先週から発現した神経過敏。
Tさんとの緊急セッションを行いました。
Tさんによると、
カラダが何かの症状を発するのは、
「自分のケアをもっともっと丁寧に」という声を発しているから。
それは、わたしの自分史にも出ていたそうです。
誰かが作ったストーリーを生きていて、自分のケアがおざなり。
自分に無責任だった。
そして、誰かが作ったストーリーを生きられなかった自分に、自分自身が一番絶望している。
だから、実はうつ病を最も気にしているのは自分であって、自分が持っている自分への偏見を取る必要がある。と。
そのためにも、理想の状態ベースで判断していく。
脳は安定しようとするので、薬が減れば色々なことが起こるのは当然。
わたしが理想とする、「肩の力が抜けて、小さなことを楽しむ、心穏やかに上機嫌な自分」であれば、
前より自分のキャパが少ないことを受け入れます。
今の状態の自分も自分だと、まるごと受け入れます。
過敏でもいいじゃないかと。
キャパを超えるよ、と脳の緊急アラームなのだから、きたきた、と受け入れればいい。
元カノメールに翻弄される自分もいるさ、と認めちゃう。おもしろがっちゃう。
うつ病が治るか治らないかが人生のテーマじゃないのだから。
緊急アラームが教えてくれたカラダを休めるタイミングに従って、休めていけばいい。
動く前には、心身とも休むことが必要。
薬を飲むかどうかについても、理想の状態から判断する。
風邪を引いた時に、自然療法でデトックスしていきたいなら飲まないだろうし、そこを目指しているわけではないなら、薬を飲んで早めにカラダの体力を回復させるという手もある。
どちらが良くてどちらが悪いという話ではない。
ま、1ヶ月自然の中でぼーっとすることができれば、まず神経過敏は治るでしょうから。
会社がなければね。
根本的な解決策は、自分のペースや穏やかさを維持できる仕事な変えること。
掘り下げはさらに一歩踏み込み、もっと根本的な自分への偏見という意味では、魂の再創造のための感情の棚卸し
が必要。
Tさんがリーディングしたところ、7年前の「被災地の仕事での挫折」が最も大きなエネルギーを発していたそうです。
なにかそこでの心残りはありますか?と聞かれ、
改めて思いおこしてみると、
自分は、志とは裏腹に、ただ面倒な仕事を持ち込んだやつ、迷惑なやつと思われただけなのではないか?
という答えのわからない思いを残したままだったのです。
これを、友達が抱えていたらどうアドバイスするか。
わたしだったら、自分はやった、キャパを超えてまでやったのだから、もう十分完結した。あとは、相手の範疇の話であり、やったことに対して、自分だけは評価して、という。
それを、まさに自分へのベクトルに。
自分が自分を受け止めることを、ひたすらやっていく。
自分を評価すると、周りは自分の鏡だから、周りの反応も変わる。
キャパを超えた手触りも、自分のストッパーも、全部経験した。十二分すぎる経験だったのだから、それ自体がすごいことだと、がんばったね、ありがとうと言っていく。
その時は達成できなかったけど、それは、その経験を生かして達成すべきことが他にあるから。
そうすることで、自分への偏見が消化されていく。
そういうわけで、神経過敏という体調悪化サインに対して、
一つは、過敏な自分も自分と受け入れて対処していく
もう一つは、自分史を感情の棚卸しという視点でリライトする
というアプローチでのぞむことになりました。
経過はまた書きます!
ぐっち