大好きな沖縄に来てます☆
ほんと、大好きなんでよね~(≧▽≦)
空気、時間の流れ方、景色、料理、そして人。
特に人ですね(*^^*)
ま、いまは梅雨なんで雨ですが。笑
自分の中の沖縄は、なんとなくセンタリングに来ているイメージです。
もちろん、サッカーをやりに来ているわけではありません。
https://sports-life-1.com/soccer-centering/
「センタリング」って、シータヒーリングのTさんとのセッションでも良く出てくるワードなんですが、みなさんどういうイメージですか?
わたしは、「自分の中心軸」とか「精神的なバランス・調和」という意味だと思ってます。
これ、どういうことかというと、
例えば自分の中心軸に「うつ病のわたし」を置いていたとします。
すると、ほんの少し心が動く夜のイベントがあったとしても、「『うつ病のわたし』だから、休養を最優先にしよう」と、小さな選択を積み重ねていくことになります。
「うつ病のわたし」という選択が積み重なれば、「うつ病のわたし」は自然と強化されていきますよね。
では、自分の中心軸を「自然と調和して愛に溢れたわたし」にしてみます。
同じような選択肢が目の前にあったとして、「自然と調和して愛に溢れたわたし」だったらどう選択するでしょうか?
「自然と調和して愛に溢れたわたし」がする選択を積み重ねていけば、何が強化されるでしょう?
これが、自分の中心軸のパワーです。
自分をセンタリングすることの大切さです。
ですが、日常的なルーティーン、例えば
満員電車での通勤
書類の作成や会議の調整などの事務作業
理不尽な社員や顧客からの横暴な要求への対応
時間の浪費の会議
などを繰り返すうちに、自分の中心軸は、「自然と調和して愛に溢れたわたし」から無意識に「抗えないルールの中で疲弊するわたし」へと書き換わっていきます。
そして意識することなく、いつの間にか「抗えないルールの中で疲弊するわたし」として選択するようになります。
これを、「自然と調和して愛に溢れたわたし」という理想の中心軸に調整する作業が、センタリングだと思っています。
自家発電で、場所は関係なくセンタリングできることが理想ですが、わたしがやろうとしているのは環境を変えたり、行動を変えることでのセンタリングです。
映画論だと「カタルシス」と言ったりしますが、日常的なルーティーンをいったんカッコに入れて、距離をとる、というイメージです。
すると、「あ、中心軸がだいぶ偏ってる」って気付けるような気がするんです。
自分から見えている視界だけではなかなか気づけないので、環境を変えて自分の上にドローンを飛ばし、上空から中心軸の偏りを俯瞰してみる感じでしょうか。
わたしにとっては、ヨガもそういう存在です。
でも、沖縄でも例の条件性情動反応出ましたけどねΣ(・□・;)
場所だけじゃないのかなぁ。
慌てずに、新しい治療を試していきたいです。
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ぐっち