際に縄を解き放ったロールモデルが社会に登場してきたことです。

 

そのような記事を見つけたので、ご紹介します。ドラッカースクールのジェレミー・ハンター准教授へのインタビューです。

 

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(注)この方はドラッカーさんです。

 

記事:「頑張れ精神」は日本の毒 ドラッカー流は知的に休む|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE

 

とても重要なアドバイスが凝縮されています。

 

一つは、私たちの社会が、頑張れば頑張るほど、時間をかければかけるほどよくなるという、時代に合わない価値観を、ものすごく強い力で引きずっていること。

 

仕事の内容は、ここ20年余りで単純労働から頭脳労働(ナレッジワーク)に劇的に変化しました。

 

ナレッジワーカーの仕事はもっと複雑です。共有するナレッジそのものが複雑化しているとともに一人で完結する仕事が極端に減る、いわゆる「他者との関係性」が大きく影響するからです。にもかかわらず、日本もアメリカも、いまだに工業時代の生産性に対する考え方を引きずっています。

 

実際、パナソニック、東芝、ソニー、シャープ、NTT、NECという日本を代表する大企業が、工業時代の生産性に対する考え方を引きずり続けた挙句、どうなっていったでしょうか。

 

一生安泰と思われた銀行にも、ついに同じ波が猛烈に押し寄せています。

 

そして、ポスト工業時代をサバイバルするために、二つの重要な助言がされます。

 

自分をマネージできない人間は、他人をマネージできない。マネジャーがマネージしなくてはならない相手はまず、自分自身なんです。

 

 私はエグゼクティブをトレーニングする仕事もしていますが、受講者にとっての気づきの第一歩は、「自分がいかに決まった反応をしているか?」に気づくことなんです。自分はいつも怒っているなとか、悪い方に考えがちだとか。自分のリアクションのパターンに気づけば、それが相手にどのような影響を与えているのか、に思いをはせることもできます。怒鳴って相手を従わせるのは簡単ですが、それはマネジメントとして最悪の手法です。

 

そう、一つ目は、自分のマネジメント、自分を知ることです。

 

このブログでも、セルフモニタリングについて書きました。セルフモニタリングは、すべての技法の土台となる姿勢です。

 

関連記事:【認知療法】自分を観察して、新しい自分の一面に気付く(セルフモニタリング) - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

いまは過渡期ですが、ポスト工業時代に単純作業的な仕事は減り、記事でいうナレッジワーク、知恵をシェアして活用する仕事にシフトしてくると、人間関係の質が、生産性に直に影響するようになります。

 

誰も、怒鳴り散らす人、否定しかしない人、悪口しか言わない人たちと、新しいアイデアを話し合おうとは思いません。

 

いまはまだそういった人が他人を押しのけることで発言力を持ち、自分の狭い価値観に拘泥し、多様な自然な生き方を蔑んでいます。

 

しかし、次第に他人を押しのけることではなく自己マネジメント力を持つことの方が重要になってくる、とハンター准教授は考えているのです。

 

希望の持てる未来像だと思いました。

 

極端に言えば、私も経験したように、会社も学校も、うつ病を悪化させはしても、治療はしてくれません。

 

何が私の心地よいことなのか、それは精神科医でもわかりません。

 

私が、私の声をじっくりと聞くスキル、自己マネジメントを習得することが最も大事なことです。

 

二つ目に重要なのが、休むことだそうです。

 

日本はあまりに「とにかく頑張れ」社会なので、頑張っても、頑張っても、「まだまだ頑張れ」と言われてしまう。私が思うに、日本人は頑張るのではなく、休むことを覚えた方がいいですね。休息は効果的な行動を起こすための基本であり、神経系と根本的に関係があるのです。

 

我が意を得たり!!

と膝を叩いた方は多いのではないでしょうか。私はそうでした。

 

ハンター准教授が言うように、私たちは、休める力を鍛える必要がありそうです。

 

なぜかというと、とにかく頑張るという物理的な制限のない頑張りは、自分自身で回復可能な範囲を超えて、長く医学的な治療が必要な範囲にまで頑張り続けることが可能だからです。

 

昔は書類を清書する時間、書類を届ける時間、到着を待つ時間、といった余白が世の中にたくさんありました。

 

しかし、そういった余白は次々になくなり、思考の全速力を止める障壁がなくなったのです。

 

むしろ、家でも電車でも食事中でも旅行中でも仕事ができる、誰かと繋がっていられるようなボーダレス、シームレスなサービスが次々登場し、思考は加速化する一方です。

 

