こんにちは!
ketoraaaです。
前回は、うつ病になる人とならない人の間には決定的な差は見つけられず、小さな紙一枚分の差がたくさん見つかったという話でした。
少なくとも、私が1年に2~3回風邪をひくような普通の生活を30年続けてきた中では、こうしたうつ病を予防する暮らしの工夫と出会うことはありませんでした。
これらは病気の治療という面だけでなく、生き方の工夫という面も持っています。
30年以上自分を責めても、原因探しに躍起になっても、一歩も近づくことのなかった自分に、ほんの少し近づけるテクニックだと思いました。
うつ病を経験しなければ学ばないのでは、あまりにももったいないのではないか。
多くの人と共有する意味のあるものではないか。
そう感じてからは、機会があるたびに、この経験を話すようになりました。
そこでまた気付きました。
大なり小なり似たような経験している人が、多くいたのです。
そして誰もが同じように一人ひとりで悩み苦しんだ結果として、とても似た工夫に辿り着いていることも分かりました。
入口は別々でも同じ出口に辿り着いたということは、その工夫は、うつ病の治療だけでなく、学校でも、仕事でも、社会でも同じように活かすことができる、人間の生き方にとって本質的な部分を持っているのかもしれないと思うようになりました。
もしそうだとしたら、多くの方に知ってもらって、うつ病を予防し、楽しく、幸せに生きるヒントとしてほしいと思いました。
なぜ、私はそういった工夫と30年も出会わなかったのだろうかと、私は不思議でした。
こうした工夫に辿り着くことなく、自分を責め続け、深い闇のなかで苦しむ方も多くいたのです。
紙一枚分の積み重ねですから、始めるのが早ければ早いほど、長ければ長いほど効果的です。どれだけ小さな一歩でも、積み重なれば百万円の束のようにいつか「厚さ」を感じられるようになります。
うつ病になった後については、精神科に行くとか、自立支援とか、リワークにいくとか、十分とは言えませんが少しだけ社会的なサポートの仕組みも整ってきました。それに比べて、「予防」に対する社会的な仕組みはまったくありません。
労働者のメンタルヘルスは会社の義務だから、子供のメンタルヘルスは親の、学校の責任だから、と責任を押し付け合うだけです。
それでは会社がブラックだったら、親が無理解だったら、担任に知識がなかったら、それだけであっという間にサポートの枠組みから転落してしまうことになります。
因果関係が明確な病気もありますが、多くの病気は、誰もがなる可能性のあるものです。これは、一人ひとりの怠慢、甘え、弱さ、手抜きとは、あまり関係がありません。
どれだけ努力しても、うつ病になる時はなります。うつ病予防に必要なのは、努力でも根性でもなく、自分の脳の特徴を知って、少しだけ生き方を工夫することです。
多くの人がうつ病や様々な病気・悩みに長く深く苦しむ前に、紙一枚分の工夫を実践することで、長く深い苦しみを、ほんの少しでいいので防げないだろうか。短く軽くできないだろうか。
平たく言えば、うつ病になるまで深刻に自分を追い込むことは本当につらいので、いまよりも少しでも自分の脳の特徴や身体のサインをよく知り、予防してほしい。
そして、できることなら、責任を押し付け合うのではなく、自分の脳の特徴や身体のサインを知った等身大の自然な生き方を認め合う寛容性のある、本当の意味でも多様性を持った社会に近づいてほしい。その2つが私の願いであり、このブログで伝えたいことです。
これからお話ししていくのは、私のうつ病の治療を通じた試行錯誤の過程で、私にフィットした紙一枚分の工夫についてです。
ですから、もちろん万能ではないですし、「正解」でもありません。
ですが、ちょっと視点を変えて日常を見てみると、誰の周りにもそのような自分にあった紙一枚分の工夫の原石がたくさんあります。
このブログが、そのような鉱脈発掘のヒントとなり、読まれた方が、紙一枚分、自然な生き方に近づくことができれば、これに勝る喜びはありません。
これからお話しする紙一枚分の工夫は、一見すると何の変哲もない行動や言葉です。
それを、「工夫」と思うようになったのは、うつ病を通じて、自分の価値観に変化があったためです。
紙一枚分は、意識していないと感じられない厚さです。見方によってはごみのように見えてしまうかもしれません。
そこで、これまでに身に付けた物事の見方や固定観念をいったんカッコに入れて、これらの工夫を見ていただくために、これから私の経験を含めてお話ししていきます。
つづきます。
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