こんにちは。ケトラーです。
シータヒーリングのアウェーカーTさん主催の映画上映会の話の続きです。
「オーガズミックバース」はドキュメンタリー映画で、7組のカップルの出産の様子、カップルや専門家へのインタビューで構成されています。
映画を見て、自然な環境(信頼できる人に囲まれ、夫・恋人と触れ合い、セクシュアル行為に適した明るさ・場所・リズムなど)での出産と、医療的な環境(ガウン、車椅子、陣痛促進剤、事務室のように明るい照明、医師・看護師に囲まれた不自然な格好、帝王切開、麻酔)との差に、愕然としました。
セックスは気持ちを盛り上げるコミュニケーションとして、お互いの心地よさをとても大事にするのに、セクシュアルな行為でもある出産に関しては、厳然たる医療行為として、まるで病人のように扱われます。
その結果が、痛みの極致としての出産、というイメージ。
そのイメージをもとに、痛みを軽減することが理想的な出産とされてきました。
それだけが出産のかたちなの?と映画は淡々と語りかけます。
声高に医療否定をしたり、医療分娩の危険性に警鐘を鳴らしているわけではありません。
提示されるのは、たくさんの選択肢。
そのなかから、選ぶのは自分たち。
人は、何か理由があってその選択をしています。
生まれるという選択もそうだと言います。
困難な選択だったとしても、それは「勇気ある魂」だからこそできる選択です。
決して無意味なことではありません。
ただある「常識」にだけ大きくとらわれていると、
わからないことに気づかない中で、「大切な何か」が少しずつ欠けていって、思いやりや温かみ、尊厳のあるケアが、少しずつ減ってきてしまったのかもしれません。
だから、わからないということを知る。
それがこの映画の制作者たちの、一番の思いだそうです。
分からないことを知ると、自分の立ち位置がゼロベースになります。
それが、良質な気づきの土壌になります。
映画では、出産のスタイルの正解を提示するわけではありません。
それぞれの心地よさ、優先するものがあって、出産という営みにつながっています。
それが最も大切なことだし、変化する自分、変化する社会、変化する環境で、自分ができること。
常識だからと病院での出産を選択するのではなく、「愛と感謝」をベースにして、別の選択もできる、ということを気付かせてくれる映画でした。
それは、出産に限らず、他のあらゆる選択に言えることではないでしょうか。
上映会が終わって、cafe156のおいしいケーキとコーヒー(わたしは酵素ジュース)をいただきながらのダイアログタイムがあり、クジでグループを作って、映画をきっかけに様々なことをシェアしました。
出会いと共有があると、人の距離は心地よく縮まります。
上映会後、Tさんに8月のセッション後の出来事、気持ちの変化を話しました。
するとTさん。
自由な人たちと出会って、そちらのほうが心地よいと思ったでしょう?だんだん正気に戻ってきましたね(^^)
あなたはそういう世界の人なんですよ。
とのことでした笑
いまの心地を体感していると、納得するしかありません。
この日は盛りだくさんで、御殿場を後にして、Tさんに教えてもらった富士宮にあるバイオレゾナンス医学の「青木クリニック」に向かいました。
ここの先生もとても自由な診察スタイルの方だとのこと。
つづきます。