こんにちは!
人生を自然で豊かにするヒントを紹介していくブログ「Restart with True Engine」のぐっちです!
いやー
食わず嫌いはしないに越したことはないですね。
そう思わせてくれた本が、「嫌われる勇気」
自己啓発本の大ベストセラーです。
つい「ベストセラー」ってだけで敬遠しちゃってた。てへぺろ。
たくさんの人に読んでほしいので紹介します。
フロイト、ユングと並び心理学の三大巨頭と言われるアドラーの思想を、青年と哲学者との対話という形でまとめたこの本。
フロイトは、世界の構造を「性」で捉えようとした人。
トラウマという概念を作った人。
ユングは世界を神話的に捉えた現代スピリチュアリティの祖。
どちらも、すでに無意識のレベルでボクらの世界観に溶け込んでます。
で、アドラーはというと、まだまだそこまでいってない。
どちらかというとアドラーの真逆の考え方が主流です。
でもこの本は、ボクが、「自然体で生きる」という考え方にいたった出会いや言葉や気づきの、まさに源流、まさに決定版、と言っても言い過ぎではないかもしれない。
多分、アドラーさんにもよっぽど辛い経験があったんやろうねぇ。
矛盾をなくし、一般化するように論理的に考えることでは、この発想にはいたらないと思うのよ。
そのくらい、いわゆる常識を逆転させてます。
悲しみや不安や恐れ、欲求や嫉妬という感情と向き合った経験があるから、単なる悲しみの解説ではなく、処方箋に至れたんじゃないか。
そう思います。
だから、ある程度の体感を得てからでないと、この本の青年のように、
「理想論としては分かりますよ!でも実際にそれができないから困っているんです!」
とアレルギー反応を起こして叫びたくなるでしょう。
しかし、それは実際「できない」のではなく、「やらないという選択をしている」と考えるのがアドラー心理学です。
なぜそんな選択をしているのか?
それは、その方が自分に都合がいいからです。
何かの目的があって、意識に関わらずその選択をしている。
・・・ついてきてますか?笑
どういうことかというと、
「できない」理由が見つかれば、いつまでも「やればできる」という可能性の中に生き続けることができ、「やってみてダメだった」という現実と向き合う必要がないのです。
「おれ東京でビッグになるよ」と30過ぎても言い続ける地方のヤンキーみたいなものです。
厳しい考え方かもしれませんが、「ボクは神経質だ」と原因を分析したところで、なんら問題解決にはならないことからも、過去(原因)や未来(予測)にフォーカスするのではなく、「いま、ここ」のからまった糸をときほぐすアドラー心理学は、「生きる哲学」だと言えます。
この本がとっている対話という形式も、以前「質問は人生を変える」を紹介したとおり、
答えとは、誰かに教えてもらうものでなく、自らの手で導き出していくべきもの
とアドラーが考えているから。
関連記事:
気づきを促すのはアドバイスじゃない。質問。尋問でもないよ。 - Restart with True Engine
ボクが受けた半年間のシータヒーリングも、じっくりとボクの答えを待つものでした。
ボクがこれまで信じてきた世界観が崩れるから抵抗があるけど、ボクの言葉だから納得せざるを得ない。
そういう不思議な感覚でした。
哲学の祖ソクラテスも、アドラーも、対話によって気づきを促すことを重視し、著書を一切残していません。
この本も、神経症的な青年が、哲学者との対話によって、自ら選択する生き方(アドラーは「ライフスタイル」と呼びました。)に気づいていくという体裁を取っているので、かなり分かりやすいです。
アドラーの主張は刺激的です。
ボクがグッときたものを一つ紹介すると、
大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
これは、ボクがいま無意識にもっている感覚とぴったりとシンクロします。
こういう言葉を見つけた瞬間はゾクゾクします。
原因を追求したり、ステータス(外見、肩書き、資産、ブランドなど)に注目したり、不幸な生い立ちを悲観するのは、「自分に与えられたもの」に関心を持ち続ける「所有の哲学」です。
哲学者は言います。
「なにが与えられているか」に執着して、現実が変わりますか?
と。
まあ、変わらなかったわけ。ボクは。
そうすると次第に、「みんなボクをバカにしている」という世界観を強くして、ますます自らを生きづらくしていく。
ボクは確かに苦しかった。
でも、それを選んでいたのも自分。
と考えるのがアドラー心理学だし、実際にボクもそうだったと思う。
いまのあなたが不幸なのは、自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。
アドラーが大事にするのは、与えられた「わたし」をどう使っていくかという視点。
おもしろいですよね、「わたし」という道具を、どううまく使っていくかっていう発想。
変えられないものを変えようともがくだけ無駄。
包丁は包丁。
美しく美味しい料理を生み出す創造のツールにもなるし、多くの人を殺める狂気にもなる。
どう使うかによって。
親は変えられないけど、その親を持つ「わたし」をどう使っていくかは変えることができます。
これがアドラー的「自分を変える」ということです。
別に、理想の職業に就くことが「自分を変える」ではない、と。
どう使っていくかを考える上で、自分の課題と他者の課題を分け、他者の課題に踏み込まないことが不可欠です。
他者の課題に踏み込むと、自分の人生を生きることができません。
自分と他人を明確に線引きし、「人間の悩みは、すべて対人関係」と考えるのもアドラー心理学の特徴です。
これから紹介するフレーズに反感を持った方は、一度この本を手に取ってほしいです。
きっと反感を持つということは、「あなたが囚われている何かの価値観」が反応しているから。
アドラー心理学は、何かの価値観に囚われることなく自分には価値があると思える道も示しています。
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは、自分の経験によるショック(トラウマ)に苦しむのではなくて、経験の中から目的に合うものを導き出す。
あなたが変われないのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから。
なぜあなたは自分が嫌いなのか。それはあなたが「自分を好きにならないでおこう」と決心しているから。
他者から承認される必要などない。他者の期待など満たす必要はない。
他者のことを「行為」のレベルではなく「存在」のレベルで見る。
他者を信じることに、いっさい条件をつけない。
人は「この人と一緒にいるととても自由に振る舞える」と思えたときに、愛を実感することができる。
人生を頂を目指す登山と捉えると、人生の大半を「途上」にしてしまう。
人生に始点と終点を作らない。
最後に、アドラー心理学は、この本の青年が何度も指摘するように、
自己中心主義、自分勝手、わがまま
と誤解され、わがままな自分となることへの恐れが自らの心を無邪気に踊らせるブレーキともなります。
半年間シータヒーリングを受けたボクも、ここだけはモヤモヤとしてました。
そこにも、アドラーは気づきを残してくれていたのです!
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。