こんにちは!
ketoraaaです。
引越して、生活圏が新しくなりました。
通勤の景色も、買い物する店も、土日でランチを食べる店も新しくなりました。
環境に馴染むまでは何となく落ち着きません。
ルーティーンでできていたことも、ウロウロすることが多いです。
あれ?
でもそれって、別の言い方をすれば「新鮮」ってことでは?
あえて目の前のレーズンを、生まれて初めて見たもののように体験する。
そういう紙一枚分の工夫がありました。
マインドフルネスです。
関連記事:【マインドフルネス】「いま・ここ」をありのままに受けとめて、過去(後悔)と未来(不安)に振り回されなくなる - ナチュラルなイキカタ
引っ越したての今の状況は、マインドフルネスに最適ではないか?
こういうアンテナ、いままでは気づかなかった発想、新鮮な回路も、紙一枚分の工夫の積み重ねで、新しくでてきたものです。
3年前の今頃は、休職中でほとんどの時間を横になって過ごし、少しの時間図書館に行けるようになったくらいだったことを考えると、人間が持っている自然な回復力を大切にしたいという思いが深まります。
この環境を活かそうと思った私は、先々週末に、マインドフルネスにランチ散歩をするという実験をしてみました。
「マインドフルネスに散歩」といっても、難しいことは何もしていません。
地図も、飲食店の口コミも、天気予報も何も見ないで、ただ心のおもむくまま行きたい方向に行きたい時間だけ散歩するのです。
そして、思わぬ出会い、まずい食事、不愉快な接客、突然の雨、すべてを五感で感じて受け止め流してみようという散歩です。
飲食店の看板を眺めながら、何が食べたいかな。ここはおいしそうかなと、ふらぁとお店に入ります。
マインドフルネスでは、何か目的を達成するために働く脳のモードを「Doing」モード、あるがままの脳のモードを「Being」モードと言ったりします。
「○○のお店に行く」「○時間○○まで散歩する」というのはDoingモードです。
心に一定の緊張を強いるため、交感神経が優位になります。
そうすると、リフレッシュするつもりが、逆に疲れてしまった、ということが起きます。
映画に行く、友人とランチに行く、カフェに行く、スポーツに行く。リフレッシュするつもりが、何か疲れてしまった。
こういう経験ありませんか?
その場合、脳のガソリンはエンスト寸前です。
リフレッシュして気持ちを切り替えるよりも、まず脳に余白を作ってあげる必要があります。
あるがままのBeingモードを身に付けて、脳にとっての本当の休息を得るのがマインドフルネス瞑想法です。
私の経験では、対象に関する情報があればあるほど、脳はDoingモードに入りがちです。
対象をどう感じるかではなく、まず「意味」から入るからでしょうか。
それはさておき、何も決めず、何も(お財布は持ちます)持たず、ただ心のおもむくままに歩いてみました。
もちろん、スマホ持参は厳禁です。
スマホは便利な道具ですが、私にとってBeingモードの宿敵です。脳にできた余白を次々に無限に埋めていきます。
私は、ふらふらと繁華街に向かって歩きました。
あ、ここにこんな店がある。ちょっとおいしそうだけど高いかな。タコ飯定食が1,620円か。
外観はよさそう。
お、この道はこう繋がっているのか。
ここにはあんまり店はなさそうだ。
なんて、ちょっと井之頭五郎(孤独のグルメ)になった気分です。
むむ!ランチによさそうな定食屋さん発見。全定食1,000円以下で、唐揚げ定食とかエビフライとマグロ納豆定食とか、定番が並んでる。
ここはキープと。
隣の店もよさそう。
カルビもロースも入った焼肉のランチセットが1,200円。
うん。最近焼肉食べてないし、焼肉が食べたくなってきた。ここにしよう。
こんな感じで入ったお店。
味も接客もそこそこでした。。
でも、味がどうこうとか、接客がどうこうではなく、目の前で何か起きていること自体が、ただ楽しい。
目的らしい目的はありませんが、あえてあげるなら、何も評価しない、ただ目の前にあることを体験するための散歩なので、目の前で起きることすべてが目的の一部です。
だから、すべてが目的につながってくれる。
ちょっといままで味わったことのない感覚と言えるかもしれません。
ランチがしんどい場合は、別に無理に食事するつもりもありません。
ただ心のおもむくまま。どこにもおもむかなければ、その場にぼーーーっと立っていてもいいじゃないですか。
それがBeingモードです。
たまたま、似たような内容の記事も出てましたので参考に。
記事:隠れ疲労ケアで夏うつ予防 あえて何もしない休日を|ヘルスUP|NIKKEI STYLE
もし気が向いたら、マインドフルネス散歩、試してみてください。
試してみると、見える世界があります。