ぼくはこのブログで、
最初の頃(2017年11月~2018年8月頃)は、うつ病の治療をテーマにして、
- 固定観念や強迫観念に縛られない自分自身の自然な生き方をする大切さ
- 新しいことを始めるための、あきらめの力
- 行動には失敗はないこと
- 五感、ひらめきの大切さ
- 物事には複数の見方があること
- 過剰・やりすぎ・全力・完璧・絶対でないほどほどの大切さ
- 余白・余裕・余地の大切さ
そして、昨年の9月頃からは、関心の注ぎ先を「不安」から「本心・楽しさ・心地よさ・ワクワク」に変えたことで起きた「視点の変化」をテーマに、
- 病気はアップデートのサイン
- 自分軸で生きる楽しさ、心地よさ
- 体感のパワー
- 手放すことで生まれる創造性
- 森羅万象の本質は変化
- 宇宙レベルの超長期的視点での小さな積み重ねが起こす奇跡
- 条件も限界も無い愛
について書いてきました。
これらは、ぼくの自身の体感から得た気付きが基になっています。
ぼくの価値観は、うつ病の治療、出会い、小さな行動の積み重ねを通じて大きく変化しました。
すると、ぼくの関心アンテナは、今までにない人や言葉をキャッチするようになりました。
出会う人や言葉が変わり、ぼく自身の言動も変わりました。
そして、ぼくの関心アンテナは、また新たに気付きの大先輩をキャッチしてくれました。
「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な、漫画家の水木しげるさんです。
↑描きました。
アニメ版「ゲゲゲの鬼太郎」は知っていても、原作者の水木しげるさんの漫画を読んだことがない、という方は多いのでは??
↑鬼太郎も描きました。
水木しげるさんは、短命が多い(手塚治虫さん60歳、藤子・F・不二雄さん62歳、石ノ森章太郎さん60歳)漫画家にあって、2015年に93歳で亡くなるまで現役を続けた妖怪漫画の巨匠です。
太平洋戦争に従軍し、ニューブリテン島ラバウルで左腕を失っています。
その時の南国住民の生活と、子供の頃から培った妖怪文化がミックスされた水木しげるさん人生哲学<幸福の7か条>には、こう書かれています。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
なんという諦観!!
諦観とはあきらめることではありません。真理を明らかにして見極めるメタ認知で物事を見ることです。
関連記事:「あきらめ」は、「逃げ」ではなく「選び直し」(為末大さん著「諦める力」から) - ナチュラルなイキカタ
Tweetが多くの人を癒し、今年の4月に亡くなった漫画原作者の小池一夫さんも、この7か条を愛した一人でした。
ぼくたちは、成功や栄誉や勝ち負けといった強迫観念(水木さんの言う「亡霊」)に縛らると、贅沢が幸福だと信じ込み、成果と効率化に邁進し、他人と比較して自分の「好き」も「しないではいられないこと」も、「目に見えない世界」という余白も見失ってしまいます。
「楽にしたいことをし続けなさい」と、漫画界の巨匠が教えてくれることの力強さ!!!
「行動=結果」ではないことは、ある程度経験を積めば、まぁ分かることです。
本当は、みんな分かってます。
学校の先生だって努力や克己の大切さを説きながらも、それが全てではないことを本当は分かっています。
しかし脳は、意識的に変化させない限り、安定を志向して安全と信じている固定観念から離れませんから、失敗をおそれ行動できず、行動しないくせに結果に囚われて一喜一憂して疲弊し続けます。
その時に、何度も思い出せる言葉や体感を持っていることが、変化の原動力となり、しなやかな強さにつながります。
「しないではいられない楽しいものをし続ける」
この超シンプルなやり方が、水木さんの幸福論です。
武田双雲さんはもっとストレートに言ってますw
エロ本を読んで努力とは言わない
とw
記事:エロ本を読んで努力とは言わない | 書道家・武田双雲 公式ブログ『書の力』Powered by Ameba
ちなみに、第六条「怠け者になりなさい」は誤解されることが多そうなので、水木さんの補足を。
もちろん、「必死の努力」を自ら選んで実施することを、斜に構えて否定する言葉ではありません。
「必死の努力」から学ぶことはたくさんあり、人間の深み・厚みにつながります。
がむしゃらにやりたいときはがむしゃらにする。
しかし、永続的な必死の努力は、機械にしかできません。
しかも、行動量と結果は、比例しません。
必死に努力しても、結果が出ないことはいくらでもあります。
だから、続けるためには、怠けることも必要ですよ。
迷った時には立ち止まってもいいんですよ。
と、水木さんはおっしゃっているのです。
第七条に至っては、以前はピンときませんでしたが、ぼく自身がスピリチュアルが沁みてきた今は、とても大切な哲学だと思います。
般若心経でも言うように、ぼくたちが「ある」と思っている物や現象は、宇宙的法則からすれば一瞬の閃光のようなものです。
なぜ宇宙が拡大を続けるのか、宇宙の果てのその先には何があるのかも、まだ分かっていません。
そうした目に見えないものに想いを馳せるイメージの力は、座敷童子や河童、天狗を感じたりする豊かな心の回路と通じ合うものがあります。
これは、簡単に言うと今見えているもの、感じているものだけが世界の全てではないよ、というメタ認知です。
世界を俯瞰するしなやかで力強い視点です。
多様性多様性と言われる割には、現代では、だいぶ錆びついた感覚ですよね。
感覚は、磨かなければ錆びます。
幸せを感じる感覚も、幸せをイメージする感覚も、使わなければ錆びます。
損か得か、ゼロかイチか、成功か失敗か、早いか遅いか。
豊かな心を失い、合理主義で生きることを、水木さんは、「心が鈍くなる」と言いました。
なんとしっくりくる言葉!
鈍った心は、合理性、効率性、成功、正しさ、透明性といった二元論的言葉に敏感に反応します。
「心が冴えてくる」と、豊かな体感でワクワク動き回ります。
ぼくが出会った楽しく生きる人たちは、皆さんもれなく「冴えた心」の持ち主でした。
「自分の心、ちょっと鈍ってるかも」と思った方は、「水木サンの幸福論」にヒントがあるかもしれません。
漫画では、名言の宝庫「のんのんばあとオレ」がおすすめです。
ぐっち