こんにちは!
人生を自然で豊かにするヒントを紹介していくブログ「ナチュラルなイキカタ」のぐっちです!
落ちんだ時にこそ本当の友達が分かるように、
嵐が起きると、普段は目立たなかったいろんな本質が強く出ますよね。
今回の新型コロナウイルスで、各国の個性が興味深いです。
アジアの国は自分たちこそ対策の世界モデルだと自画自賛する傾向にありますが、
実際に世界で称賛されているのはいまのところ台湾、ニュージーランド、ドイツの3か国です。
日本でも、国民性がはっきりと表面にでたと思います。
政治家も、有名人も、個人も、今もたくさんの発信がされてますよね。
その中身を見ると、日本で生きることの生きづらさの一端が垣間見えました。
以前の記事で、「じめっとした」感じと「からっとした」感じって書きましたけど、そこです。
良く言えば、情緒的。
悪く言えば、あいまい。
例えば、こういう言葉。(コロナじゃないけど)
2019年9月17日。
小泉進次郎環境大臣が、福島県で行った記者会見で、記者から2045年までに除染廃棄物を福島県から県外へ運び出す方針を守るために、具体的に何をするか聞かれて。
私の中で30年後っていうことを考えた時に、
30年後の自分は何歳かなと、あの発災直後から考えていました。
だからこそ私は健康でいられればその30年後の約束を守れるかどうかという、
そこの節目を私は見届けることができる可能性のある政治家だと思います。
だからこそ果たせる責任もあると思うので、その思いがなければ、ふたば未来学園の取組も私は取り組んでいません。
教育というのは一過性の支援ではできません。
生徒たちの社会に羽ばたいた後の人生も含めて責任を負うんだと、そういったことも含めての思いがあるからこそ取り組んできました。
この30年の約束も私はその思いで、ライフワークだと言ってきたことをしっかり形にするために全力を尽くしたいと思います。
この発言は「ポエム」とかなり話題になったようです。
具体的に何をするのか聞かれて、明確な部分を抜き出すと、
・自分は30年という節目を見届ける可能性のある政治家だ。
・全力を尽くしたい。
これしか言ってません。
この発言をどう解釈するかは、相当程度受け手に委ねられてると言っていいでしょう。
責任回避的で中身がないとも言えます。
「だからこそ」(小泉さんも短い発言の中で2回も使っている)、「忖度文化」の温床ともなります。
何も言ってないところから中身を見出さなきゃいけないですから。
バイリンガルニュースのマミさんも言ってましたが、
誤解があったなら謝罪します。
というのも日本の政治家の頻出センテンスですけど、
謝罪してないじゃん!!笑
誤解があったかどうかって相手しだいでしょ。
主語が「私」じゃない。
私はこの状況をこう思うので謝ります。
じゃない。笑
実は。
謝っているように聞こえるけど謝ってない。
自分はどう思うか、それを踏まえて何をやっていくかには一切触れてない。
こういう類のレトリックは、日本には無限にあります。
真摯に受け止める。
もよく使われますよね。
これも極めて主観的な言葉で、Doには何も触れてない。
その場を雰囲気で乗り切れればオーケー。
特に役所言葉。
必要に応じて検討していきます。
とか。笑笑
必要応じるかどうかという謎の条件を付けた上で、さらにやることも検討するだけっていう、実質限りなくなにも言っていないのに近いのに、何か言ってるように聞こえるという。
僕の会社でも、このようなあいまい指示は日常茶飯事です。
僕の場合はイライラするので、かならず指示内容をその場で確認するようにしてます。
少なくとも、上に挙げたような言葉を使うな人は信用しません。僕は。
では、今回のコロナウイルス対策にまつわる言葉ではどうだったか、日本とドイツのトップが、厳しい外出自粛・制限を課すにあたって国民に語り掛けた言葉を比べてみましょう。
分かりやすいように、ポイントなる部分だけ僕の主観で抜き出してますので、全文はリンク先をみてください。
まず日本の4月7日の安倍首相の会見から。
東京や大阪など、都市部を中心に感染者が急増しており、病床数は明らかに限界に近づいています。
現状では、まだ全国的かつ急速な蔓(まん)延には至っていないとしても、医療提供体制がひっ迫している地域が生じていることを踏まえれば、もはや時間の猶予はないとの結論に至りました。
この状況は、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがあると判断いたしました。
先ほど諮問委員会の御賛同も得ましたので、特別措置法第32条に基づき、緊急事態宣言を発出することといたします。
医療への負荷を抑えるために最も重要なことは、感染者の数を拡大させないことです。
そして、そのためには何よりも国民の皆様の行動変容、つまり、行動を変えることが大切です。
特別措置法上の権限はあくまで都道府県の知事が行使するものでありますが、政府として、関東の1都3県、大阪府と兵庫県、そして福岡県の皆様には、特別措置法45条第1項に基づき、生活の維持に必要な場合を除き、みだりに外出しないよう要請すべきと考えます。
しかし、専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。
そうすれば、爆発的な感染者の増加を回避できるだけでなく、クラスター対策による封じ込めの可能性も出てくると考えます。
その効果を見極める期間も含め、ゴールデンウイークが終わる5月6日までの1か月に限定して、7割から8割削減を目指し、外出自粛をお願いいたします。
この感染症の恐ろしい点は、発熱などの症状が全くないにもかかわらず感染している人が多いことです。
そして、知らず知らずのうちに周囲の人にうつしてしまうことで拡大していくという点です。
既に自分は感染者かもしれないという意識を、特に若い皆さんを中心に全ての皆さんに持っていただきたい。
外出する際にも、人混みを避け、他の人との距離を保つ、飛沫(まつ)を飛ばさないようにマスクを着けるなどの行動をお願いいたします。
そのことが他の人の命を守ることになります。
そして、ひいては自分の命を守ることになります。国民の皆様の御協力をお願いいたします。
緊急事態としての措置を講ずる以上、当然、経済活動への大きな影響は避けられません。
もとより、今でも多くの中小・小規模事業者の皆さんが事業継続に大きな支障を生じておられます。
世界経済だけでなく、日本経済が、今、正に戦後最大の危機に直面している、そう言っても過言ではありません。
