こんにちは。ぐっちです。
今も続ける精神科への通院。もう7年目になりました。
小学校に入学した子が中学生になってますね。
また抗うつ薬レクサプロの減薬・断薬をはじめたら色々あるのかもしれないですが、とりあえずいまは症状がとても落ち着いているので、主治医のM先生の問診は世間話のようになることが多いです。
昨日もそう。
そうやってM先生と職場のお掃除に咆哮するモンスターの話なんかをしていたところ、先生がぽろっと言った一言。
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「そういう勝ち負けじゃなくて、みんなで力を合わせてやっていこうって職場だったら、モチベーションも違うのにね」
この「勝ち負け」っていう言葉が、わたしの感覚を投網のようにうまーくすくい上げました。
そうなんですよね。
彼らは、勝ったか負けたかを生き方の最上位に置いているんです。
別にそれが悪いわけではありません。
それがハマる人はハマることは分かってます。
ただ、わたしにはハマらないことに気づいた。
わたしは勝ったか負けたかを最上位にしていないんです。
生きるって無条件。
勝ち負けを止めて、ゆるくなる。
「勝ち負け」は、ごく少数の勝った人しか満足しない世界です。
勝った人は、「幸せ」じゃなくて、足りてるもので満ちている状態ですから、勝ち続けるプレッシャーに晒され、負けること、失うことに怯える世界・・・。
わたしはその世界に、「生」を見出しませんでした。
勝ち負けじゃない世界があったんです!
今の会社だって、部署が違ったって別に勝負してるわけじゃない、と思ってるんです。
M先生も、「確信を持てないものにエネルギーを注ぐのは消耗するからね」と。
モチベーションの上がらないことにエネルギーを注ぐのは、真夏に雪を降らせるようなものですから、そりゃエネルギー消費も過剰になりますよね。
わたし、「この生活を残りの人生も続けるのかと思うと・・・」
実際、モチベーションが上がろうが下がろうが、仕事をする人間にだけ仕事は集中します。
わたしがやりだしたら、「あぁぐっちはもう大丈夫だ。また頑張ってもらおう」と、一方的に忙しくなることは目に見えてます。
M先生「化石になるにはまだ早いしね」笑
化石になって、すべての刺激に無反応になりさえすれば、この会社で定年まで過ごすことは可能です。
わたし「そうなんですよ!化石になりたいわけではないので」
M先生「・・・セラピストになるか!そういうことを考えてもいいかもしれないね。患者さんでも、確信の持てないものの営業から、障害者の就労支援をする会社に転職して生き生きとしている人もいるよ。」
まさか、6年以上診てもらっているM先生から、このタイミングで今まで一度も言われなかったその言葉を聞くとは!