私たちが自分の身を守るためには、自分でマネジメントして止める以外にありません。

 

人間の神経系には、刺激をマネージできる範囲があります。これを「ゾーン・オブ・レジリエンス」という。心理学ではレジリエンスを「(精神的)回復力」や「復元力」と訳します。

ゾーン・オブ・レジリエンスは自分自身で回復可能な範囲。ところが頑張りすぎると、その枠を超えて過覚醒の状態になります。

健康を害してもなお、限界を超えたエリアに留まり続けると、今度は突然、エネルギー不足で走れなくなってしまいます。つまり、過覚醒状態から覚醒していない状態へと急速に落ちていくのです。

 

まさに私の思うところも同じです。

 

日本では、頑張ることについては、幼少期から、徹底的に繰り返し強迫観念化するまで修練します。

 

だから、頑張ることにはめちゃめちゃ長けています。

 

学校という狭く小さな短期間の世界においてだけは、頑張ることが唯一無二の物差しです。

 

頑張ることが評価に直結します。

 

逆に、私たちは休むことが極端に下手くそです。私もそうです。そりゃ、練習してないことを急に社会人になったからといって出来るようになるわけありません。

 

人生のバランスとして、みなさんどう思われますか?

 

頑張ることは、とても大切な資質だと思いますが、私には人生の全てではないように思えます。

 

冷静に人生を俯瞰してみると、私たちは、生まれてから死ぬまで会社に奉仕し、頑張り続けるという人生を送るわけではありません。

 

「とにかく頑張れ」のメンタリティーは日本の毒。自己犠牲で頑張りすぎるのはあまりに非健康的であり、心身をもっと大切にしなければ、21世紀で成功できない。

 

ハンター准教授が示唆するように、紙一枚分の工夫は、うつ病の治療にとどまりません。広い可能性を持っています。

 

社会の構造が変わって、自然な生き方をできることが、ますます意味を持つ時代に近づいています。

 

そういった意味では、資本主義の重大な転換点にあるのかもしれません。

 

SNSで生き方を発信し、絶大な支持を集めるインフルエンサー。10年前にはまったく想像しなかった光景がもう広がっています。

 

そのためにも、戦略として休める力を鍛える必要があるのです。

 

下手だから、練習すればいいのです。

 

大丈夫です。頑張りすぎるを見事にやってのけた私たちですから、戦略的に休むことも、練習することで見事にやってのけることができます。

 

今回の記事は前半でしたので、後半が楽しみです。

 

【スリーグッドシングス】幸せ探し神経を鍛えるトレーニング

こんにちは!

ketoraaaです。

 

4月も後半戦。

 

この週末はゆーっくり休んでください。

 

さて、皆さん。

 

スリーグッドシングス続けてますか?

 

スリーグッドシングスって何?と思われた方は、3ヶ月前のこちらの記事をどうぞ。

 

関連記事:【スリーグッドシングス】良くないことばかり気になって消耗してる皆さん!「幸せ探し」にエネルギーを割くと、その分、「間違い減らし」に割けるエネルギーは減っていきます - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

今日はスリーグッドシングスを応用した、幸せ探し神経を鍛えるトレーニングの話です。

 

私は、このスリーグッドシングスをかれこれ2年半くらい続けてます。

 

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こんな感じで、日記に毎日寝る前に書いてます。

 

昔も、収まりきらない感情のはけ口として8年くらい日記を書いてましたが、今思うと、批判的な自己分析に相当な分量を費やしたものでした。

 

2度のうつ病で、そのスタイルは自分を痛めつけ傷つけることだったと知り、スッパリ止めました。

 

ちなみに、日記帳にも工夫があって、あえてかなり小さい手帳にして、書くスペースを制限し、出来事、気持ちをシンプルに表現するようにしています。

 

経験上ダラダラと長くなった文章がポジティブだったためしがないからです。

 

青ペンなのは、青は気持ちを落ち着けると言われているためです。

 

ストレスサインをチェックするため、睡眠や食欲も10段階で記録してます。

 

紙一枚分の工夫が詰まった3センチ×15センチくらいの小さな空間です。

 

このスリーグッドシングス、はじめてみたけど、グッドなことが思いつかない、なかなか3つも出てこないという方もいらっしゃると思います。

 

それは、あなたが不幸だからではありません。

 

あなたの周りにグッドなことがないからではありません。

 

脳の、幸せ探し神経が弱っているからです。

 

逆に言うと、不幸探し神経が極端に発達しているからです。

 

