続けられるかたちを探して  ―うつ病というわたしの一部―

何度も壊れて、そのたびに生き方を作り直してきました。 うつ病とともに働き、休み、 障害者として社会と向き合う今があります。 「頑張れば報われる」から降りた先で見えた、 無理をしない生き方のメモ。 ここは、立ち止まってもいい人のための場所です。

本質よりルールが優先されると、仕事は言い争いになる

こんにちは!

ぐっちです。

 

前回は、マイルール強要タイプの課長が登場した話でした。

 

そういった相手とのコミュニケーションを旅行に例えるなら、東京を出発し、大阪に行くのと仙台に行くのでは、ルートが交わらないのと同じです。

 

目的地はニューヨークだったとすると、大きな視点で見れば、大阪を通ろうが仙台を通ろうが、目的地がニューヨークという事業の大目標は同じです。

 

ですが、形式やルールにあまりに拘泥することは、出発前にリュックでいくかボストンバッグで行くかということについて、さらにはボストンバッグの色は絶対に紺でなければならないかどうか、ということについて、多大な労力を費やして議論しているようなものです。

 

さらに、経済性や安全性といった観点から、議論するための材料があった上でニューヨークへ行くためのベターな選択をする議論になればよいのですが、勝ったか負けたかという感情のぶつかり合う、本来の目的から外れたただの「言い争い」になってしまうことがほとんどです。

 

みなさんの職場でもありませんか?言い争い。

 

メインの業務が暇だと、余計に重箱の隅をほじくる時間が有り余っているので、自分の怒りに自分自身でせっせと燃料を投入できてしまいます。

 

または、忙しすぎるあまり冷静な判断がつかなくなっても、燃料の投下先について熟慮する余裕なく、とにかく目の前の的に向けて投下してしまいます。

 

そうすると形式やルールだけでなく、「そもそもお前の態度は」と本筋を逸れて個人への攻撃となり、親切心から始まったはずの指導が、次第にパワハラに行きつくことすらあります。

 

本人は親切で真理を教えていると思っているので、パワハラだとは思っていません。

 

仮に会社の経営層が、目的地を具体的に示さず、「アフリカ大陸」くらいしか会社全体で共有されていなかった場合、ケニアなのか南アフリカなのかと、忖度の余地がありすぎて大騒ぎはもう収拾がつきません。

 

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皆さんの周りにも必ずこういう人がいると思います。

 

他にも、私の職場には、むやみに他人を消耗させるタイプがいます。

 

つづきます。

 

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