案の定、
体調が悪化してしまいました。
睡眠薬を増やし、
抗不安薬を飲むことでなんとか出勤。
このまま体調を維持して、
ゆるやかな上昇を待ちたい。
そんな中、
障害年金の手続きを委託している社労士から連絡があり、
いろんな事情で医師の診断書をさらに4通取得する必要が。
俺は公務員だったので、
障害者年金の請求先が東京都共済組合になるのですが、
組合には独自のルールがあって、
どうもそれによるもののようです。
つまり端的に言うと、
障害年金受給のハードルは高い、
と。。。
なんやねん!
こちとら給料14万弱で43歳で懸命に生きてるねんぞ!!
そんなこんなで、
恋もうまくいかない
障害年金と滞る
未来に希望が見えない。
そういうとき、原点を思い出してみます。
俺は、
うつ病だからこそできること
を探している。
たぶんそれがライフワークになる。
だったら。
以前からやろうと思っていたことをやることにしました。
病気のカミングアウトです。
これまでは、ごく親しい人にだけ個々に伝えていました。
なんとなく
うつ病はおれの一部だけど、それは隠しておくもの
という意識があったのかもしれません。
それを、うつ病を個性として前面に押し出してしまう。
たぶん、離れてく人もいるでしょう、いままでと同じように。
それでも、
なんとなく俺のスタートにはこのプロセスが必要な気がするのです。
しばらく前からそう考えていましたが、
障害年金もらえることがきまったくらいのタイミングかなーと思ってました。
しかし、いまの状況だとここからさらに
6ヶ月以上かかりそうな見込みです。
であれば今なんじゃないか。
そう思って、Facebookに次の文書を投稿しました。
みなさまたいへんご無沙汰しています。
体調悪化でやむなく沖縄を離れ、
地元である群馬に帰ってきてもうすぐ1年が経とうとしています。長文となると思いますが
お付き合いいただけましたら幸いです。多くの人には黙っていましたが、
体調悪化とは「うつ病」です。実は私は、いまから約13年前、
2012年からうつ病の治療を続け、
うつ病の治療をしながら働いてきました。2012年、
都庁での仕事も月150時間を超える残業で、
このままでは死んでしまう、
どうせ死ぬなら人の役に立つ実感が得たいと、
被災地支援で福島県庁派遣を希望し、
除染対策の激務を担う、
私がうつ病を発症したのはそんな時でした。うつ病は言葉では表せない辛さです。
いままで当たり前にできていたことができない。
楽しいという感情が分からなくなる。
食欲がなくなる。眠れなくなる。
身体が言うことを聞かず布団から起き上がれなくなる。
生きていることがつらくて死にたくなる。。。本当に色々なことがありました。
都庁で回復と悪化を繰り返す中で疲弊していき、
そもそもの環境を劇的に変えよう
うつ病でも悔いのない人生にしよう
と、念願だった沖縄移住をしたのが2021年のことです。沖縄ではたくさんの素晴らしい出会いに恵まれました。
本当に沖縄に来てよかった、
そう思っていました。それでも、
うつ病は私を見逃してはくれませんでした。去年8月、様々なストレスが重なり、
それまでしばらく鳴りを潜めていた私の症状は劇的に悪化しました、もう何度目なのか数え切れなくなる再発に打ちひしがれながら、
私は沖縄を後にしました。その時の状態は、
買い物にいくのが富士山に登るくらいの重労働に感じられる、
そういう状態です。とても一人暮らしができる状態ではありませんでした。
地元に戻った私は、
しばらくは自宅療養に専念しました。しかし、残念ながらわたしの蓄えは有限です。
私は、意を決して障害者手帳を取ることにしました。
3ヶ月後、手帳が届きました。
私の障害名は、
反復性うつ病性障害。私は、精神障害者手帳3級の障害者になりました。
人が生きるとは、
本当に思ってもいないことの連続です。沖縄でシュノーケリングを楽しんでいた頃の私に、
お前は2年後に障害者になっているよ、
といったところで、
バカな!と一笑にふしたでしょう。障害者手帳をとった私は、
一般雇用を断念し、
障害者雇用を目指すことにしました。手帳を取れば就職はスムーズに決まるだろうというのが甘い考えであることを知るのに、さして時間はかかりませんでした。
障害者雇用は、
そのほとんどか任期付きのほぼ最低時給のパートだったのです。中には正社員もありましたが、
その内実は名ばかり障害者雇用、
一般雇用と同じ扱いをする、
というものも少なくありまけんでした。ハローワークに通いながら、
なんだかいつの間にか遠くへきてしまった、
そんな気がしました。それでも、公的なサポートもあり、
私はいま群馬県太田市にある
とある外資系メーカーで障害者雇用で働いています。以前の私では考えられない単純作業ですが、
まだ体調は万全とは言えず、
フルタイムの就労に毎日が戦いです。当面の目標は、
体調を悪化させずに働き続けること。そんな私がいま恐れているのは、
いきがいが見出しにくいこと
そして孤独です。人は、挑戦できるから、
誰か何かの役に立つという実感を得ることで生きていける。この状態になって、
心からそう思います。長いうつ病によって数え切れないくらいの
諦め
を経験してきました。それでも、何か社会と繋がり、
ただの機械ではなく、
自分が生きている感覚を得たい。そうでないと、
自分がなにかたまたま道端に転がっていた
空っぽの空き箱のような気がして、
日々懸命に仕事に向かう気力が湧いてこないのです。そして孤独です。
言うのははばかられますが、
私の病気を知って、
多くの人が私の近くから音もなく消えていきました。再発を繰り返すたびにです。
いまは、それもその人の選択だ、
と思うことができていますが、
世界から次第に取り残されていくような、
静かな孤独感がありました。それでも、何度も病気を繰り返す私を温かく見守ってくれた方もたくさんいて、
言葉では言い切れないほどの感謝を感じています。正直な気持ちを言えば、
バリバリ働いて、
わーっと遊んで、
そう例えば沖縄の巨大テーマパーク事業にでも関わり、
情熱がたぎる日々を送ってみたかった。そういう人生を夢想することは、
一度や二度ではありません。しかし、神様は何の因果か、
私にはうつ病という宿命を与えたのです。お前はこの病をかかえて生きろと。
それであれば私は、
この生涯をかけて
「うつ病だからこそできること」を探し出し、
「うつ病だからこそいい人生だったよ」と穏やかに笑って死んでいきたい。うつ病が経験できてよかったと言いながら死にたい。
そしてその「挑戦」の過程で、
ささやかでも世界の多様性の発展に貢献して、
少しでも私と同じように苦しむ人が少なくすることができたら。私の人生に価値があったと言えないでしょうか。
今はそう思います。
そういうわけで、
私はいまも地元群馬で
懸命に一日いちにちを積み重ねています。そういう中で、
これからもみなさまと深い心の交流ができることを願ってやみません。みなさまとの出会いこそが
私の心の栄養なのです。長文にお付き合いいただきありがとうございました。
すべての出会いに感謝をこめて。