これまでの不幸探し神経の継続的反復的トレーニングによって、幸せ探し神経がすっかり衰弱したのです。

 

関連記事:【認知療法】学校が息苦しい皆さん!大丈夫!正しいか正しくないかという旧時代の二元論からの脱却して、自然にいきましょう - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

それでも大丈夫です。弱っているということは、これから鍛える余地が十分にあります。

 

実際、マインドフルネスなどを継続していると脳の構造が変化してくることもわかってきたそうです。

 

つまり、幸せ探し神経は鍛えられるのです。

 

ですから、毎日時間を使って、今日のグッドなことは何かな、と考えること自体がすでに新しい回路を鍛えていることなのです。

 

おそらくいままでは、今日はこんなことを言われた、困った、イラっとした、嫌だったということを思い出すことにせっせと時間を費やしていたはずです。

 

私はそうでした。

 

特に、頭を洗ったり、ドライヤーをかけているルーティーンの時間が激しかったです。

 

そうすれば、ますます不幸探し神経を強靭なものにし、生きることが単なる苦行となっていきます。

 

まずは毎日時間を使う。そして、時間を使う自分を労う。

 

シンプルですが、大事なこと。

 

それが紙一枚分の工夫です。

 

個人差はあると思いますが、一週間や一ヶ月で、これまで数十年積み重ねた脳の回路は変わないと思います。

 

それでも、紙一枚分は、いままでと違う道に入っています。

 

続けることで鍛えられていきます。

 

私の場合は、スリーグッドシングスをはじめて2年くらいたったあたりから、3つのグッドはすんなり出るようなったので、応用編を試しています。

 

それは、ネガティブな出来事があったら、その日のスリーグッドシングスは、あえて3つ全てそのネガティブな出来事を題材にして、その出来事のグッドな面を書き出してみる、という方法です。

 

例えば、「風邪を引いたが、おかげで日中宅急便が受け取れてラッキー」という具合です。

 

こんな感じで書いてます。課長にキレられた日の日記です。

 

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これ、けっこう頭を使います。

 

私の場合、日記を前に30分くらい考えていることもあります。

 

そのまま寝てしまうこともしばしば。

 

時間がかかるということは、それだけ私の幸せ探し神経は衰弱しているのだと思います。

 

これは、脳を、いままで慣れて無意識に働く回路ではなく、これまで使ってこなかった回路にあえて使うことで、物事を複数の視点で見られる新しい回路を鍛えようという実験です。

 

この幸せ探し神経トレーニングをはじめて半年あまりたち、面白いことがありました。

 

ネガティブな出来事があっても、「あ、これで今日のスリーグッドシングスのいい素材ができた」と、出来事に対する最初の認知が変化してきたのです。

 

これは、私にはとても大きな変化です。

 

関連記事:【認知行動療法】トラブル(不安のきっかけ)は、エクスポージャー - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

これまでは、最初のネガティブな認知によって起こされた感情に振り回されて、激しく消耗することを繰り返していたからです。

 

消耗が減れば、私のエネルギーは、何か別の、私の自然な生き方のためにつかうことができる可能性がでてきます!

 

そういう意味で、物事の捉え方の型である口癖も大切だと気づくことができました。

 

口癖は認知の入り口だと気づいたのです。

 

いままでは、口癖くらいで、と半分バカにしていましたが、口癖は私たちの認知の入り口であり型です。

 

めんどくさい

なんてダメなんだ

またやってしまった

どうせダメだ

またダメだ

なんであのときああしなかったんだ

なんであんなこと言ってしまったんだ

なんでこのくらいやらないんだ

 

これらは全て、私たちの認知を決定づける働きをしていると考えて良さそうです。

 

ネットで見かけた口癖の言い換えに、面白いものがありました。

 

父親は、困ったこと、ムカつくこと、めんどくさいこと、ネガティブな状況をぜんぶ「面白いことになってきた」と言って、落ち込まなかった

 

「記憶力が落ちた」を「忘却力が上がった」と捉える

 

それが何か?と思われるでしょうか。

 

しかし、この認知の型・スタイルの秘めたる力は、私たちは強固なネガティブ思考で、嫌というほど味わっているはずです。

 

まずは紙一枚分から、です。

 

 

【暮らし】生活のたのしみ。五感を刺激するいちごジャム作りの快感

こんにちは!

ketoraaaです。

 

いちごの季節がもうすぐ終わりですね。

 

この時期には一パック200円前後の安いいちごがでまわります。安いいちごの季節に私が楽しみにしているのが、いちごジャム作りです。

 

