前回は、行動すること、なかでも所作を整えることが願いを叶えるスタート地点であるという話でした。
セミナーは、双雲先生絶好調!いよいよ佳境、生き方の根本の話に入りました、
あ、先生はいつも上機嫌ですけどね。笑
そもそも、願いって何よ、という話。
いくら行動を変えたところで、他人の評価のように曖昧なものをゴールにしていたら、評価はコロコロ変わるから、ゴールもコロコロ変わって終わらない戦いに疲れ切ってしまう。
絶対の評価ってないです。
ヒント⑤自由のヒント
日本人の好きなストーリーには、型があります。
「弱いものが苦しんで強くなっていく」
という型です。
ドラゴンボール、スラムダンク、ワンピース、どれもこの型の作品です。
もちろん、おもしろさはあるし、どの作品も双雲先生は大好きなのですが、この型は、どうしても「終わらない戦い」にならざるを得ません。
昭和までは、経済成長という分かりやすい人参が目の前にぶら下げられて、戦うことができました。
強くなっていく理由が見出せて、この型でもモチベーションが保てました。
終わらないという感覚を持っていなからです。
それが、物語が飽和していくように、その人参がおいしくないことをインターネットが暴いてしまいました。
強い者と戦っても、永遠に戦いは終わらないし、楽にも楽しくもならないということに気づき始めたんです。
こうして、どう生きていいか分からなくなら人が続出。
日本は平成に入り「失われた30年」と言われ、先進各国は「長期停滞」という迷走時代に入りました。
どう生きてもいいけど、どう生きていいかわからない。
この自由な時代を幸せに生きるヒントは、
自分の「快」
だというのが双雲先生の考えです。
ある意味自由で、ある意味混乱した時代には、自分の感覚に戻ってみる、というのは先人の言い残したことでもあります。
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もちろん、ものすごい努力を乗り切った先の「快」もあるでしょうし、快感覚は人それぞれです。
あくまで双雲流自由でワクワクする生き方が、ものすごく高い壁を苦しんで上った先の「快」ではなく、この瞬間に楽園に行ける(即身成仏、楽々ワールド)「快」なんです。
あくまでも、自分の「快」。
自分の外側に幸せの基準を置くと、同じ「快」を基準にしても苦しくなりこともある。
それが分かるのが、「褒める」と「肯定」の違い。
この二つが区別して使われていることは少ないと思います。
ですが、褒めるは比較なので、影を生みます。
すごい!えらい!
は、「○○に比べて」が潜んでる。
一方で、「肯定」には価値の差がありません。
天才!美しい!
は、ただその存在に感動していますよね。
富士山は、○○山と比較して美しいわけじゃない。
双雲先生は、「金メダルを目指すもったいなさ」という言い方をされていました。
金メダルは4年に1度。
一瞬の出来事。
そこにだけフォーカスすると、その過程の
一つ一つの流れの美しさ
に気づくことはできません。
人生とは、一瞬の金メダルではなく、この流れそのものです。
一つ一つの流れの美しさを丁寧に味わい、自分の快感覚を磨いていく。
やるかやらないかよりも、やってみたらどう感じたかと、
自分が楽しいかどうかチェックできるか
こそが、自由に幸福に生きるヒントなんですね。
さて、セミナーも締めに入りました。
時間を告げられた双雲先生は、
え?まだ15分くらいじゃ・・・
と。笑
いえ、2時間すぎました。
最後に、武田双雲さんがセミナーまとめたのが、
自分が気持ちいいポイントを渡っていくと、何かすごいことが起こる
ということでした。
そのためにも、まずは所作から。
双雲先生おすすめのやり方は、
丁寧週間
だそうです。
例えば、シャワーを丁寧に味わう、とか。
日常の所作を丁寧に味わう一週間。
このセミナーの後から意識しているのですが、気づくと日常の何気ない動作は雑になっていますね。笑
その度に、あ!と丁寧にウォシュレットのスイッチ押したりしてます。
あ、今珈琲館でブログを書きながらキーボードを叩く動作はスピード重視になっていました。笑
こうした動作を味わってみる。
1週間だけでいいから。
すると、力が抜けて幸せを感じる回路が回り始めるようです。
さて、最後に双雲先生の幸せメソッドの順番をまとめると、
所作
→心
→思考
→習慣
→環境
習慣あたりにならないと目には見えないからなかなかスルーしがちなことでしたが、この順番がとても大切なことを双雲先生は伝え続けています。
ぐっち