ここのところ組織に対するボクの考え方が
クリアに言語化されてきたような気がする。
福岡にヌーラボという会社がある。
その会社の代表の橋本さんは、
最近の記事でこう言っていた。
「あまり言われませんが、同僚や部下、上司などと仲良くするというのはすごく重要なスキルだ」
ヌーラボ 橋本正徳|フルフラットな組織をマネジメントツールで実現する | 起業・創業・資金調達の創業手帳
この仲良くできるスキルと言うものがあるから
チームのメンバーは安心して
自分の仕事にリソースを割くことができる。
このスキルを持っていないと
あいつがダメだ、上司がああしてくれない、
といった内部の問題に大幅なリソースが取られる。
そのチームは、チーム力が高いとは言えない。
橋本さんがそういう意味でこう言っていたのかわからないが、
僕の肌感覚と全く一致する。
ボクのいる観光協会も、
まさにこの点にずっも経営リソースをさき、
離職者を出すだけで
さしたる成果もあげられずにきた。
そして、その原因となった職員は
いまも誰かを批判しながら観光協会に居座っている。
つまり、それが人が育つことを待った結果だ。
沖縄で1人勝ちと言われるリゾートホテルがある。
ハレクラニだ。
ハレクラニのスタッフはとても気持ちが良い。
こうしたホテルはありそうで実はあまりない。
不思議に思っていると、
実はハレクラニの採用基準は唯一1つだけ
「いい人であること」
だと知った。
僕も今年の2月ごろから面接をしているが、
見ているのは唯一1つだけ、
一緒のチームで働きたい相手かどうかだ。
こんな基準では人が選べないのではないかと思われるかもしれないが、
選んでみると驚く。
そういう人と出会う事は実にマレなのだ。
4月から一緒に働いている本イルカの調教師と言うお姉さんはそういう人の1人である。
34人選考して、2人しかいなかった。
1人には残念ながら辞退されてしまったが。
おかげで、4月から職場の雰囲気は大きく変わった。
逆に言うと、
この仲良くなるスキルと言うものを訓練する事はものすごく難しい。
僕の都庁14年間の経験でも、
そういう人は10人にも満たない。
だから、
組織を働きやすく良いチームにしていくためには、
人を育てるという視点は
少し捨てた方が良いのかもしれない。
この仲良くなってスキルを持たない人を育てようと思っても、
それがあまりにも困難なので
そこに大きな経営リソースを取られることになる。
大きな経営リソースを割いたとしても、
結局仲良くなるスキルを持っていないので、
知識だけ身につけた
頭でっかちなメンバーが1人育つだけである。
そういう人は、
知識を独占しようとする。
さらに悪循環だ。
作られた組織の文化を変えることも
ものすごく難しい。
衰えていく日本の大企業を見れば明らかだ。
組織を立て直したと言う形エピソードは
いくつか聞くが
逆に言うとそれだけ珍しい事例だと言える。
むしろ組織を新しく作り、
組織のコンセプトに共感できる人間を集めたほうがはるかに効率が良い。
人は変わらない
とまでは思わないが
相手が変わることを待ち続ける
ということに自分の人生の大きな時間が取られる
ほど大事な相手かどうかは
よく考えてもよい。
そういう意味では
ボクのいる観光協会もあと3人そういうスタッフがいる。
ボクが来る前からのスタッフだ。
この3人がいることで
チームの雰囲気はいつもギスギスしてしまう。
いくら就業規則を整えても
いくらコミュニケーションに工夫を凝らしても
仲良くなるスキルを持っていない人は
仲良くなれない能力を発揮してしまい、
いつも同じように返してくる。
つまり、問題はこっちではなく
あっちだ。
ここについても
ボクは1年間なんとかしようと手を尽くしてきたか
今はいい意味で諦めた。
このスキルを育てるかどうかは本人の問題である。
組織の問題ではない。
ましてやボクの問題であろうはずがない。
今思えば
この仲良くなるスキルを持っているかどうか
と言う選抜をしてない公務員は
実にコミュニケーションに難のある職員が多かった。
ブログにも書いてきたが、
ずーーーーっとそこで悩んでいた。
だから、コミニケーションコストと言われる
感情を摩耗させる手間に
多くの職員が疲弊してしまっていた。
そして公務員には
仲良くなるスキルを持った職員に入れ替えると言う
組織の新陳代謝が働かない。
だから職員に漂うのは諦念である。
もちろん人が育たないと思わないが
誰かが育つのを待つために
この稀な仲良くなるスキルを持った人が
犠牲になり疲弊していく。
それは本末転倒だ。
仲良くなるスキルを持たない人には
居心地の良いぬるま湯ではなく
どこか別の場所で気づくきっかけを
得る必要があり
適した組織があるような気がする。
それを選ぶのは本人だが、
ここにいるうちは、
ボクにはそういう場を提供する気がないというだけの話しだ。