安くて小粒で酸っぱいいちごの方が、酸味が際立っておいしいいちごジャムができます。

 

昨日スーパーで見つけたので、さっそく作りました。

 

煮詰めるのに時間はかかりますが、手間はそれほどではありません。

 

味は、販売している高級ジャムみたいです。もしかして、高級ジャムよりおいしいかも。手作りですから、甘さも自分好みにできます。

 

できたジャムは、パンにつけたり、ヨーグルトに入れたり、スムーズにしたり。

 

そしてなによりも、煮詰めている最中には、いちごの甘酸っぱい香りが部屋中に広がって、五感で楽しめます。

 

関連記事:【マインドフルネス】五感に豊かな生活と第六感で、日常に少しの新鮮さをもたらす - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

よく売っているサイズのジャムを作るには、2パックくらい、私はおおめに作るので、一気に4パック。10パック作って、余った分は冷凍して一年中楽しむという方もいました。

 

いちごはヘタを取って、洗わずにそのままお鍋へ。洗うと少し水っぽくなります。煮詰めちゃうので大丈夫です。

 

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上から砂糖をドバッとかけます。砂糖の量はお好みでですが、だいたいいちごの3割くらいだそうです。砂糖は上白糖と紹介されていることが多いですが、私は上白糖の甘さが苦手なので、てんさい糖を使ってます。

 

鍋の中でいちごを軽くつぶして、水分がでてきたら、弱火でコトコト。だいたい3時間前後くらい、少し粘りが出てくるまで時々かき混ぜながら様子を見ます。

 

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焦げだけ注意しましょう。

 

私も途中で寝ちゃったりして何度も焦がして失敗してます。

 

でも、それでよいのです。

 

小さなことではどんどん失敗した方がよいのです。

 

問題がより明らかになって、もやもやとした自然な自分の輪郭がくっきりしてきて、次につながります。

 

関連記事:【問題解決法】行動には「失敗」はない - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

一度沸騰したら、レモン汁を大さじ2、3杯いれます。

 

アクはとりません。とらなくても、私は味の違いはわかりませんでした。

 

香りを楽しみながら読書したり好きな映画を観たりして待ちます。

 

少し粘りが出てきて、かき混ぜた時に鍋底が見えるようになったら完成です!

熱いままビンに詰めます。

 

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できました!おいしいです!!

 

【認知行動療法】まずは試す!ブログを独自ドメインにしてみる実験中!

こんにちは!

ketoraaaです!

 

新年度のスタートから半月がたちました。

 

皆さんの変化にはどのようなものがあったでしょうか。

 

上司と相性が悪い。常に不機嫌。いつ何でキレるかわからない。指示が見当違い。なんでも押し付けられる。

新人との意思疎通が困難。

隣の席の人が他人の悪口ばかり言う。おしゃべりばかりしている。口臭・体臭がひどい。

満員電車がきつい。

隣人が変わり者。壁が薄くて音が気になる。

同僚の言葉遣いがいちいちきつい。

とんでもないモンスタークレーマーに当たった。

業務量が多すぎて終電に帰るのがやっと。

授業の内容が面白くない。

職場・クラスの雰囲気に馴染めない。

 

これ、すべて私が実際に経験した4月のストレスです。

こうしたストレスフルな状況を乗り切る・乗り越えるための工夫は色々あるとは思いますが、とにかく一つだけお伝えするとしたら、

 

この4月だけは、静かに穏やかにゆっくりと生活して、エネルギーを温存すること、その一つだけを心がけてください。

 

4月は誰もが同じような状況です。

 

みんなピリピリして、早く環境に適応しようと少し無理をしています。

 

ですから、この時期に感じたことや起きた出来事は、あまり今後の参考になりません。

 

4月は嵐の中を部屋でじっとしているようにやりすごし、5月以降、じっくりと周りの状況を観察していきましょう。

 

さて、お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、ブログが独自ドメインに移行しました。

 

要するに、URLが変わっています。

 

Art of natural way

 

というURLになってます。

 

自然な生き方の技法

 

というイメージです。

 

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エーリッヒ・フロムさんの「愛するということ(原題:The Art of Loving)」からちょっといただきました。

 

「なんで独自ドメインが認知行動療法?」と思われたでしょうか。

 

ブログを書く上では独自ドメインがどうかでその後の可能性が大きく異なる・・・らしいです。

 

まだまったくわからないですが、なんとなく以前から、ブログの楽しみが広がるきっかけになるかな?と、独自ドメインが気になってました。

 

ただ、このブログの独自ドメイン化、やたら面倒くさいんです。

 

無料ブログでもできるの?ドメイン作るのにお金かかるの?サーバー?ワードプレス?アフェリエイト?CSS?

