Tさんの「ケンミンショウ」といった絶妙な例えや 、(わたしにとっては)奇抜な問いかけによって、次第にクリアになってくるわたし、と思っていたものと本当のわたしの違い。
父親との関係性にも象徴されていました。
そういえば、わたしは他人の価値観を優先させてきんだなー( ̄∇ ̄)
ぐっち
自分の価値観よりも他人の価値観を優先するのが、いい生き方だって思って生きてたんです。
他人の価値観を優先することが、全体が調和するベストな方法だと思ってました。
「どうやらそうじゃないぞ」って、Tさんとのセッションを通じて、やっと去年辺りから気づき始めた。
Tさん
他人の価値観を優先して、うまくいきました?
ぐっち
いかなかったんですよね。
自分が苦しくなるばっかりだし、人間関係がうまくいくわけでもないし。
違うことに気づいても、それ以外のノウハウが何もなくて。
それで、病気になってからの6年は迷走期でしたよね。
どこにそのノウハウはあるんだ!って。笑
で、やっと去年Tさんに会って。
Tさん
「自分の中にあるよね」って気づいた。笑
探さない。笑
ぐっち
そうそう。
Tさん
そういえば、5月にヨガをやりにインドに行かれるとか。
それは、先生の資格とれます?
ぐっち
とれないやつです。
取れるやつだと1ヶ月以上いかなきゃいけなくて。
ヨガの資格をとりたいなと思ってるんですけど、まとまった時間がとれるのは仕事を辞めないとかなって。
Tさん
多分ぐっちさん、癒やす側もそうだけど、教える側に回るから。
新宿のLAVAは、通いでもとれますよ。
しかも男性の先生なので、行きやすいかも。
わたしのヨガと瞑想の先生で、渋谷のヨガスタジオのS先生という方が、すごくいい先生なんです。
TTがとれる瞑想ヨガっていうクラスがあるんですが、S先生は今産休中で。
その先生のクラスは、マントラ、キールタンを唱えながら動いて、すごい深い瞑想にいけます。
わたしも会社員だったから、会社には上下関係もあって、パワーバランスもあって、社内政治もあって。
周りとの調和がすごい難しい時期があって、それでヨガに通い出すようになって、この先生に会って、「そういうふうに世の中見るんだ」とか、「そんなに落ち着いてていいんだよね」っていう確認にいったという感じです。
ぐっち
わたしがTさんと話すのと同じですね。
そういう確認の時間がないと、会社の価値観の中で、自分の方がおかしいんじゃないかと思っちゃう。
わたしの最初の診断名は適応障害で、診断名のとおり、まさにその会社の価値観に適応しなかった。
Tさん
そのS先生から、わたしはシータヒーリングを習ったんですよ。
わたしは、あるアパレルで、入ってすぐ評価されて、普通の人だったら3年くらいかかるポジンションにポンとついちゃった。
それで急に3人アシスタントがついて、周りとの調和の仕方がすごい難しかった。
社内政治とかもあったけど、そこを気にしてたら物を作れないよねってニュートラルにやってた。
いい服を作るってことに集中してたら、さらに評価が上がっていて、他の人とやるのがすごく難しかったから、とりあえず服をあげるってことに集中しました。
ポジションが欲しかった訳じゃなくて、服が作りたかったから。
「こうなりたいってことをいかに現実にするか」ってことだから、今とやってることは変わらないですね。
例えば、いまのぐっちさんだったら、癒やす側になるってどんな方法があるんだろうって色々調べてみることですね。
自分一人だと絶対無理です。
ベルギーに行ってるときに、むこうはもっと働き方がフラットで、会社に入らないから、みんなでチームを組んで仕事をします。
そういう働き方を見てたから、わたしは会社で「上の人を伺う」みたいなのは無理だと思った。
イメージを実現していくには、会社の中で誰かの意見を伺っている人よりは、実際にやっている人と対等な関係を築いて、おもしろいアイデアを先に出しちゃう。
そのおもしろいアイデアに、みんながギャザリングしてくれる(集まってくれる)ことが大事。
その頃に、クリエイティビティーについて調べる一環で瞑想が出てきました。
それで、一番近いヨガスタジオを探したときに、S先生が瞑想ヨガって田園調布でやっていたんです。
そこに参加したら、その日がクラス卒業だった男性が、キールタンを歌っているときに大号泣してて、なにこれと思ったんです。笑
すごいすっきりします。
自分をセンタリングできる。
それで、瞑想は続けようと思った。
S先生のブログを読んだときに、シータヒーリングが書いてありました。
S先生もジャッジが強くて、自分よりヨガを続けている先生から、「ヨガ続けてるのに全然変わってないよ」って言われて、どうしたらいいんだろうって色々やっている中でシータヒーリングに出会ったって書いてありました。
S先生も、それまでは、ジャッジをなくさないといけないってことをわかってなかった。
そもそも、何かジャッジなのかがわからなかった。
ジャッジを捨てて自分を認められるようになると、人のことも認められるようになります。
ぐっち
すごくわかります。
人の許せない感情って、自分にも許せてない。
「自分は怒っちゃいけない」とどこかで思ってるんです。
つづきます。
ぐっち