なんだかんだ、みたらみたでオリンピック感動しましたね。
選手のみなさん、本当にお疲れさまでした。
スポーツは、共通言語だ
というソフトボールアメリカ代表アボット選手の言葉がとても印象に残ってます。
なんとなく、勝ち負けの二元論の世界なのかなと思ってましたが、二元論を超えたスポーツの世界があるんですね。
さて、ボクは閉会式の日になにをやっとったかというと、
カフェで本を読んで、
那覇の「りっかりっかの湯」で岩盤浴に入ってました。
なんと那覇の国際通り近くに天然温泉があるんですね〜
場所柄、飛行機に乗る前に立ち寄る人も多く、
意外な有名人に会える穴場スポットだとか。
雰囲気は、THE下町!笑
これで、県内の温泉・サウナスポットはほぼ制覇しました。
あとは、ホテルオリオンモトブの「美ら海の湯」と、
個人でやってる岩盤浴ですね!
だーかーらー
海はどうした!w
さて、この日ボクが読んでいたのは、
この本です。
ずっと疑問だったんですよ。
なんでわざわざ好きでもない人と、
ぶつかり合いながらも、
会社だったり、部署だったりっていう
チームでやってんのか。
目指していることろは同じなのに、
なんで勝ち負けにこだわって
感情的にぶつかりあってんのか。
わざわざ組織、チームでいるのって、
「共通の目的」があるから、
ですよね。
ここが共有できてないと、
だいたいのエネルギーが徒労に終わります。
もう、何度そういう場面に遭遇したかわかりません。
いまの観光協会でも、デジャブのように同じ場面に遭遇している。
公務員は部署がコロコロかわるので、
この「目的」を見失って、
「組織維持」が目的となっていることがよくあります。
「手段」と「目的」の逆転現象。
デジタルも日本の場合そうですよね。
デジタル化して逆に不便になる、みたいな。
目的を見失うとどうなるか。
本書では、料理に例えてこう書かれています。
ある人はカレーライスが良いという。
別の人はすき焼きが良いという。
そんなときに多くの会社では、
誰かが頑張らないと、
「カレーすき焼き」を作って消費者に提供してしまうことになる。
めちゃめちゃみたことあるわ!
この「カレーすき焼き」!w
作者の森岡さんは、マーケターというマーケティングを専門にする職業の方です。
そして、マーケティングという視点を
あのUSJの経営の柱にすることで、
USJをV字回復させ、今の大成功に導いた立役者なのです。
森岡さんがUSJを変えたのは、
タイトルのとおりたった一つ。
「消費者視点」という価値観と仕組みに、USJを変えたんです
それまでのUSJは、
「映画の追体験ができるテーマパーク」がコンセプトで、
社員も当然消費者はそれを望んでいるはずと、
そこにこだわっていました。
けれど、実際にマーケティング手法を用いて分析してみると、
必ずしもそうではなった。
日本人はこういう部分が苦手です。
戦術は得意なのに、
戦略が苦手。
戦略が「もともとの目的」だとすると、
戦術はそれを「実現する具体的な手段」です。
だから、テーマが与えられると、
旧日本軍のように血眼で頑張る。
戦術はすばらしい。
日本企業の技術力はすばらしい。
でも、そもそも「アメリカに勝つ」という「戦略」が間違っている。
ガラケーの絵文字がめちゃくちゃあるとか、
「戦略」がズレてる。
そこは、求められてない。
日本人は、個人としても組織としても、
戦略のオプションを突き詰めて考えて「合理的に選ぶ」という習慣が乏しい。
日本の組織の多くは、
戦略を間違えるといよりむしろ「戦略がない」ことが多い。
日本にイノベーションが起きないのはこのためです。
合理的な戦略を設定できない。
それは、現実・現状を情緒的に(心で)観るからなのかもしれません。
日本の特技と言われる「技術力」はいわば「戦術」です。
それだけでは、商売になりません。
しだいに玄人好みの色合いが強くなり、
消費者は置き去りです。
日本の家電メーカーや自動車メーカーは、
10年前くらいまではまさにその状態。
その間に、そもそもの戦略が異なる
GAFAMが現れて、世界を席巻しています。
実際、ボクが所属した組織や部署で、
この「戦略」が明確に共有されていたことは一度もありません。
だから、経営資源(ヒト、カネ、時間)は限られているのに、
経営資源を分散させて、
すべてにおいて中途半端にしてしまう。
じゃあ、何をもって「戦略」を決めるのか。
それが、マーケティングです。
ボクのマーケティングのイメージは、
アンケートをとって事業に活用することくらいだったのですが、
実に浅かったですね。
森岡さんの言うマーケティングは、
消費者視点という目的を持って、経営資源(リソース)を配分する選択をすること。
なのです。
消費者視点というところまでは、
誰もが納得するところだと思いますが、
大変なのはたぶんその後ろ。
これがないから、
日本企業や日本政府や役所のやることが、
「とりあえずクレームはでないけど効果も薄い」
みたいになりがち。
iPhone登場前の、ガラケーの説明書とかいい例ですねよ。
誰が読むんじゃいその辞書!!