その強い危機感の下に、雇用と生活は断じて守り抜いていく。そのために、GDP(国内総生産)の2割に当たる事業規模108兆円、世界的にも最大級の経済対策を実施することといたしました。
考え得る政策手段を総動員して、国民の皆様と共に、この戦後最大の危機を乗り越えていく決意であります。
率直に申し上げて、政府や自治体だけの取組では、この緊急事態を乗り越えることはできない。これは厳然たる事実です。
感染者の爆発的な増加を回避できるのか。
一人でも多くの重症者を死の淵(ふち)から救うことができるのか。
皆さんを、そして皆さんが愛する家族を守ることができるのか。全ては皆さんの行動にかかっています。改めて御協力をお願いします。
全く先が見えない大きな不安の中でも、希望は確実に生まれています。
日本中、世界中の企業、研究者の英知を結集して、ワクチン開発、治療薬の開発が進んでいます。
9年前、私たちはあの東日本大震災を経験しました。
たくさんの人たちがかけがえのない命を失い、傷つき、愛する人を失いました。
つらく、困難な日々の中で、私たちに希望をもたらしたもの、それは人と人の絆、日本中から寄せられた助け合いの心でありました。
今、また私たちは大きな困難に直面しています。
しかし、私たちはみんなで共に力を合わせれば、再び希望を持って前に進んでいくことができる。
ウイルスとの闘いに打ち勝ち、この緊急事態という試練も必ずや乗り越えることができる。そう確信しています。
全文:令和2年4月7日 新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
続いてドイツのメルケル首相の3月18日の演説から。
私は今日このような普通とは異なったやりかたで皆様に話しかけています。
それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお話ししたいからです。
これは開かれた民主主義の一環です。
即ち、私たちが政治的決断を透明なものとし、それらを説明します。
皆さんの理解が得られるように、私たちの行動が正当である理由付けをできる限り示し、それをお伝えします。
エピデミックについてはー私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の科学者およびウイルス学者との継続しておこなわれている審議から得られた見解です。
世界中で強いプレッシャーの元で研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
このような場合、できることは、ただ一つであり、これがすべての私たちの行動の指針となります。
すなわち、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばし、時間を稼ぐことです。
研究者が治療薬とワクチンを開発するための時間です。
また、とりわけ発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間となります。
重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散速度を低下させることです。
そして、1つのことに頼らなければなりません。公的生活を可能な限り停止することです。もちろん理性と判断力を持ってです。
国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されるからです。
できる限り多くの経済活動を維持したいと思っています。しかし、人々を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体に害を与える可能性のあるものすべてを減らさねばなりません。
私はあなた方に保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるということを知っている私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。
そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、例え一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。
さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。
私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の対策が無駄になってしまうでしょう。
それは私たち自身です。私たちの誰もが無差別にウイルスにかかる可能性があり、今誰もが助け合う必要があります。
まず、第一の助け合いは、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。
不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
一人一人にかかっています。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れる運命であるはずはありません。
私たちには対抗手段があります。すなわち、お互いに配慮して距離を保つことです。
ウイルス学者の助言は明確です。
特に握手は避ける、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル隣の人との距離を取る、そしてお年寄りは特にリスクが高いのでほとんど接触しないのが理想的ということです。
状況は流動的で、私たちはその中で学習しつづけ、いつでも再考して、他の手段で対応できるようにします。
その際はそれも説明します。このため、皆さんにお願いします。噂を信じないでください。
多くの言語にも翻訳されて発表される公式メッセージのみを信じてください。
この状況は深刻であり、まだどうなるかわかりません。すなわち、個々がどのように規則を守って実行するかということに、事態が左右されるということです。
一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って賢く行動し、それによって命を救うことを示す必要があります。
例外なく、それは、個々、つまり私たち全員にかかっています。
あなた自身とあなたの愛するひとを大切にしてください。ありがとう。
全文:メルケル首相はなぜ人気取り戻した?コロナ演説全文から分かるその凄さ | 東京オリンピック消滅の年、いったい何があった?
