以前から関心のあった行動経済学の本をやっと読めました。
友野典男さんの「行動経済学~経済は「感情」で動いている」
本の中身の話をする前に、簡単に行動経済学の話を。
ぼくも専門家ではないので、あくまでもぼくの解釈ということで。笑
実は、これまでの経済学(新古典派経済学・標準経済学)は、人間を「100%合理的な人間」として設定するというおそろしい暗黙の了解の上に成り立っていました。
もちろん判断ミスはあるけど、究極的には100%合理的な選択を志向する、という前提。
だから、行動を数式的に表すことも可能。
1+1=1.8
になっちゃうこともあるけど、そういうのはエラーだから、
1+1=2
という風に人間の行動をとらえて、経済を考えても問題ないよね、ということみたいです。
感覚的には違和感ありますよね。
でも、これが経済学の分野ではだれも異論を差し挟まないくらいに、あまりにも常識中の常識だった。
それが、心理学が発達してくるにしたがって(実は経済学と心理学はもともとは一つだった!)、これまでの経済学では説明できないことがたくさんあることが分かってきた。
そして、経済学に「感情」をミックスしてみたら、あらあら、いろんな現象の説明がつく!
これは、人間は合理性で動いてるんじゃなくて、「感情」で動いてるんじゃない!?
1+1=1.8
と自動的に「-0.2」する特性があるんじゃない!?
と気づいて誕生したのが、「行動経済学」
ノーベル経済学賞を取りまくってる分野らしいです。
さらに一歩進んで、脳の働きと経済を結び付けて研究を進めている「神経経済学」という分野もあるとか。
で、この本の内容!
ぼくは、こういう風にアカデミックな説明をされて、とらえどころのなかったものの姿がつかめるのが好きです。
うつ病とかさ、「自分に何が起きてるの????」と思うじゃないですか?
「自分おかしくなったんじゃないの?」
「もう使い物にならないんじゃないの?」
って。
「こういう性格の自分は社会不適合者なんじゃないの?」
「もう“普通”に働けないんじゃないの?」
って思いません?
時々、「感情なんてなくなりゃいいのに!」って思いませんでした?
でも、そんなことなわいけ。
うつ病を引き起こす“性格”も、人類の進化の結晶なわけさ。
「感情」に、ぼくたちは命を助けられていたわけ。
ぼくが行動経済学に感じたのは、”つながり“
人類の長い長い歴史と、時々ぼくをやたら振り回す感情との”つながり“
行動経済学の中心となる概念が、
ヒューリスティクスとバイアス
です。
ヒューリスティクスは「発見的手法」
バイアスは「偏り」のこと。
といっても難しい。笑
ヒューリスティクスとバイアスは、
合理的でない人間が意思決定するときによとりどころとする簡便な、手がかりとなる方法とその結果生じる判断や結果の偏り
となります。
まだ難しい。笑
身近な例だと、「ことざわ」とか「格言」
「急がば回れ」
「備えあれば憂いなし」
「鉄は熱いうちに打て」
とかね。
ヒューリスティクスは「日常生活で役立つ一面の真理」のこと。
一面では真理ではあるけど、必ずしも100%真理なわけじゃやないから、
それによって得られる判断には、客観的な正しい評価とは大きく隔たる
ことがあります。
実は、人間がどう判断・選択してるかって、よく分かってないらしいんですよ。
これまでの経済学のように、「100%完璧に合理的」って仮定すれば、損得だけで考えているから楽なん。
100円と1000円はどちらが得ですか?
って聞けば、100人中100人が1000円っていうでしょ?
だけど、決して人間は損得だけで判断するわけじゃないですよね。
大好きな女性からもらう手作りのマフラーと、大嫌いな知り合いからもらうハイブランドのコートだったら、手作りのマフラーを選ぶわけですよ。
この点がロボットには超難しくて、AIがシンギュラリティを起こさないんじゃないかって根拠にもなってるみたいなんですが、
無視して良いことと無視してはいけないことを見極めるのは、簡単そうに見えてロボットには容易ではない
みたい。
それを人間はやってる。
ヒューリスティクスを用いることで、
多くの場合にはある程度満足のいく、場合に寄っては完全な答えが素早くかつたいした労力もなし
に得られちゃうんです。
ヒューリスティクスは、人類が長い長い気の遠くなるような歴史の中で身に着けてきた、英知なんでね~。
すごいじゃん!
