4月に、障害者雇用で入社して、
5か月が経ちました。
正直に言うと、
今も毎日、必死に出社しています。
この会社にとって、
障害者雇用は初めての試みでした。
当初は1名採用の予定だったそうですが、
最終的には私を含めて、2名が採用されました。
---
同じ時期に入社した同僚がいます。
同じ障害者雇用という立場ですが、
大きく年下で年齢も背景も、性格も、
私とはかなり違うタイプの人です。
でも、最初は同じ障害者雇用ですし、
明るい人柄なので仲良くやっていました。
生活面では、
大きな不安を抱えている様子はあまりなく、
むしろ余裕があるようにも見えます。
一方で、
仕事や人との関わり方になると、
噛み合わなさを感じる場面が少しずつ増えてきました。
---
会話をしていて感じるのは、
話がなかなか深まらないことです。
少し文脈を追う必要のある話や、
抽象的な説明になると、
話題が途切れたり、
うまく共有できなくなったりします。
本人は「学習に困難がある」と話しています。
それ自体は理解できますし、
だからこそ、最初は丁寧に関わろうと思っていました。
ただ、
それだけでは説明しきれない違和感が、
私の中に残り続けています。
---
特に気になるのは、距離感です。
こちらの行動や予定を細かく気にしたり、
何をしているのか、次は何をするのかを
頻繁に確認してきたりします。
興味というより、
安心するために把握しておきたい、
そんな必死さを感じることもあります。
悪意は感じません。
むしろ、どう関わればいいのか分からないまま、
人とのつながりを必死に求めているようにも見えます。
それが余計に、
こちらとしても対応に迷ってしまいます。
---
仕事の割り振りにも、差が出てきました。
彼には、
比較的単純な作業が中心に割り振られ、
私は少し難易度の高い業務を任されることが増えています。
同じ給料で働いている以上、
「仕事内容が違う」という事実を
どう受け止めればいいのか、
自分の中で整理がつかないままです。
人と比べることが不毛だと分かっていても、
同じ職場で、同じ空間にいる以上、
どうしても意識せざるを得ません。
---
最初のうちは、
彼の言動をどこか面白がっている自分もいました。
でも、関わる時間が長くなるにつれて、
その感覚は薄れ、
次第に不快感や疲労感のほうが
前に出てくるようになってきました。
「なぜこんなに消耗するのだろう」
そう自分に問いかけることが増えています。
---
彼が悪い、とは思っていません。
私が正しい、とも言い切れない。
ただ、
この関係性そのものが、
どこか無理をして成り立っているように感じます。
認知のテンポ、
人との距離の取り方、
関心の向き。
それらが少しずつずれていて、
そのズレを私が無理に埋め続けている、
そんな感覚です。
---
最近、こんなふうにも考えるようになっています。
障害者か健常者か、
その違い自体に、
実はそれほど大きな意味はないのかもしれない。
気の合う人とは合うし、
合わない人とは合わない。
いい人はいい人だし、
そうでない人はそうでない。
とてもシンプルな話です。
---
少しスピリチュアルな言い方をすれば、
人は同じステージにいる間、
形を変えながら、
似たような課題に何度も出会うのかもしれません。
私にとっては、
「人として魅力を感じにくい相手との関係」
が、繰り返し現れている課題なのだと思います。
これまでの環境を振り返っても、
立場や属性は違えど、
似た違和感を抱く関係性に、
何度も出会ってきました。
そしてそのたびに、
私自身が右往左往し、
体調を崩し、
結果としてその場を離れる、
ということを繰り返してきた気がします。
---
課題が見えてきたとき、
表面上は外側の問題に見えても、
本当に向き合う必要があるのは、
自分の内側なのではないか。
そんな考えが、
今、頭の中を行き来しています。
他人は変えられない。
それは定数です。
変えられるのは、
変数である自分自身だけ。
相性の悪い人と、
無理に近くにい続ける必要はないと思いつつも、
できれば、
そうした状況に過度に動揺しない、
鷹揚でいられる人でありたい。
行雲流水。
水のように、柔軟に流れるあり方。
正直に言えば、
今はまだ、そこまで達してはいません。
ただ少なくとも、
「彼がどういう人か」という問いよりも、
「私はどうありたいのか」という問いのほうが、
大事なのではないか。
今は、そんなふうに考えながら、
この関係の中にいます。