9月8日、離婚届を出してきました。
7月に、ブログを書かなかったのはこれです。
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いまも、毎日ブログを更新していた以前のように、書きたいことが湧き出てくる、という状態ではありません。
妻が10年続けた理容室を休業した今年4月、こういうことになるとは、まったく思ってもいませんでした…。
逆に、何が起こるんだろうというワクワク感でいっぱいでした。
当たり前のように妻とはずっと一緒にいると思っていました。
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それが、ぼくのある行動が引き金となって7月に離婚を伝えられた時、混乱しました。
取り乱しました。
こういう未来を目指したわけではないのに、こういうことになるなんて…いろんなことを恨みました。
色んな人に電話をかけまくり、LINEをしまくりました。
こういうぐっちは見たことないと言われるくらい…。
半身が引き裂かれる恐怖のようなものがありました。
本心から行動して、これからますます膨らみ拡がっていくワクワク感から、世界が急に暗く凍えるように一変しました。
しばらくは、混乱したまま、何も手につかない日々でした。
その時、友人が思い出させてくれたのは、ぼくがその友人に教えたシュリシュリさんの知恵。
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どんなに大きな雲でも、太陽を暗くすることはできません。
とても暗い日があっても、必ず昼がやってきます。
だから、心に重い雲がかかっていても、気にする必要はないのです。
ただ観察して、たくさんの感覚が浮かび上がってくるのを見て、受け入れればいいのです。
自分の感情に逆らうと、それが治るまでに長い時間がかかりますが、すぐに解決する方法があります。
それは、「手放す」こと。
つまり、「ゆだねる」ことです。
自分でどうすることもできないことは、お皿の上に置いて、神に差し出せばよいのです。
ぼくは、どうしようもなく暴れまわる感情という虎を、お皿に乗せて時間という神様に委ねることにしました。
そして、しばらくは凪のような静かな時間が流れました。
虎の呼吸が整うように少しずつ、一時の感情が削ぎ落とされていきました。
そして最後に残ったのは、感謝でした。
「あぁ、ぼくはなんというしあわせに恵まれたんだろう」
ぼくには、彼女の心の底から楽しそうな笑顔ばかりが想い出されました。
その太陽のような笑顔に、何万回と救われたんです。
出会ったとき、すでにうつ病で休職中だったぼくは結婚もあきらめていました。
出会ってくれてありがとう。
絶望していた時に、トキメキ、生きる活力をありがとう。
2人でたくさん笑うステキな食事の時間をありがとう。
旅行先で、いっぱい色んなことに共感して、楽しかった。
諏訪湖でも、下田でも、セブ島でも、広島でも、竹富島でも、修善寺でも、あなたがいたからこその特別に楽しい時間をありがとう。
広島では笑ってばかりいました。
旅行先で体調を崩しても、文句一つ言わず、前向きにとらえてくれてありがとう。
結婚をありがとう。
想いのこもった、最高の結婚式をありがとう。
うつ病になって、ろくに新婚生活ができなくても、とても長い期間、嫌な顔をせず、普段通り接してくれてありがとう。
そのままでいい、たくさん眠れたからいいと、寄り添ってくれてありがとう。
ぼくが落ち込みそうになると、笑い飛ばしてくれてありがとう。
一緒に映画を観て、食事をして、楽しい時間をありがとう。
おいしいレストランを教えてくれて、ありがとう。
気になったこところを、掃除して、食器をしまったり、家をキレイに保ってくれてありがとう。
家をいつも明るくしてくれてありがとう。
新しい視点をたくさん教えてくれてありがとう。
カレーと納豆を食べる顔が最高でした。
結婚式でも泣かなかったのに、唯一涙を見たのがドラえもんの映画日本誕生の、しかもたまたまテレビをつけたラストシーンだったのも最高でした。
いつも、ステキな髪型にして、マッサージもしてくれてありがとう。
ぼくの実家で、みんなと仲良くして子供達も喜ばせてくれてありがとう。
あなたの実家でのフォローありがとう。
3度目の休職時に長野養生園にも連れて行ってくれて、わたしを心配して新しい世界に一緒に行ってくれてありがとう。
ぼくが変わるきっかけを作ってくれてありがとう。
変化を見守ってくれてありがとう。
