こんにちは!
人生を自然で豊かにするヒントを紹介する「ナチュラルなイキカタ」のぐっちです!
最近は先日ご紹介した幡野広志さんに、一方的に親近感を抱いています。
関連記事:
悩みに寄り添うことばたち〜幡野広志著「なんで僕に聞くんだろう。」 - ナチュラルなイキカタ
うつ病患者
と
がん患者
という状況が似ていて、世代も近いからかも。
「心の風邪」と一時期言われたうつ病は、むしろガンに近い、と言われるようになってきています。
関連記事:
「うつ病の何がつらいか、苦しいか」を3点あげるとしたら。 - ナチュラルなイキカタ
治りにくさ
再発率
人間関係や仕事などへの影響
不自由になる暮らし
自責感(過去の習慣や選択への後悔)
もちろん、うつに「末期うつ」というものがあるわけではないけれど、様々な点でガンとうつは共通項があるんですよね。
だからこそ、その経験を経ることで、僕の「生きる」がどのレイヤーにあるかに気づくヒントになったと思います。
僕の「生きる」は、会社にも家族にも友人にも世間にもなく、僕自身の中にある。
それを「自然体で生きる(ナチュラルなイキカタ)」と名づけて、ブログのタイトルにもしました。
この「生きる」価値観を持っている人に、僕は共感するようです。
自分というレイヤーを生きている人は、本当に大切なものを大切にすることができます。
岡本太郎さんしかり、武田双雲さんしかり、ガワンデさんしかり。
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明日死ぬとしたら、この瞬間どう過ごす?アトゥール・ガワンデ「死すべき定め」 - ナチュラルなイキカタ
幡野広志さんに惹かれて、「ぼくたちが選べかなったことを、選びなおすために。」を読んで、この「生きる」にぴったりの言葉を知りました。
言葉の発見、読書の醍醐味。
乱暴な言い方を許して欲しいのですが、この本は、ガン告知〜治療を題材にした、人間関係と生き方の本です。
特に幡野さんがおっしゃっている「選べなかったこと」とは、「家族(特に親)」です。
幡野さん自身の経験や、様々な体験を聞いたところ、実は、ガンという病気を受け入れることはできても、それにまつわる人間関係に悩まされる続けるが多いのだといいます。
「相手のことを思って」という顔をして、自分が悲しまないために患者の選択を縛る。
「お父さんはこういうことを望んでいるよ」と、死者を聖人君子にして遺族の生き方を縛る。
「○○はいい子だ」と、子供の生き方を縛る。
そうした生き方の鎖を、病気は明かにします。
そして問います。
誰のための人生なのだ?
と。
僕は様々な出会いに恵まれて、
本当に自分の人生を生きること
これこそが、病気であるかないかにかかわらず、生きるよろこびだと今は思っています。
僕がうつ状態から劇的に抜け出して行ったのは、まさに
「誰かのために」「何かのために」生きることを止めてからです。
この新鮮な感覚をうまく言語化できなくてもどかしかったのですが、この本の言葉に、何か大切な世界線を発見したような気がして、時が止まりました。
生きるとは、「ありたい自分を選ぶこと」だ。
と幡野広志さんは言います。
そう、何もかも自分で選ぶこと。
何時に寝るかでもいいです。どこから体を洗うかでもいい。テレビを欲しいていなければテレビを消すでもいい。
ところが、僕たちは「学校」や「親」といった「自分で選ばなかったもの」の価値観(習慣だったりします)に縛られて苦しんでいることがとても多いです。
ぼくが人生に後悔がないと言えるのは、すべてを自分で選んできたからだ。
進路を選び、写真という天職を選び、妻というパートナーを選び、その結果として、どう控えめに言ってもかわいい息子に恵まれた。自分だけの家族を、選びなおした。病気になってからは友人たちも選びなおし、ますます人生が輝いていった。いま、ぼくのまわりに「自分で選んでいないもの」はほとんど存在しない。
自分のまわりを「自分で選んだもの」で満たしたら?
近藤麻理恵さんの片付けの魔法も、まさにこの「自分の選択」を人生の最優先事項にもってくるトレーニングといっていいと思います。
これなんです!
これ!
「今日のお昼に何を食べるか」というような小さなものからで十分なので、まず自分で選択していく体感を重ねていくこと。
その時に、はじめて生きづらさや違和感のない「自分の時間」を過ごすことができる。
それはもう、誰のものでもない、自分のオリジナルです。
個性やオリジナリティーを意識したわけでもなんでもなくて、オリジナルなんです。
ガンだと分かって、意識的に過去を振り返らなかったという話も印象深いです。
後悔は、何も変えてくれないのだ。
例えば後悔が「薬」のようなものだったとしたら、話は変わる。後悔すればするほど症状が良くなるというなら、ぼくだってよろこんで後悔をする。健康診断を受けておけばよかった、人間ドックに行くべきだった、脂や塩分を控えておけばよかった、あんな働き方をしなければよかったと、いくらでも自分を責める。でも、どれだけ後悔したところで症状は改善しない。がんになった事実も変わらない。
「どうしてがんになったんだろう」という問いは、ほぼ間違いなく「自分の何が悪かったんだろう?」という自責に姿を変えていく。何も悪くない、ただ病気になっただけの自分を、いたずらに追い込んでいく。そんなことに時間や体力を費やすなんで、あまりにもばかばかしかった。
僕もそうでしたが、「なぜうつ病になったんだろう?」と原因を考え、それに対処することで再発予防を図ろうとすることが多いと思います。
結果には必ず原因があって、それに対処することで必ず解決が図られる、というストーリーを徹底的に教え込まれているからです。
しかし、僕がそうだったように、そうして生み出されるのは終わりのない自己嫌悪です。
そして、その自己嫌悪がさらに後悔を生み、次第に深みを増すこのぬかるみから抜け出せなくなっていく・・・。
そこで疲れ果てるのではなくて、大切な自分の時間と労力を、「自分の選択」に振り向けていく。
「自分でない何か」というぬかるみを抜け、自分という大地を着実に歩くことができる。
少しずつ、自分の人生が輝きだす。
いままで蔑ろにされていたものが、磨かれていく。
優しく切実な言葉で、あらためてそのことに気づかせてくれた素晴らしい本です。