こんにちは。ケトラーです。
ブログを読んでいただいている方はご存知のとおり、わたしは、本当の豊かさ、心地よさを自分に聴くなかで、
誰かに勝つ
とか
名声・名誉を得る
とか
賞賛される
とか
金持ちになる
憧れの生活をする
というものを、無意識の人生の目標にしなくなりました。
わたしが望んでいるのは、
肩の力が抜け、足りているものに満足し、小さなことを楽しむ、しなやかで強い心を持った自分
になること。
そのために、あれこれ実践中。
「肩の力が抜け~」って、潜在意識からなんとなく浮き出てきた言葉でした。
最初に使ったのは、休職中にリワークのプログラムでリワークのまとめを作ったとき。
ところが、その源泉が、2500年も前にあったんです!
矢作直樹さんの「自分を休ませる練習」を読んでいたら出てきた禅の言葉。
吾唯(われただ)足るを知る
矢作直樹さんはこの言葉の意味をこう説明します。
私たちはすでに満ち足りている、それを忘れているだけ。だから、思い出せばいい。自分がすでに何でも持っている事実を、欲するものはすべてあるという事実を、もう何も欲しがらなくていい事実を。
この禅語は、2500年前の水牛に乗った思想家、老子の言葉
「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」
が由来だそうです。
「(もっているだけのもので) 満足することを知るのが富んでいることであり、 自分をはげまして行動するものがその志すところを得るのである」 (小川環樹訳注)
という意味で、
「知足(ちそく)」とも言うそうです。
まさか、うつ病という沼地から咲いた言葉という花が、2500年前とつながらせてくれるとは・・・。
ここでも、2000年以上前の女性性の時代の考え方がシンクロしました・・・。
不思議ですね。
新しいアンテナを立てると、狭くて息苦しいと思い込んでいた世界がグングン広がっていきます。
足らないものを数えだすと、世界を見る眼差しが減点法になります。
現実には100点満点の状態というものは存在しないで、世界はプラスとマイナスの調和なので、心はいつまでも満たされません。
満たされない心は結局漠然とした不安となり、しなやかな心を縛り付けます。
逆に満たされているものを数え出すと、不平不満に割くエネルギーがなくなり、世界は100点満点という発想を超えて広がることができます。
わたしが習慣にしているスリーグッドシングスも、ここにベースがあります。
減点法がスタンダードになったのは、多分、民衆が自由を求めて権力と戦うなかで、現状肯定的な発想が後退し、批評家精神が養われたという歴史的背景がありそうです。
それにしても、日本が極端に減点法に偏る一方で、デンマークのヒュッゲのように、権力に対する監視と個人の心地よさの両立ができているのは、どういうことなのか気になります。
男性性から女性性へのパラダイムシフトが起きていると言われる今。
わたしたちも、本当の豊かさをとらえ直すチャンスだと思います。