今年の9月、ついにご本人に会えた、ヨガ・シロマニ(インドの政府から悟りに達した崇高なる教師に認定された人)で、NGO団体「アート・オブ・リビング(生きる知恵)」創設者で、ノーベル平和賞にノミネートされたこともある世界的な精神指導者・平和活動家のシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールさん。
気づかないうちに人の目を気にして、疲弊し、何かに違和感を抱えながらそういう自分を変えたいと望んでも変わる方法が分からなかったぼくには、「自分の内なる空間に安心感を見出す」というシュリシュリさんのメッセージが、突き刺さりました。
ところが、この感動は人に伝えるのがとっても難しい。
「見える化」全盛の時代に、目で見ることができないものを信じるという考えは、人参と玉ねぎで因数分解するようにうさんくさいのかもね。
でも、ぼくの実感として、「ありえないでしょ」と思ったものは、絶対に起きない。
現実化していったものは、必ずどこかで脳裏をよぎった自分のイマジネーション。
忘れてるだけで。
「自分の内なる空間に安心感を見出す」というのは体感なので、言葉では限界があるんです。
それを言葉にすることに言葉の魅力もあるんですが、それはまた別の話。
それでも、シュリシュリさんは自分の内なる空間について、美しい言葉で語っています。
シュリシュリさんの言葉の、どこか少しでも引っかかったら、自分の内側という宇宙への旅(HAPPY SPIRITUAL JOURNEY)に踏み出してみてほしいな。
そんなわけで。
今回もシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール著「大聖者シュリシュリさんの贈り物 幸せに目覚める気づきの言葉」学研プラス発行から。
あなたは何を探し求めているのでしょう。
何か素晴らしい喜びを探しているのでしょうか。
本当はあなたこそが、喜びそのものなのです!
人生で経験する喜びは、あなたの内面、真の自己の奥深いところかは湧き上がってきます。
あなたがしがみついているすべてを忘れて、心を動かさず、その場で静かに落ち着いたとき、素晴らしい喜びを得ることができます。
○○ができたから、○○を手に入れたから、という条件付きの喜びは、本当に自分の内面から湧き上がる喜びでしょうか?
心は「努力しないこと」で育つというシュリシュリさんの話もありました。
関連記事:シュリシュリ・ラヴィ・シャンカール講演会「瞑想2.0~心のトレーニングのコツ」 - ナチュラルなイキカタ
「大学合格」「結婚」「○キロ減量」「昇進」とか、条件を達成したことで起こる喜びって、本当に一瞬です。
経験するとわかるけど。
体感だから。
それが納得できないうちは、多分しばらく体感する時期なのかもしれまテン。
帰れまテン。
いやいや、帰り道はあるよ。どの道も。だからさ、恐れてもいいから、進んでみよう。
条件付きの喜びは、その一瞬が過ぎ去ったら、今度は失う恐れと戦わなければいけない。
んで、条件を達成していない時間と、恐れと戦う時間の方が圧倒的に長いという矛盾!!
これが、現代人の苦しさの根源みたいです。
だったら楽しい時間を長くする。
超シンプルにいって、これがポジティブになる秘訣。
自分の機嫌を自分でとっちゃう。
そしたら、どこいっても最強よ、最強。
浪費型経済は、この自己否定と恐れを生む「条件」が、さも永久の喜びにつながるかのように見せかけ、ぼくたちの欲望を刺激します。
コマーシャルって基本そういう作りしてるでしょ?
自分の外側に設定しないと、必要以上に浪費してくれないから。
でもさ、ぼくも考えたことなかったけど、「好き」という感情はどこからくるでしょ?
雄大な自然を見た時の感動は?
本当においしいものを食べた時のうれしさは?
優しさに触れた時の感動は?
どこかから自然と湧き上がってきませんでした??
自分で、
「出でよ感動!!」
って、湧き上がらせようとしていませんよね。笑
その源泉こそ、自分の内面。
真の自己の奥深いところです。
誰かが、「あなたって○○ね」ってレッテルを貼ったものじゃない!
人は美しいものや素晴らしいものを探して、あちこちを旅します。
その訪れた先で、美しさや素晴らしさを手にしようとしますが、実際のところただ疲れるだけです。
本当に美しい場所を異国や観光地に見つけることはできません。
あちらこちらを探さないでください。
どこよりも美しい素晴らしい場所は、あなたの内側にあります。
ここに来れば、すべてのものがとても美しいということに気づきます。
もうどこに行こうが、自分自身がそこに美しさを加えることができるようになります。
あなたが幸せでなかったら、美しい月もあなたをイライラさせます。
うーーん、見事。
最後の一文に集約されてます。
どんなにおいしい食事も、大嫌いな人とイライラと食べたらどんな味がするでしょうか?
美しさや素晴らしさを決めているのは、気温や湿度のような外側にある世界共通の基準ではないんです。
ぼくたち自身の内側次第ということです。
コップに汚水が溢れていれば、そこにアルプスの天然水を一滴入れたところで、外側に溢れるのは汚水。
宮古ブルーの海水が入っていれば、お台場の海水が一滴入ったところで、溢れるのは宮古ブルーの海水。
それが、表情や言葉、行動になって溢れる自分の内面。
そのくらい、自分の内面は大きく深い。
あわてていると、真実に近づくことができません。
それは、あなたの様々な感覚や能力が歪むせいです。
楽しもうと焦っても、同じように人生から喜びが奪われてしまいます。
今ここにある幸福や自由がなくなるだけです。
目を覚まして、自分の中の焦りに気づいてください!
自分が焦っていることを自覚すれば、焦ることは少なくなるでしょう。
焦らずゆっくりするというのはリラックスするということで、何かを先延ばしにしたり、ダラッとしたりするという意味ではありません。
人は焦ったり、やる気がなくなったりすると、つい極端に走りがちです。
焦りは興奮から起こり、興奮は何かが足りないという気持ちや、達成したいという願望から生まれます。
達成感は人を活動的にしますが、覚醒していることが大原則なのです。
自分の内側が幸福度を決めるなら、「楽しい気持ちでいなければならない」「なんでも楽しまなければいけない」。
つい、何かをすれば何かが手に入ると考えるぼくたちのクセになっている考え方が生むのは、自己否定と焦りです。
それでは、楽しくなろうと「自己否定と焦り」を繰り返したら、楽しさが生まれます??
まず、今自分が考えていること、感じていること、自分の内面が今何で本当に満ちているか気づきましょ( ^^) _旦~~
旅行者と巡礼者との違いは何でしょう?
どちらも旅に出ています。旅行者が五感を満足させるために旅をしているとすれば、巡礼者は真実を求めて旅をします。
旅行者はあちこち歩き回って疲れ果てますが、巡礼者は魂が輝きます。
人生を送る人のほとんどは、今、この瞬間を生きていることに気づきさえしない、ただの旅行者です。
巡礼者のように今、この瞬間に留まることができれば、魂は輝きます。あなたは旅行者ですか、それとも巡礼者ですか?
ぐつち