みたいになってました。
マーケティングができていないから、
行政のやることがいつも滑るし、
政治家の言葉は説得力がないし、
観光協会で個人の正義がぶつかる。
誰かの情緒が入ってるから、
なんとなく「空気感」はあるけど、
それだとチームを引っ張れない。
説得力ないから。
だから、ときどき引っ張れるカリスマが出てきた時だけバズるけど、
あくまで「ときどき」。
「マーケティング」だったのか、
とやっと腑に落ちました。
「マネジメント」でなくて。
マーケティングのないマネジメントは、
画竜点睛だったのか。
この前、まっとうなアドバイスを受けた時、
ボクが「個人が別の正義で動くこと」を、
「バラバラ」というのが面白いと言われてムカっとしました。
「膨らむ」とも言えますよね、と。
例えば、
チームが「カレー」を作ろうとしている横で、
ケーキ用のスポンジを焼いているとします。
それを面白いと思うのもアリですが、
一緒にカレーを作る相手としてはどうでしょう。
「それはケーキチームでやったほうが生かせるよね」
という話だと思います。
そして、結局「カレーすき焼き」を作ってしまっていた。
カレーすき焼きって斬新じゃん!という捉え方があるのもわかります。
そういう風に楽しむのいいような気もする。
でも、だったらそれ、気の合う人とやりたいんですよ。
別に、わざわざ気が合わない人と一緒に
チーム組んでやることでもない気がしません?
このことを、
ここ10年くらいずっと探求していた気がします。
マーケティングは、
一人ひとりの人生の選択においても言えます。
24時間80年という限られた経営資源を、
どこに選択して投入するかを、「決めているか。」
弱点に投入するか
嫌な人に投入するか
不安に投入するか
後悔に投入するか
強みに投入するか
好きな人に投入するか
希望に投入するか
その投入先を、
情緒的に、流されていないか。
そして、不満とまではいかないけど、
なんとなく満足しない日々を過ごしてないか。
選ばされているのか
選んでいるのか。
自分を観察する視点が養われれば、
自分がナスかキュウリか分かります。
ナスを無理矢理キュウリにしようとしても、
残念なナスにしかなならいです。
キュウリになることにリソースを投入する選択を
やめる選択もあるんです。
これぞマインドフルネス!!
意識の問題ともつながります。
マインドフルネスは、
注意力(関心)のコントロールです。
嫌な人のこと、嫌な出来事、
考え続けてしまいます。
ボクもそうです。
でも、それ自体が悪いのではない。
嫌なことを考えていることに気づいて、
自分で「好きなことに向ける」ことを選択すればよいのです。
でも、ボクたちは、
嫌なこと、できていないことにいっぱい関心を向けて、
ネガティブフルネスになるようにトレーニングされてきていることが多いです。
無意識は、
未来(不安)や過去(後悔)に、
ネガティブな出来事に自動的に引き寄せられていきます。
これを、不安も後悔もなく、
匂いや感触という豊かさのある
「いま・ここ」に戻してあげる。
これを繰り返すのが
マインドフルネスです。
インドの瞑想のグルに、
生きる上で大事なことは?と聞いたら、
気軽に
「ポジティブなことだけ心に留めることだよ」
と言われましたw
自分に何を残すかの「選択」を、
他人に与えずに、「自分自身」で持つこと。
これが、マインドフルネスだし、
自分の人生を生きることだし、
マーケティングです。
「大事なものを選ぶ」ということは、
逆を言えば、
「捨てるものを選ぶ」ことでもあります。
ボクは何を大切にして生きるのか、
自分に向き合うことでもあります。
全部残そうとすると、
みんな中途半端なのに
なぜかいっぱいいっぱいになります。
ゴミ屋敷ですね。
だから、これは「片付け」にも通じるんです。
大事なものを選べている状態を
幸せと呼ぶような気がします。
自分で幸せを感じることを
「選択」できているのだから。
すべては、つながる。
さぁ、マーケティング、どう仕掛けていこうか。
なにせボクは、沖縄にきて、
すべてうまくいっちゃう前提でやってくことに決めたんだ。