 

などなど分からないことがたくさんで、気になりつつも、ブログで稼ぐぞ!!というモチベーションがこのブログの目的なわけでもありませんので、慌ててやる必要もなく、機が熟すまでずっと放置してました。

 

それでもやってみたのは、なんでもやってみないとわからないからです。

 

行動に失敗はないからです。

 

関連記事:【問題解決法】行動には「失敗」はない - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

まずは行動して試してみないと、合うか合わないか、続くか続かないか、楽しいか楽しくないか、何一わかりません。

 

先に置くのは思考でなく、行動です。

 

しかも、大きな行動では、始めるのにも大きなエネルギーを必要としますから、大きな行動ではなく、紙一枚分の小さな行動です。

 

やってみて何もならなければ、やめればよいだけです。

 

むしろ、「何かを試して自分に合わずに止めた・辞めた」という経験の素材で、心理的なクオリティは鍛えられていきます

 

関連記事:【認知行動療法】あなたの悩みは、成長の余地 - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

思考をめぐらすこと、思い悩み続けることでは、過剰に自分のエネルギーを消耗してしまい、残るのは焼け野原のような疲れ切った自分だけでした。

 

そういう経験を30年以上やってきて、うつ病という極点に辿り着きました。

 

リワークを通じて行動を優先する発想の形に出会ったことで、紙一枚の工夫に取り組むようになりましたか、やめた工夫もたくさんあります。

 

そのかわり、「認知療法」「問題解決法」「マインドフルネス」「スリーグッドシングス」など、続けているものもたくさんあります。

 

そして復職し、その都度その都度起きたことに、主治医の力も借りてリアルタイムに対処し、睡眠薬を断薬し、抗うつ薬の断薬にも挑戦中です。

 

関連記事:うつ病の最終的な再発予防は何か - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

復帰から2年と少し。食事がおいしい、自然に寝付ける、日光浴をしながらの散歩が気持ちよいという感覚が戻ってきて、本当に幸せです。

 

「できないかもしれない」「無駄かもしれない」「やめるかもしれない」「役に立たないかもしれない」「合わないかもしれない」

 

それは、始める前に分かりません。それが分かるという、健康な人間に出会ったことはありませんから、100%健康な人間でも分かりません。

 

実際に試した過程で何が問題か、何が合うか、何が楽しいかなどがはっきりしてきます。

 

やるからには全力で完璧で一生懸命がんばらなければいけないわけでもありません。

 

どこに力を込めるか、それを決めるのは、私の人生の主人公である私なのです。

 

だから、今回の独自ドメイン化のように、気軽に始めてみることを心がけてます。

 

もちろん、

大きな借金を背負う

健康を害する

命の危険がある

気分が乗らない

生活に余裕がない

といったものでない限りです。負担のない範囲でです。

 

ですので、独自ドメインも慌ててやろうとせずに、自分の身体がやりたいと思うのを待っていました。

 

思わなければ縁がなかっただけです。

 

例えば、ブログを書こうかな、と思ってから実際に書き始めるまで8ヶ月くらい、独自ドメインが気になってからブログを独自ドメインにするまで半年くらいかかってます。

 

睡眠薬の減薬・断薬には5年かかってます。

 

独自ドメインは、ドメイン取得に年間1,500円、ブログサービスを独自ドメイン可能のプランに変更するのに年間8,000円で、トータル年間10,000円くらいですから、生活に大きな影響はなさそうです。

 

ブログを独自ドメインでやるとなると、インスタ・ツイッターをやって盛大にPRしなければならない、毎日更新しなければならない、自分をブランド化しなければならない、などの情報が入ってきますが、いまの私は求めてはいません。

 

関連記事:うつ病で休職中にSNSをやめて、少しこころの平静を取り戻す - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

 

独自ドメイン化というスモールステップは達成できたので、自分をねぎらいつつ、今後も、自分のペースで紙一枚分の工夫を紹介していけたらと思います。

 

関連記事:【問題解決法】目標を立てて挫折してる皆さん!目標設定の3つのコツがあるんです - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

【認知療法】追悼高畑勲先生。マインドフルネスと認知療法に溢れる高畑勲版「赤毛のアン」

こんにちは!
ketoraaaです。

 

