続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

他人と比べない、目に見える正解を追わない。ヨガで気づいた「答えは自分の中にある」という感覚

こんにちは、ぐっちです。

 

うつ病になる前のわたしは、週に一度はヨガに通っていました。
当時のわたしにとってヨガは、運動不足の解消やストレス発散、なんとなく身体に良さそう、というそのくらいの位置づけでした。

 

正直に言うと、
「ありえないポーズをするやつ」
「ちょっと意識高そうなやつ」
そんなイメージも、どこかにありました。

 

でも実際に通ってみて、ヨガに対する印象は大きく変わります。
今日は、わたしがヨガを通して出会った二つの印象的な出来事について書いてみます。

 

どちらも、あとから振り返ると、このブログで何度も出てくる「紙一枚分の工夫」と、とてもよく似た感覚でした。

 

一つ目は、ヨガを始めてまだ間もない頃のことです。

 

なんとなく「この人、フィーリングが合うな」と感じていたインストラクターがいました。

 

その日のクラスで、プログラムが始まると同時に、部屋の照明を少し暗くしたのです。

 

身体を動かすのに、なぜ暗くするんだろう。
そう思っていると、インストラクターはこう言いました。

「これからは、目を薄めてください」

そして続けて、
「他人のことも、自分のことも、しっかりはっきり見なくていいのです。薄く、ぼんやりと見ましょう」

 

「ヨガは、他人と比べません。目に見えるものに囚われません」

 

その言葉を聞いた瞬間、わたしの中にあったスポーツの固定観念が崩れました。


運動=記録、競争、限界への挑戦。
そう思い込んでいたわたしにとって、この考え方はとても新鮮でした。

 

しかもその頃のわたしは、意味を感じられないルールや評価に強い息苦しさを感じていた時期でした。
「ちゃんと見なきゃいけない」「正しくやらなきゃいけない」
そう思い込んでいたところに、「ぼんやりでいい」という言葉が、すっと入ってきたのです。

 

何千年も受け継がれてきた考え方が、いまの自分に届いたような感覚がありました。

 

二つ目は、ヨガに少し慣れてきた頃の話です。

 

全国から人が集まる、有名なインストラクターのクラスに参加してみました。

 

参加者は全員知らない人で、経験もレベルもバラバラでした。

 

そのクラスの途中で、インストラクターがこう言いました。
「みんな、なんで自分から遠い他人のことばかり気にしているの?」
「もっと近くに、自分のことを一番よく知っている人がいるでしょう?」

そう言って、自分の胸を指したのです。
その瞬間、わたしはハッとしました。

 

難しいポーズになると、わたしは無意識に周りのベテランっぽい人を見ていました。
「正解はどれだろう」「この動きで合っているんだろうか」
そうやって、自分の身体の感覚よりも、他人の動きを基準にしていたのです。

 

でもヨガは、五感で感じて、いまの自分の身体と対話するものです。
周りを見ること自体が、本質からズレていました。
そのことに気づいた時、わたしはヨガという考え方にますます惹かれていきました。

 

いま振り返ると、この二つの出来事は、このブログで何度も書いてきた「紙一枚分の工夫」ととてもよく似ています。

 

他人と比べない。
目に見える正解を追いすぎない。
身体の感覚を基準にする。
やりすぎない。
自分に戻る。

 

どれも、劇的な方法ではありません。

 

でも、少しだけ見方を変えることで、息がしやすくなる工夫です。
答えは、外にあるわけではありませんでした。
最初から、自分の中にあったのです。

 

ヨガは、「こうしなさい」とは言いません。
「自分に聞いてみてください」と、静かに促してくれます。
その姿勢が、当時のわたしにはとても救いになりました。

 

このブログも、同じ場所を目指しているのかもしれません。
正解を提示する場所ではなく、自分の感覚に戻るための小さなヒントを置いていく場所。
そんなふうに、いまは思っています。

つづきます。

最初からお読みいただける場合は、こちら↓  

www.artofnaturalway.com

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