この二つのスピーチを読んで、みなさんはどう感じるでしょうか。
ここからは、あくまで僕が感じたことを書きます。
まず、メルケルさんのスピーチは、
現状はどうで、何に基づいて自分が何を判断し、国民に何を伝えたくて、何をしてほしいか、
がとてもはっきりしています。
一番最初に、「連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお話ししたいからです。」と言ってますよね。
それは「開かれた民主主義の一環」だと。
治療法もワクチンもない現状を踏まえて導きだされた重要なことはたった一つ。
「ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばし、時間を稼ぐこと」
そのために、「特に握手は避ける、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル隣の人との距離を取る、そしてお年寄りは特にリスクが高いのでほとんど接触しない」
これが現状では唯一の対抗手段であり、命を救う。
ただし、「この状況は深刻であり、まだどうなるかわかりません。」
要約作業をすると分かるのですが、話の筋道がしっかりしているので、とても要約しやすい。
それはつまり、「わかりやすい」ということでもあります。
一方で安倍首相のスピーチ。
「全国的に蔓延にはいたっていないが、医療体制はひっ迫」
「医療の負荷を抑えるために国民が行動を変えることが大切」
「自分は感染者かもしれないという意識を持ってほしい」
「日本経済が、今、正に戦後最大の危機に直面しているので、世界最大級の経済対策を実施」
「皆さんを、そして皆さんが愛する家族を守ることができるのか。全ては皆さんの行動にかかっている。」
「みんなで共に力を合わせれば、希望を持って前に進んでいくことができる。」
「全く先が見えない大きな不安の中でも、希望は確実に生まれている。」
正直、ものすごく要約しにくいです。
話の全体像がみえにくいんです。
内容も、中学生の夏休みの目標(みんなで力を合わせるって笑)みたいで、実際国内の状況がどうで、どういう根拠をベースに政府がどう判断して、国民に最も伝えたいことはなんなのかがはっきりしません。
「専門家の賛同を得られた」
と
「ここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の科学者およびウイルス学者との継続しておこなわれている審議から得られた見解」
では、発言の信ぴょう性が全然ちがいます。
よーするに、分かりにくいんです。
経済対策は政府がやる!と力を込めてますが、
最優先であるはずの感染予防については、「国民が」「みんなで」「皆さんの」と、政府がどうしていくかには一切触れていないことに気づかれました?
日本「全ては皆さんの行動にかかっている」
と
ドイツ「個々、つまり私たち全員にかかっている」
当事者意識が違いますよね。
ドイツの内容だと、政府も国民も当事者で、それぞれがなすべきことをなしていくということになっている。
日本の場合は、あくまで国民の行動にかかっているのであり、国民が意識をかえていかなければならない。
ドイツは、「意識」とは一言も言っていません。
主語は、「私」や「私たち」です。
安倍首相の発言に「私は」は一回も出てきません!一回も!!
だから、全体の印象が評論家っぽいんですよね。
自分の上司でもしょっちゅう思うことがあります。
あれ?なんで仕事の評論しているの?って。
で、お前は何するの?って。
会議ともなると評論家だらけですよ。笑
評論家が100人いても映画はできません。笑笑
お前判断してみろよ、と会社員人生で数限りなくツッコミをいれてきましたし、今も入れてます。
困るのは担当者ばかりです。笑
映画批評してるんじゃないんだから、評論されても何も変わりませんよね。
「希望が生まれている」って、どこに生まれてるんですか・・・。
苦しんでる人に「なんとかなるよ。止まない雨はないよ」くらい響かないんですけど。
メルケルさんは、「状況は流動的」とはっきりと言っています。
流動的だからこそ、いまできることをやることかどうかが事態を左右するんだと。
説得力あります。
日本語は主語がなくても成立する特殊な言語です。
だから、「物事をあいまいなままにしておける」という優れた性質を持っています。
そのかわり、はっきりさせることが苦手です。
これが、いろんなところに潜んでます。
もちろん、はっきりさせない方がいいこともあるんでしょうけど。
これは自分自身にも言えて、
「私はどう思っているのか」
「私は何が楽しいのか」
「私はわくわくしているか」
こういうものをあいまいにしておけちゃいます。
そしたら、実は全然楽しくないのにそれに気づけないってことも起こる。
けっこう頻繁に。
これが、いつまでも真綿で首を絞められているような違和感の正体です。
ぐっち