以前の記事で、テレビアニメ「赤毛のアン」に感動して、監督の高畑勲さんが講師をされていた日本大学芸術学部映画学科に進学したことを書きました。

関連記事:ketoraaaってダレ?何している人? - 私の自然な生き方に近づく紙一枚の工夫

有志を募り、一度、高畑勲先生と飲みに行くこともできました。

夢のような時間でした。

すでに70歳近かったのですが、見た目とは裏腹な静かで激しい情熱に驚いたことを覚えています。

 

学生がたまたま言った「CGはツルツルしている」という表現を、我が意を得たりと喜んでいたのを思い出します。

 

先生は、いつも何かにわくわくしていました。

その高畑勲さんが、4月5日に亡くなりました。

 

82歳でした。

 

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私の最も尊敬する方ですので、言葉がありません。

 

今朝そのニュースを知り、私は泣きました。

 

少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。

改めてその足跡を振り返ると、本当にとてつもない方でした。

高畑勲さんがはじめてアニメーション映画を監督したのは、いまから約50年前の「太陽の王子ホルスの大冒険」です。

アニメーションはとてつもないパワーを必要とする表現ですので、それを50年も続けられたことに、本当に驚きます。

日本でこれだけのキャリアを積んだのは、高畑勲さんと宮崎駿さんのお二人だけかもしれません。

「太陽の王子ホルスの大冒険」には、高畑勲という旗のもと、宮崎駿さんを始め、後の日本のアニメーションをけん引していくキラ星のような才能が集結しています。

その後、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」と、いまなお愛されるテレビシリーズの監督を務めます。

70年代に制作された「パンダコパンダ」という短編が、「となりのトトロ」の原型と言われているように、多くの作品を宮崎駿さんとともに制作し、宮崎駿さんに絶大な影響を与えたと言われています。

アニメ作品ではじめてロケハンという取材を敢行したのも高畑勲さんだったとのことです。

日常をつぶさに観察し、それをアニメーションという感覚的な表現で再構成することで、アニメーション化する意味はないと言われた日常の描写こそ、私たちの眠っている五感を呼び起こし、現実に新たな意味を発見することができると信じていらっしゃいました。

 

宮崎駿さんや高畑勲さんの作品に食事のシーンが多いのはこのためです。

この頃の高畑勲さんはデジタル以前のアニメーションの様々な技法に挑戦し、セルアニメの技法の8割を発明したという伝説もあるくらいです。

 

その後は「火垂るの墓」で原作の野坂昭如さんに「アニメ恐るべし」と評され、「平成狸合戦ぽんぽこ」で世界三大アニメーション映画祭であるアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞しました。

「平成狸合戦ぽんぽこ」以降に日本の作品がグランプリを受賞するのは、22年もたった昨年のことです。

近年は商業的な支持を集めることはありませんでしたが、「ホーホケキョとなりの山田くん」はニューヨーク近代美術館の永久保存作品に選ばれるなど、美術的に愛される作品を生み出していました。

アニメーション演出家としてだけでなく、日本でまだ無名だった世界的なアニメーション作家のユーリ・ノルシュテインさん(「話の話」「外套」)や、フレデリック・バックさん(「木を植えた男」「クラック」)を紹介し、セルアニメーション一辺倒だった日本でアニメーションの多様性を広めました。

また、長寿アニメの代表である「ドラえもん」のアニメ化に当たって、再アニメ化に難色を示す藤子・F・不二雄さんを説得したのも高畑勲さんだと言われています。

 

「サマーウォーズ」の細田守監督やこの「世界の片隅で」の片渕須直監督も、高畑作品から影響を受けたとおっしゃっています。

さらに、宮崎駿さんとのライバルであり盟友であり、同志である関係は有名で、初期の宮崎映画ではプロデューサーとしてサポートするだけでなく、「魔女の宅急便」の主題歌に荒井由実の起用を決めたのも音楽に造詣の深い高畑勲さんだとのことです。

宮崎駿さんは高畑勲さんを「オオナマケモノの子孫」と評し、高畑勲さんは宮崎駿さんを「エロスの火花」と評しています。

いま、宮崎駿さんの映画の設計図である絵コンテが書籍として販売されていますが、「宮さんの絵コンテは作品だから」と書籍化を後押ししたのも高畑勲さんだったそうです。

美術に対する造詣も深く、日本でアニメーションが愛される理由を絵巻物に見出すなど、アニメーション研究においても日本の先駆者でした。

 

外国文学に関しても深い教養をもっており、「おもひでぽろぽろ」で「ザ・ローズ」という曲を翻訳して主題歌、「愛は花、君はその種子」を作詞しています。

 

