続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

放置する勇気

このブログを書いている時間と公開する時間には、実際にはいま1ヶ月ほどのタイムラグがあります。

 

つまり、この記事を書いているのは3月下旬です。

 

本も出し終わって、正直レビューが増えているか気になる時期ではあり、以前書いたように「新しい何か」が欲しい時期でもあります。

 

ですが、もしかしていまこの時間は、「放置する」「ゆだねる」時間なのかもしれないと思うようになりました。

 

「放置する」という言葉は、一見ネガティブに聞こえがちですが、インド哲学(Surrender)やわたしが歩んできた14年の月日に照らし合わせると、実は「最も高度な信頼」に近い行為かもしれません。

 

例えば、誰かにメッセージを送って、そこに反応がなかったとしても、本のレビューが増えていなかったとしても、自分の行動を信じて「放置する」。

 

いや、具体的に誰かに未読スルー既読スルーされているということではなくて、あくまで例えです。


自分ができる限りの誠実さを尽くしたあと、あえて「何もしない」という選択をする。

 

そこには、これまで見えていなかった新しい視点があるのではないでしょうか。


1. 相手の「時間」と「自由」を尊重する勇気

 

「早く返信がほしい」「本をもっと読んでほしい」と動くことは、無意識に相手の時間をコントロールしようとする行為でもあります。


放置することは、「相手には相手のタイミングがある」と認め、その自由を奪わないという、相手への究極の尊重なのではないかと思います。


2. 自分の「価値」を外側に委ねない勇気

 

レビューが増えないから、あるいは返信が来ないからといって、わたし自身のこれまでの歩みや、本の価値が揺らぐわけではありません。

 

放置できるということは、「結果がどうあれ、自分のやったことには価値がある」という自己信頼が根底にある証拠と言えるかもしれません。

 

このブログでも初期のころから繰り返し書いているように、「結果」はコントロールできません。

 

コントロールできるのは、「自分がやること」だけです。

 

3. 「空白」が新しいものを連れてくる


手の中でぎゅっと握りしめている間は、新しいものは入ってきません。


本のことや連絡のことを「放置」して、手のひらをオープンに(サレンダー)しておくことで、また別の面白いアイデアや、予期せぬ読者からの反応が入ってくる「余白」が生まれます。


「人事を尽くして天命を待つ」
 
という言葉がありますが、今の状態はまさにこれですね。

 

本に関して言えば、告知もした、説明もした。

 

そこから先は「天(あるいは相手や市場のタイミング)」の領域だと線を引く。

 

無理に流そうとせず、自然な流れが来るまで岸辺で座って待つような、強くてしなやかな境地です。

 

今は、その「放置」が生み出した静かな時間を、わたし自身のためにたっぷり使ってあげる時間なのかもしれません。

 

うつ病とともに生きる、分からなくても続けていく、という選択には、そのような余白が必要なのだと思います。

 

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