こんにちは!
ketoraaaです。
毎年冬は蓄膿症になります。
今回も風邪から蓄膿症になり、鼻水と咳に苦労してます。
昨晩も激しい咳で夜中に起こされてしまい、眠いです。
こういうときは思っている以上に体力消耗してますから、普段以上に予定を空けて体力温存に十分気をつけてます。
さて、前回は、マインドフルネスで、生じている現実を「ありのままに受け止める」力を養うことについてお話ししました。
何度も書いてきたように、心のあり方は、急な変化が起きるわけではありません。地道な積み重ねです。
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私は、マインドフルネスに取り組むことで、これまでの生活が、頭と視覚に極端に重心を置いたものだったということに気付くことが出来ました。
人間は五感から情報を得ていますが、耳、鼻、口、皮膚の感覚は、視覚に比べたら極端にないがしろにしています。
五感で感じること全体が、自分の身体の本当の声です。
私は、自分の身体が発する声をおざなりにして、「みんなやってることだから、理屈では自分は大丈夫なはずだ」と思考だけを重視して行動していました。
頭と視覚だけにとらわれていると、疲労に気付く感覚も弱めてしまいます。
マインドフルネスを実践して以降は、五感を使うことを生活に取り入れ、身体の声全体に耳を澄ませるようにしています。
おいしいものを食べること、心地の良い音を聞くこと、好みの香りをかぐことなどです。
「気持ちいい」「おいしい」といった感覚を大事にするようになりました。
五感を意識した生活をしていると、もう一つすっかり使わなくなって錆びついてしまった感覚があることに気付きました。
第六感、ひらめきです。
仕事では論理性や無謬性が求められることが多く、いつのまにか直感的に何かをやってみることが全くなくなっていました。
計画したものをそのまま正確になぞることが、生きることのほとんどを占めるようになっていたのです。
ですが、その生活には、驚き、新鮮さ、失敗はあまりありません。
計画通りいかないということはあっても、良くも悪くも計画という枠から外れることはありません。
それが最適なケースももちろんありますが、それだけだと何か世の中が味気ないような気がします。
散々口コミを調べた旅行が、実際に行った段階では計画をなぞるだけで面白くないのと同じです。
また、計画通りに進むことを最優先にしすぎるあまり、物事の価値がほとんど計画段階で決まり、計画通りいったかいかないだけが評価の基準となります。
さらに、計画から外れることへの耐性がなくなり、とっさの出来事、不合理な出来事に気持ちが対応できなくなっていきます。
第六感が何かに良いという根拠や確信があるわけではありませんが(「直感は、スーパーコンピューターに勝る脳の高速処理」という説もあるようです)、第六感で行動してみると、思いもよらない結果を引き起こします。
たまたま入ったレストランがまずかったなど、それがよい結果ではないこともあるかもしれません。
逆にそこが第六感の魅力です。
ちょっとした予想外の出来事を日常にちりばめて、もう少し驚きのある日常にしていくと、生活に味わいや彩りが戻っていくような気がします。
大切なことを第六感で決めるのは危険ですが、ちょっとしたお店に入ってみるとか、タイトルだけで本を選んでみるとか、そういう部分ではたまに第六感で決めてみてはいかがでしょうか。
幸せは、道端の石ころのように存在しているのではなく、誰かには幸せに感じられて、誰かには幸せに感じられないというあいまいなものです。
それであれば、心をオープンにして、幸せを感じる見方・感じ方を手に入れることが、幸せへの近道のようです。
つづきます。
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