じゃあ、ヒューリスティクスとバイアスには具体的にどういうものがあるか。
経済学者がたーくさん実験して分かってきたものをご紹介しますね。
これ、「あるある」でおもしろいんですよ~(≧▽≦)
フレーミング効果!
コップに半分水が入っているのを見て、「まだ半分入っている」と思う人は楽観主義者で、「もう半分しかない」と思う人は悲観主義者だという言葉もある。
水が一杯に入っているコップから空のコップに水を半分移すのを目の前で見せられたら、もともと一杯だったコップにには「水が半分残っている」と思うだろうし、もともと空だったコップは今は「半分満たされている」と感じるであろう。どちらも「コップ半分の水」であることに変わりはないのに。
人はまったく同じ内容を見ても、状況や理由によって違うように受け取るのである。
(カーネマンとトヴェルスキーは)問題が表現される方法を、判断や選択にとってのフレームと呼び、フレームが異なることによって異なる判断や選択が導かれることを「フレーミング効果」と名付けた。
これ、ぼくの大好きな武田双雲さんがよくおっしゃることです!
「恵みの雨」と思うか、「あいにくの雨」と思うか。
とらえ方で幸福感が変わってくるという考え方ですね。
関連記事:とらえ方を変えるだけで人生が変わる!武田双雲さんの「ポジティブの教科書」 - ナチュラルなイキカタ
ぼくも、まったくその通りだと思います。
ただ、一歩進むと、そもそも、水不足に悩む農家だったら「恵みの雨」と思うだろうし、楽しみにしていた遠足当日の小学生だったら「あいにくの雨」と思うでしょ。
これが、フレーム。
いきなり目の前に空のコップが置かれていることはなくて、そこにいたるストーリーがある。
別に「あいにくの雨」と思うことがダメなわけなじゃいんです。
ぼくたちの判断はフレームにすごく影響を受けるから、どういうフレームで判断しているのかも考えると楽になるかも、という話
プロスペクト理論の損失回避性!
人間が快感を得る仕組みの最も重要で大きな特徴は、人はプラスの刺激よりもマイナスの刺激に対してずっと敏感である、ということである。
これは行動経済学の中でも、最も有名なバイアスだそうです。
「1000円得する」と「1000円損する」だと、損する方を評価する、という性質のこと。
しかも、だいたい2.5倍も!
実験を重ねることで、この2.5倍という数字は導かれたみたいです。
だから、人間の行動は、損失を回避するように回避するようになるのがごく自然なことなんですね。
ギャンブルで「損を取り返したい」と依存していくのも、このバイアスが働いてます。
現状維持バイアス!
人間は現在の状態からの移動を回避する傾向にある。
現状がとりわけ嫌な状態でない限り、現状からの変化は、良くなる可能性と悪くなる可能性の両方ある。そこで損失回避的傾向が働けば、現状維持に対する志向が強くなる。
損失回避性と関連して。
ぼくもそうですが、変えたくても現状をなかなか変えられないという人は多いと思います。
それは、未来には良くなる可能性と悪くなる可能性が同じ割合であるのだから、悪くなる可能性を2.5倍評価するいので、そりゃ現状に留まるよね、という偏りのこと。
ピーク・エンド効果!
(ある病理)検査全体の感想は、最も大きい時の苦痛と、検査の最後の3分間の平均的な程度に左右される。
人間が記憶によって過去の出来事に対する効用判断(満足度の評価)を行う時の強い傾向。
これはかの有名な格言「終わりよければすべてよし」ですよね。
それが科学的に証明されました。
以前紹介した「死すべき定め」でも取り上げられてた理論です。
関連記事:明日死ぬとしたら、この瞬間どう過ごす?アトゥール・ガワンデ「死すべき定め」 - ナチュラルなイキカタ
過去のことを思い出すとき、ダメなことばっかり思い出してますます落ち込んだりするのは、もーそういうもんだってことですよ。
それにあらがおうとして、もう人間はそういうもんだから。
だったら、それをうまく扱う仕組みを考えたほうがいい。
おしっこ我慢するより、トイレに行っちゃた方がいい。
違うか!?
確証バイアス!
いったん自分の意見や態度を決めると、それらを裏付ける情報ばかり集めて、反対の情報を無視したり、さらに情報を自分の意見や態度を補強する情報だと解釈するバイアス
これも分かる!