私はこの歌詞がとても好きです。

 

死ぬのを恐れて

生きることができない

 

それだけではありません。宮沢賢治への造詣も深く、「セロ弾きのゴーシュ」をアニメ映画化しています。

 

社会運動にも自ら矢面に立って参加し、紙一枚分でも戦争に近づきそうなことには徹底的に反対されました。

 

「柳川掘割物語」という実写映画も監督されています。

 

こうして少し振り返るだけで、生命力の塊のような方だったことがうかがえます。

 

ジブリの語源となったサハラ砂漠の熱風のように、同じ表現にとどまらず、周囲を熱して感化していきました。

 

さて、その高畑勲さんの作品の中で、「赤毛のアン」は、1979年に放送された全50話のテレビアニメです。

 

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作品の前半では、宮崎駿さんも参加していました。

 

1979年は私が生まれる前ですので、リアルタイムで見たわけではなく、高校3年生の時にたまたま地元の図書館に置いてあったビデオで見ました。

 

「赤毛のアン」では、受験が丁寧に描かれており、受験生だった当時の私にとってタイムリーに感動したことを覚えています。

 

何度も再放送していますので、その後も2度通してみる機会があったのですが、その度に、その時その時の私の琴線に触れる発見があり、心動かされています。

 

テレビシリーズを3度も通してみたことは、「赤毛のアン」以外にありません。

 

映画学科だったこともあって、数多くの映像作品に触れてきましたが、10年後に同じ作品を見てみると、記憶の中の印象とは違い「あれ、おもしろくない・・・」と感じることがほとんどです。

 

いつまでも語り継がれる名作は、人間の普遍的な感覚・感情・価値について語られているので、いつどのタイミングであっても、古臭くならず、新しい読み方を発見することができます。

 

そういった意味で、「赤毛のアン」は私にとっての唯一無二の名作です。

 

そういった作品を、高畑勲さんや宮崎駿さんが生み出せた理由が、「映画を作りながら考えたこと」や「出発点」といった本を読むと垣間見えます。

 

例えば、映画にはモブ(群衆)シーンという大人数が登場するシーンがあります。

 

大人数を描くことに恐ろしく手間がかかるため、アニメーションでは敬遠されるシーンですが、特に宮崎駿さんの作品には必ず登場します。

 

「天空の城のラピュタ」でムスカが兵士を落とすシーン、「魔女の宅急便」のデッキブラシで飛ぶシーン、「風立ちぬ」の地震のシーンなどです。

 

一般的なモブシーンは、主要な人物以外の人物は、数合わせで適当に描かれています。

 

しかし、彼らの作品では、その一人一人に対して、どのような人物で、何を考えているからどう動くのかという人間味が与えられて描かれています。

 

悪人であっても、善人であっても、どのような背景があってそのような言葉・行動に至っているかということについて、造形がされているのです。

 

そのため、
○主人公を際立たせるためだけの悪人
○恋愛だけで全てが片付く世界
というようなものは登場しません。

 

それが、作品世界に奥行きを与えています。

 

例えば、宮崎駿さんの下で「風の谷のナウシカ」の制作に加わり、後に「エヴァンゲリオン」を生み出した庵野秀明さんは、「ふしぎの海のナディア」という作品で世界征服を企む組織が登場する際に、世界征服とは何を達成することで「世界征服」と言えるのか、それをすることで組織にどのようなメリットがあるから実行するのか、という点について、徹底的に議論して悪の組織を描いたそうです。

 

それは直接的には描かれなくても、作品からにじみ出る深みとなります。

 

アニメーションにそのような深みを与えた先駆者が宮崎駿さんや高畑勲さんです。

 

そうしてもう一つの大事な点が、作品に複雑高尚なテーマを与えるのではなく、「間口が広いが、入ってくうちにいつの間にか階段を昇っている」映画を目指している点です。

 

複雑高尚なテーマが与えられた作品は、私たちの現実とは隔絶された作品です。

 

それはそれで芸術上の価値はあると思いますが、そもそも見に行くためにかなりのエネルギーを要求され、それを見て、「明日も仕事に行くか」というようなエネルギーが注がれることはあまりありません。

 

「平成狸合戦ぽんぽこ」では、現実の環境問題を扱っているにも関わらず、主人公は滑稽なたぬきたちです。

 

実はこれは、観客に主人公に没入して同化してほしくない、客観性を保ってほしいという高畑勲さんの強い信念の反映した形でもあります。

 

