こんにちは、ぐっちです。
前回は、疲労が自分の思考に及ぼしている影響を理解し、
ときには判断を先送りすることも大切だ、という話をしました。
今回は、スキーマ(信念)についてです。
リワークでは、
「そういうものがあると言われています」
という程度の説明しかありませんでしたし、
通院していた病院でも、
過去の体験を深く掘り下げることはほとんどありませんでした。
ただ、わたしの場合は、
自動思考を捉える作業を続ける中で、
ある違和感を覚えるようになりました。
自動思考が、
いくつかの子どもの頃の記憶と、
なんとなく結びついて感じられるようになったのです。
これが、いわゆるスキーマと呼ばれるものに
本当に関係しているのかどうかは分かりません。
専門家に確認したわけでもありません。
ただ、
記憶と自動思考が重なったときに考えたことがあり、
それを書き残しておこうと思います。
---
思い出されたのは、次のような記憶です。
小学生の頃のことです。
兄たちに昼食のハンバーガーを買いに行かされました。
わたしはシェイクが飲みたくて、シェイクも一緒に買って帰りました。
すると、
そのお金は兄が立て替えていたものだったらしく、
「無駄なものを買ってきた」と強く責められました。
地域の子ども会のかるた大会では、
待ち時間が長くて暇になり、外で遊んでいました。
自分の順番になった放送が聞こえず、
会場に戻ったとき、父親がそれまで見たことのないほど激昂し、
会場で突き飛ばされ、ひどく怒られました。
兄弟でお金を出し合ってゲーム機を買い、
うれしくて壁新聞を作って貼ったことがあります。
すると、
「お前一人の手柄じゃない」と兄から怒られました。
地元のお祭りで、
動物の形をした乗り物に乗っていたとき、
友人に呼ばれてそちらに向かうと、段差に引っかかって故障しました。
そのとき、
「弁償だ。百万円はする」と脅され、責められました。
---
中学生の頃です。
パンクした自転車を、
歩いて帰るのが面倒でそのまま乗って帰ったことがあります。
結果的にチューブがだめになり、
修理代が余計にかかったらしく、
「犯人が帰ってきた」と兄から責められました。
弟の友達が「一緒に遊びたい」と言うので公園で遊びました。
楽しませようとして、
自転車の二人乗りをしたところ、
その子が車輪に足を挟み、大けがをして救急車を呼ぶことになりました。
学校では、
友人とはしゃいでいると、
面識のない上級生から突然蹴られ、
「調子に乗るな」と絡まれたこともありました。
部活の県大会の帰り、
バスの中で見知らぬ学校の生徒から、
理由も分からないまま因縁をつけられたこともあります。
---
高校生の頃です。
卒業旅行で島に行った際、
船酔いがひどく、到着後ほとんど動けなくなりました。
「せっかく来たのに」と責められ、
友人と気まずくなりました。
大学生の頃には、
悩みを相談するつもりで送ったメールの内容を、
兄が自分への非難だと受け取り、激怒しました。
そこから一年ほど、口をきかない時期が続きました。
---
……正直、
どれも思い出したくない記憶です。
ただ、
これらの出来事に共通していることがあります。
「二人乗りは危険だからやらない」
「お金は事前に確認する」
そうした教訓はあるにしても、
それほど強く、繰り返し責められたり、
激しい怒りを向けられたりするほどの落ち度が、
本当にわたしにあったのかと言われると、疑問が残ります。
それでも、
「怒られた」
「責められた」
「絡まれた」
という強い記憶だけは、
事実以上の重さをもって残り続けました。
その積み重ねが、
わたしの認知を、ある方向に偏らせた可能性はあるのかもしれません。
はっきりしたことは分かりません。
ただ一つ言えるのは、
わたしの心は、次第に踊らなくなっていった、ということです。
つづきます。
最初からお読みいただける場合は、こちら↓