ちょうど年末に武田双雲さんが「コンビニ理論」として紹介してたもののこと!
関連記事:武田双雲オープンセミナーその2「コンビニ行けるわけがないと考える人はいない」 - ナチュラルなイキカタ
これまで「いい人」だった東出昌大さんのネガティブ情報がざくざく出てくるのも、こういうことなのかなーと思います。
「言われてみればあの時のあの態度は・・・」みたいな。
再認ヒューリスティクス!
二つの対象のうち、一方は聞いたことがある(再認できる)が、他方は聞いたことがない時、再認した対象が基準に照らして高い値を持っていると判断できる
選挙のシーズンになるとひたすら候補者名を連呼するのはこれを利用してますよね。
別に行動経済学を理解してるわけではないと思いますが、ヒューリスティクスとして、なんとなく分かってる。
何を伝えたいか分からないCMもそうです。
まったく同じ内容の商品が二つあったら、人間は聞いたことがある企業の商品を買いますよね。
まだあるよ!
サンクコスト効果!
本来ならこれから先の意思決定には無関係なはずのサンクコスト(過去に支払ってしまってもう取り戻すことのできな費用)を考慮に入れたために、非合理な決定をしてしまうこと。
これもあるある!
無駄にしたくないから食べ放題で食べ過ぎて体調崩して医療費の方がかかるとか、
止められない公共事業とか、
興味なくなったのに続けてる習い事とか。
これは、為末大さんの「諦める力」にも書かれてました。
関連記事:「あきらめ」は、「逃げ」ではなく「選び直し」(為末大さん著「諦める力」から) - ナチュラルなイキカタ
媒介の最大化!
実際の商品ではなく、商品の購入によって得られるポイントとかマイルなどを集めることが目的となってしまうこと。
お金もまた媒介に過ぎない。しかし、お金を得ようとして一生懸命働くが、満足や幸福に必ずしも結びつくとは限らないのはよくあることだ。
「手段の目的化」とも言いますよね。
はじめは手段にしか過ぎなかったルールが、だんだんそれを守ることが目的になって、もはやなぜやってるのかもわからなくなっちゃう。笑
大企業によくあります。
そういう自分ルール、ありません?
「~してはいけない」とか。
ソマティック・マーカー仮説!
推論や意思決定を行う際には、一種の「身体感覚」が重要な役割を果たす。
選択する場合には、選択肢に関する損得勘定を正確に行う以前に、身体の反応が生じるというのである。
「何をすべきか知るだけでは不十分であり、何をすべきかを感じる必要がある」
とこの論の提唱者は言ってます。
これも、武田双雲さんが年末のセミナーで言ってたことと同じですね。
目の前に猫が飛び出してきた時、危ない!と思って体が止まる、と考えるのが普通です。
ところが、最新の研究では、体が反応して危ないと思うことが分かってきたのだそうです。
関連記事:武田双雲オープンセミナーその3「願いをかなえるための順番」 - ナチュラルなイキカタ
武田双雲も行動経済学もすげー。
ふぅふぅ。
とりあえずこの辺にしといてやるか。笑
いやー、すごい数ですよね。
ヒューリスティクスとバイアスの数。
もちろん、すべて紹介してません。
人間て、なんでこういう性質を備えたのかなーと思いますよね。
でも、こういう性質があったからこそ、人類はここまで進化したんです。
恐怖という感情は、目の前にヘビが現れたというような、じっくりと論理的に考えていたのでは間に合わない、命に関わるような状況の時に、われわれに瞬時に「逃げる」という行動をとらせる優れた装置なのだ。
もともとそのような恐怖感情を持っている人々と持っていない人々がいたとしよう。恐怖感情を持っている人々が持っていない人々よりも長く生き延びることができて、そこで多くの子孫を残すことができるならば、そして恐怖感情が遺伝あるいは学習などの手段で伝えられるのであれば、恐怖感情を持っている人々がどんどん多くなっていく。
そう、ヒューリスティクスとバイアスは、「優れた装置」だったんです。
なんかちょっと愛おしくなりませんか?
いまは環境に合わなくなってきた面もあるけど、こういう性質があるから、ぼくたちの祖先は命をつなげた。
なんとなく、車虎次郎を思い出しました。
最近映画見たからかな。
ぐっち
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