彼らの作品は、現実と地続きです。現実にどこかが必ず接しています。声高にテーマを訴えるわけでなく、「あ、自分もこういう気持ちになったことがある」と言うくらい軽やかに作品の人物に共感します。

 

「赤毛のアン」では、まさにそのように主人公のアン・シャーリーへの共感が作品の大きな柱になっています。

 

アンは孤児であり、痩せていて、そばかすだらけで、赤毛で、恵まれた条件とは言い難い生い立ちをしています。

 

農作業の手伝いに男の子を欲しがっていたマシューとマリラという老兄妹のもとに、手違いで女の子であるアンがきてしまい、共に暮らすようになるところから物語が始まります。

 

はじめの10話くらいは、過剰なまでに口の達者なアンになかなか共感できません。多分、少し引きます。「こんな人いないよ」と。

 

しかし、多少の過剰さもアニメーションを通じて五感を呼び起こす表現に挑戦する「赤毛のアン」ではミソです。

 

次第にアンが成長し、寡黙で人見知りなマシューと頑固なマリラと心を通わせてくると、がぜん物語に引き込まれていきます。

 

なぜ男の子を欲しがっていたマシューとマリラが、女の子を引き取ることにしたのか。なぜ寡黙で人見知りなマシューと頑固なマリラが、孤児の少女と心を通わせていくのか。

 

それは、アン・シャーリーがマインドフルネスと認知療法に溢れる発想を身に付けていたからだと私は思います。

 

アニメが作られた1979年当時、ましてが原作が書かれた1908年当時に、マインドフルネスも認知療法も知られていたわけではありません。

 

しかし、マインドフルネス的、認知療法的な思考が、困難な状況でも自然な生き方をしていくための工夫であることを、長い経験から人間は身に付けていたのでしょう。

 

アンは孤児であり、痩せていて、そばかすだらけで、赤毛ですが、そのような環境に引きずられて、「自分はなんて不幸なんだろう」「自分は今後どうなってしまうのだろうか」と、思考・感情が未来や過去に迷走することがありません。

 

それは、いつも目の前の自然を最大限に五感で感じて、「想像」を働かせて今感じていることを楽しむことに全てのエネルギーを使い切っているからです。

 

想像力を過去や未来に飛ばすのではなく、目の前の世界を詩的に捉えることに使っているのです。

 

「夏の森もいいけど、冬の森も、すてきだわ。真っ白で、静かで、まるで、美しい夢を見ながら眠っているようだわ」と。

 

その様子が、グリーンゲイブルズの美しい自然と共に、何度も描かれます。

 

これこそマインドフルネス!

 

いま目の前の世界を、私たちはすぐに俳句にできるでしょうか?

 

この心の回路は、機械化デジタル化によってとても弱っています。

 

マインドフルネスという言葉を知らなかった高校3年生当時の私は、このアンの様子に新鮮に驚きました。

 

「不幸なのに、楽しんでいるなんて・・・」と。

 

なぜなら、自分自身は、計画通り勉強できなかったことや、友人の些細な一言に縛られて悶々とし続けていたからです。

 

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また、少女のアンは様々な失敗をしでかします。ケーキに間違って薬をいれてしまったり、男の子を黒板でたたいてしまったり。

 

当時の私は、失敗という事実に囚われて、「また失敗したらどうしよう」「周りがどう思うだろうか」と思考と感情が迷走を始めるところですが、アンは失敗にこだわりません。

 

それは、一度失敗すると、同じように失敗しないように気を付けて同じ失敗を二度しないことができると考えているためです。

 

また失敗があるからこそ、「明日は、まだ何も失敗していない新しい日」と、アンは一日の始まりを素敵な気持ちで迎えるのです。

 

これぞ認知療法です。

 

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同じ事実であっても、その捉え方は一つではありません。

 

私は、「赤毛のアン」を通じて、「失敗」にこういう見方ができることを知って目からうろこが落ちました。

 

「自分もこういう発想がしたい!」と思いました。

 

しかし、どうやったらその発想を鍛えられるのかが分からず、その後も長く悩み続け、「赤毛のアン」との出会いから十数年経って、マインドフルネスと認知行動療法に出会うことができました。

 

そして、マインドフルネスと認知行動療法を知って「赤毛のアン」という作品を思い返し、改めてこの作品の素晴らしさを噛みしめているのです。

高畑先生、本当にありがとうございました。

お疲れさまでした。

 

ー我々は後ずさりしつつ、未来に入っていくのだー