感謝だらけでした。
離婚という選択はしたけれど、それは、お互いが自分を大切にしたからの選択でした。
今回のぼくの経験から、思ったこと。
それは、家庭を最高のエネルギースタンドにするために、次の3つを大切にしてほしいということです。
①男性性と女性性の調和を大切にする。
②愛情表現とタイミングを大切にする。
③お互いに本音を言える余裕と安心感を持つ。
①男性性と女性性の調和を大切にする。
男性と女性は、生物的に違う特徴を持っています。
それは、お互いの長所です。
その特徴が調和するから、異なるものが混じり合ったカラフルで重層的で刺激的なダンスが生まれます。
自分一人では作り出せない彩りが生まれます。
男性は、女性の女性性を生かす工夫や作法があり、
女性は、男性の男性性を生かす工夫や作法があります。
それをないがしろにし、当たり前のものと放置すると何が起きるか。
男性の女性性が強くなりすぎると執着が生まれ、女性の男性性が強くなりすぎると、お互いがライバルになり、家庭が会社のように競争社会化していきます。
「わたしはこれをやってるのに、あの人はこれしかやってない」と。
お互いのやることなすことにイライラします。
そして、どちらの場合もセクシュアリティにトラブルが起きます。
セクシュアリティは男女のコミュニケーションの中核ですから、そこに亀裂が入った状態で、パートナーでいることは難しいです。
だから、自分自身の男性性、女性性を大切に育ててほしいのです。
②愛情表現とタイミングを大切にする。
夫婦であっても、違う背景を持った他人です。
お互いのつながりや信頼は、先天的に与えられたものではありません。
2人で作っているものです。
あなたは存在するだけで素晴らしいことを伝えているから、パートナーとなったのです。
ところが、始めの頃は、お互いにエネルギーを注ぎ合っても、お互いの存在が「当たり前」になると、空気にお金を払いたくないようにお互いにエネルギーを注ぐことが意味の無いことのように思えてきます。
ですが、空気が無くなれば、5分と持たず死んでしまいます。
人は、身近なものほど気付きにくいという心のクセを持っています。
つながりや信頼の原料は、愛情です。
愛情表現をすると、自分の何かが失われますか?
失われる気がする場合は、まず自分自身に「何が失われるの?」と質問していきましょう。
エネルギーは先出しです。
ちっぽけなプライドで出し惜しむ意味はありません。
まずハグすること。キスすること。手を繋ぐこと。
毎日、丁寧に。
お互いが存在そのものを愛することを感じてください。
③お互いに本音を言える余裕と安心感を持つ。
本音を偽った無理は、続きません。
ぼくは身をもって何度も経験しました。
自分を偽り続けることはできません。
相手は、違う価値観を持った独立した人間です。
エスパーではありません。所有物でもありません。
ぼく自身も、本音を言うことに潜在的な恐怖があり、現在進行形で練習中です。
「本音を伝えると、相手が傷つくのではないか。離れていくのではないか」
こういうおそれがあります。
でも、無理は続きません。
伝え方を工夫して、本音を伝える。
海外旅行に行って、米と納豆と味噌汁が出てきたらどう思いますか?
味気ないと思うでしょう。
それは、違いを楽しむというマインドでいるからです。
でも、知らない異国の地で日本人に会ったら、ものすごく親近感を持ちませんか?
要は、ぼくたちは共通点を楽しむこともできるし、違いを楽しむこともできるのです。
自分の気持ちの持ち方一つで。
お互いが違いを楽しむ余裕を持って、相手の本音を受け入れる。
本音を言っても大丈夫だよ、という安心感を前提とした話し合いは、きっと2人の問題に前向きなアイデアをもたらします。
いまは結婚しない選択をする人も多いです。
でもぼくは、今回離婚という選択をしましたが、家庭は最高の愛のエネルギースタンドになると思ってます。
自分を無条件の愛で満たし、さらに家庭で愛が溢れれば、より大きな愛の循環を作り出すことができるのではないでしょうか。
お互いが最強の状態で、家庭の外でも行動できるベースキャンプ。
家庭がそうなったら、最高だと思います。
2人を応援してくださったみなさまにあらためて感謝です。
ありがとうございました(*^▽^*)
2人は再出発です。
悲しみの役割は、あなたを純粋な「本当の自分」に連れ戻すことです。本当の自分とは喜びです。気づきを通して、あなたはそこに戻ることができます。
(シュリシュリ・ラヴィ・シャンカール)
ぐっち