これまで見てきたように、すべての答えは自分の中にあります。
他所からの借り物の納得感が、時間とともに薄れていくのに対して、自分の内側から出てきた言葉(気づき)は、時間とともに強く背中を押してくれます。
その答えにたどりつくためには、本当の内側の言葉、feelingがどうしたいのかをキャッチすることが大切です。
ですが、わたしたちは長い時間をかけて、何らかの強く偏ったバイアスによって、自分本来のfeelingを幾重にも偽装して隠しています。
Tさんが教えてくれた、本当のfeelingにアクセスするための一つの方法が、瞑想です。
Tさんは、瞑想は、気分を落ち着けるためだけのものでない、と言います。
feelingがキャッチできない場合、
自分自身が自分の頭の中に何があるのかわかっていないのだそうです。
わたしは、すごくよくわかります。その感覚。
あれ?何が好きだっけ?何が食べたいんだっけ?この映画ほんとに好きなんだっけ?なんでこの夢目指してるんだっけ?
まず、頭の中の棚卸しが必要なのです。
その方法が瞑想だと言います。
その方法は、
例えば、悲しい思いをした時の自分をイメージします。
わたしの場合は、中学に入ってすぐに、ただはしゃいでいただけなのに「調子にのってんじゃねー」と急にヤンキーに蹴り飛ばされたときの自分です。
イメージしたその自分が自然と話し出したらじっくり聞いてあげます。
何も話さないようであれば、「本当はどうしたかったのか」「どう言いたかったのか」を優しく尋ね、うんうんとすべて受け入れて聞きます。
この瞑想、深い呼吸による神経の静寂というよりも、自己対話といったほうが近いように感じました。
わたしを含め、こうした精神へのアプローチを軽視する人は少ないくないと思います。
でも、「ユダヤ人大富豪の教え」にも書いてあったように、健康になるためにどういう食べ物をカラダに入れるかには気を使うのに、精神の健康を得るために脳に何を入れるかには気を使わない、というのは確かに変です。
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こうして、「内面を磨くこと」に丁寧に時間もエネルギーも使っていく。
自分のセンターを曇りなく直視していきたいと思うようになった今、その選択はとても自然なもののような気がします。
この瞑想を始めたところで、最初は何も感じないことが当たり前のようです。
それでも一日5分でもいいから、だまされたと思って続けてほしい、とTさんは言います。
ちょっとの変化でいいから、変化することを許す経験の積み重ねが大切なのだそうです。
脳は安定を幸せと感じます。
逆に言うと、変化を好みません。
だから少しずつ。脳には北風と太陽作戦が最適です。笑
例えば、0歳に立ち方を教えたからといっていきなり立ち上がらないように。
脳の変化には時間と忍耐が必要です。
脳が望んでいない変化をするの?と思われるかもしれませんが、
脳が望むこと=魂が望むこと
とは限りません。
こうしてジャッジも掘り下げもせず素の自分と対話を続けることは、まるごとの自分を外側に出すトレーニングになります。
昨日書いたように、わたしは、ネガティブな感情抜きで自分の居場所を作っています。
それは、常に自己否定が付きまといます。
怒りも哀しみも、人間の自然な感情なのに、それを否定するからです。
でも、あまりにも長い間押し付けてきたので、わたしには怒りの出し方が分からない。
素の自分を出すって何?おいしいのそれ??って感じです。笑
だから、自己対話の瞑想の中で、まるごとの自分を出しても平気、というある意味模擬練習をすることになるのです。
怒りや哀しみを押し込めたまま発信すると、そのエネルギーも乗っかります。
自然に生きるために「これは自然じゃない!」と何かを否定する、という矛盾が起き、伝えた相手に「自分は~のとおりにできない」という新たな否定を生むことになります。
健康食品だとよくみるパターンですね。
実は、「素直さ」こそがもっとも強いパワーを持って人に伝わるのだそうです。
無邪気な人の周りには、なぜか人が集まりますもんね。
ぐっち